1063:決勝戦。
ジークは順調に勝ち進んで、決勝戦まで残っている。ほぼリーチの差で勝ってきた気がしなくもないが、初めて聞いた競技だろうによく勝ち残ってくれたと私は感心していた。観戦している皆さまはジークが勝ち残り、横綱と勝負することになったのでどちらが勝つのかで盛り上がっていた。
帝さまとナガノブさまも次に行われる取り組みに興味津々のようで、ジークと横綱がお互いにどういう戦法を取るのかと会話が弾んでいた。私たちアストライアー侯爵家一行はジークが勝つことを願っているし、フソウの面々は横綱が勝つことを願っている。勝っても負けても次で最後なのだから、ジークを応援しようと私はまだ誰もいない土俵に視線を向けた。
『次で優勝者が決まるねえ』
ぺしぺしと私の背中を叩くクロも次の取り組みが気になるようである。
「うん。横綱の人は流石に強いね」
私はクロに視線を向けた。流石に横綱は最高位を冠しているだけはあって、無難な試合運びで確実に勝ち進んでいた。ジークは慣れない競技ということで戦術を練れていない雰囲気があり、一戦一戦でいろいろなパターンを吸収していったというところだろう。
負けそうになっていた取り組みがいくつかあったし、土壇場で勝てたという取り組みも多かった。次は横綱戦となるし、力の限り応援をしようと自分の手をぎゅっと握り込んだ。
『みたいだねえ』
「勝てると良いけれど」
ジークには私が賞品目当てで出場して貰ったから、申し訳ないことをしたかなと反省している。怪我をすれば問題だろうし、美味しいお米さまという欲に目が眩んだ。南の島で栽培しているお米さまとアルバトロス王国で栽培を始めたお米さまが、フソウのお米さまのように美味しくできれば衝動的な私の欲は収まる訳だけれど……果たしていつになるのやら。
「面白いね、スモウって。観てるだけでも楽しい」
西の女神さまはお酒を嗜みながら、珍しくへらりと笑った。楽しんで貰えたならばなによりだし、帝さまとナガノブさまも女神さまに喜ばれているなら鼻が高いだろう。力士の方も嬉しいだろうし、彼女と一緒にフソウを訪れてよかった。
「次は最後の取り組みですね」
「うん。どっちが勝ってもおかしくはないから、目が離せないんじゃないかな」
私は女神さまと視線を合わせる。女神さまはジークと横綱、どちらが勝つのか分からないようだ。私も分からないし、リンも黙っているので実力は拮抗しているのだろう。それならば取り組みを数多に経験している横綱の方が有利になるだろうか。
む、とジークに勝って欲しい気持ちが湧くも、フソウの面子を考えると横綱が勝った方が良いなという気持ちも心のどこかになる。難しいものだねと苦笑いして、頑張るべきはジークと横綱であり、勝ち負けを決めるのもジークと横綱なのだから外野がアレコレ言っても仕方ない。
そうして呼び出しの方が横綱のしこ名とジークの名前を呼び、名前を呼ばれた二人が土俵に上がる。土俵の階段を昇り一礼を取り、仕切り線の前に二人が立った。ピリッと紫電のようなものが飛んだ気がするけれど、はてさてお互いに相手のことをどう見ているのだろう。
四股を踏み、土俵の外に出て横綱が顔を二度両手で叩き、気合を入れて塩を取る。ジークはふうと短く息を吐いて塩を取り、お互いに土俵の中へ塩を撒いた。そうして仕切り線に立てば、行司の方が『待ったなし!』と声を上げる。
両足を広げて腰を落とし、お互い片手だけを土俵に突けて睨み合っている。観客の皆さまはその様子にごくりと息を呑んで、彼らの駆け引きはどうなるのかと見守っている。
痺れを切らしたのか先に土俵に両手を付いたのはジークの方だった。直ぐに横綱も土俵に手を突くのかと思いきや、少しばかりの時間が流れる。観客の皆さまは横綱の様子に違和感を感じたのか、どうしたと声を上げている。立ち合いが失敗する光景が私の頭に浮かんだ瞬間だった。ふっと横綱が短く息を吐けば、一瞬だけ両手を土俵に突けてそのままジークのマワシを取ろうと腕を伸ばす。
ジークは立ち合いの瞬間を読めなかったようで『不味い』という表情を浮かべるも、がっつりと組めば不利になるとひょいと横に逃げた。
「…………!」
横綱はジークの突飛な行動に少し意表を突かれたようだが、直ぐに体勢を立て直してジークのマワシを取りに行こうと頭を切り替えたようである。そうして横綱はジークのマワシを綺麗に取った。がっつりと組まれる形となりジークが一瞬気まずい顔になった。
おお、と盛り上がる観客席からは『横綱の意地を見せろ!』『負けるな!』『フソウの強さを見せてやれ!!』と皆さま息巻いている。まあジークはフソウの方から見ればヒールだよねえと苦笑いを浮かべそうになるけれど、こちらも優勝狙いだ。数瞬の時間のうちに横綱とジークの間で何度も駆け引きをしている気がする。気まずい表情だったジークはもう正攻法で攻めるしかないと、無理矢理に横綱の腕の外から手を回してマワシを取りに行く。
「ジーク、行けーー!!」
「兄さん、相手は力で攻めてくるよ!」
『頑張れ~ジークぅ!』
「アルバトロス人の強さを見せろ!」
「粘れば勝負は分かりませんわよ!」
私たちの応援の声に、帝さまとナガノブさまがこちらへと視線を向けていた。こればかりは譲れないという表情で、彼らは直ぐに土俵へと視線を戻す。挑発されたけれど座りの悪いものではなく、単にお互いの国の者が大きなものを背負い力の限り勝負を付けようとしている姿にドヤとなっているだけだ。
私も多分、ジークは負けないと帝さまとナガノブさまに同じ視線を向けていただろう。ふふ、と笑った私の胸の内からなにか熱いナニかが湧き出ている。
魔物と相対している時の緊張感ではない。目の前で繰り広げられている勝負に高揚しているなと、また声を絞り出す。
投げられまい、外へと押し出されまいと足を踏ん張っているジークの左腕が横綱のマワシをようやく掴んだ。横綱がはっとした表情を浮かべるも、まだいけると判断してぐっと腕と足に力を込めていた。ジークも負けないとどうにか左腕一本で横綱を御そうと歯を食いしばっている。
ぐぐぐとお互いの足に力を込めても均衡は崩れない。スタミナ勝負になりそうだなと小さく息を吐いた瞬間だった。がくんとジークの身体が傾いた。その隙を横綱は見逃さず、ふんと力を更に入れてジークに追い打ちをかければ土俵にジークが沈んでいた。
『ああ、ジーク、負けちゃったあ……』
私の肩の上でクロがへなりと首を下げた。ジークは土俵に手を突いて起き上がろうとすれば、横綱が彼に手を差し伸べている。ジークも彼の意を組んで手に手を重ねた。そうして立ち上がったジークの背に横綱の大きな手がぺしんと当てられた。
その光景のあとで、観客席から割れんばかりの拍手が巻き起こった。私もジークを讃えようと手が痛くなるまで、ずっと拍手を続ける。良い取り組み内容だったし、フソウの方々も満足しているので問題はない。お米さまは逃してしまったけれど、フソウの出島に寄って越後屋さんで買い付けをするから、いつも購入しているお米さまよりも更に高級な新種を買えば済む。
拍手が収まった頃、ジークが土俵を降り残った横綱は勝ち名乗りを受け、主催者であるナガノブさまから弓を与えられる。そうして弓取り式が始まった。確か弓取り式には五穀豊穣を願っていると聞いたことがある。
ふいに女神さまがなにかを呟いた気がして、私は彼女を見るけれどなんでもないよと軽く横に首を振る。気の所為かと前を向けば後ろから声が掛かった。
「ナイ、言わなくても良いことかもしれないが、フォローをきちんと入れてやれ」
「不利な状況で堂々と立派に戦われたのです。当主としてジークフリードさんに声掛けを」
ソフィーアさまとセレスティアさまが真面目な表情で私にアドバイスをくれた。もちろんジークにはありがとうと声を掛けるつもりだったけれど、確かにもう一言二言付け加えた方が良いのだろう。でも、私の頭は気が利く訳ではないので余計なことを言いそうである。リンも微妙な顔で土俵の上を眺めているし、もしかして彼女は兄が負けたことにショックを受けているのだろうか。
むむむと私が悩んでいると、帝さまとナガノブさまにも同じことを言われてしまい、私とリンはジークの下へと行くことになる。小屋から着替えを終えて出てくるはずのジークをリンと私で待っていれば、目的の人物が顔を出す。他にもジークと取り組みをした力士の方が一緒だったので、小屋の中でなにか話していたのかもしれない。力士の方は私に礼を執って、さっくりと場から離れていく。
「ジーク、お疲れさま。急に無茶なお願いしてごめんね」
本当に申し訳ないことをしてしまった。せめて出場したい人と聞いてみれば良かったのだけれど、私が名指ししたためにジークは問答無用で出場しなくちゃいけなくなったのだから。
「いや、俺の方こそ優勝できなくてすまない。アストライアー侯爵家の面子を潰してしまった」
「気にしないで。観てて楽しかったし、フソウの横綱を他国の人間が土を付けたってなれば、それはそれで問題だっただろうから。まあ、真剣勝負の場で外交なんて気にしたくないけれど、ね」
ジークの言葉に私はぶんぶんと首を振り、勝ったら勝ったで問題があったことを伝えておく。多分、一番無難な結果になったはずである。フソウと横綱の面子は潰れていないし、勝てなかったけれど国外の相撲を全く知らないジークが決勝まで残ったのだから。そうかと小さく息を吐くジークに私は小さく頷けば、リンが半歩前に出る。
「兄さん、真剣だったね」
「手を抜けば直ぐに勝負がついて俺は負けていた。ヨコヅナと呼ばれていた人は特にな」
ジークが誰かを褒めるのは珍しい。命のやり取りをしなければならない場に立つので、ジークは相手の評価を厳しく判断している。本当に横綱は強くて、ジークが全力で挑んでも敵わなかった。真剣勝負の世界で真面目に取り組んでジークは負けたという結果が残ったけれど、手に汗握る取り組みをした土俵の上の彼らの姿は今でもはっきりと思い出せる。
「次があるなら、勝てるようにしたいね」
次があるのか分からないけれど、もし望んで良いのならばフソウの横綱にジークが勝っている姿を是非見たいものである。私はジークに疲労回復の魔術を施して、戻ろうとそっくり兄妹に告げる。やはり身内贔屓をしてしまうなと、ジークとリンの顔を見上げ私はみんなの下へ戻ろうと声を掛けるのだった。






