1054:教会から戻る。
教会から子爵邸へと戻り、屋敷の皆さまに女神さまの雰囲気はどうかと聞いた所、また圧が弱くなったと教えて頂いた。しかしながら私から魔力が駄々洩れているような気がする。クロがいつもより尻尾フリフリしているし、アズとネルの機嫌が良い。ロゼさんも影の中から出てきて私の足元にくっついている。
ヴァナルと雪さんと夜さんと華と毛玉ちゃんたちもお屋敷に戻ると速攻で影の外に出てきた。エル一家とグリフォンさんも庭から顔を覗かせて、首を傾げていたから私の魔力が漏れていることに気付いただろう。副団長さまに個人的に魔術具の作成依頼を出してみるか、もっと魔力制御を上手くなれるように努力してみる良い機会なのか……むぅと唸りながら、玄関に辿り着くとソフィーアさまとセレスティアさまが出迎えにきてくれていた。お二人は女神さまと私に無事に戻ったことを確認して、あとはゆっくり過ごそうと言って一緒にお屋敷の中へと戻る。
「女神さまはこの先一週間はどうなさいますか?」
今日、教会に赴いたことはイレギュラーである。このあと一週間はお屋敷でゆっくり過ごす予定であるが、暇を楽しめる口だろうか。玄関ホールで女神さまにこれからどうするか問えば、彼女が答えようと口を開く。
「お屋敷でゆっくりさせて貰うよ。庭に天馬とグリフォンたちがいるから沢山お話したいし、裏庭に妖精の気配を感じるから」
女神さまは特に不満はないようで、自分なりの楽しみ方を見つけているようだ。それなら良かったと胸を撫で下ろすが、屋敷をウロウロする際は前以て連絡を入れて欲しいとお願いする。しかし裏庭に行きたいと申しつけられた場合はどうしようか。妖精さんを社畜扱いするなと怒られそうだが、それが彼ら畑の妖精さんの習性である。一先ず問題は先送りにしておこうと違うことを考える。
騎士爵家の侍女の方のように倒れる人がいたら問題だし、女神さまの圧に慣れない方への配慮をお願いしたいのだ。女神さまは私の不躾なお願いを素直に聞き届けてくれ、どうすれば良いのか確認を取る。女神さまの側仕えは彼女と相対しても平気な方を世話役として付けるので、なにかある際は世話役に伝えて欲しいとお願いした。世話役の方には臨時手当でも付けておけば、仕事のモチベは失われまい。子爵邸について説明を終えれば、女神さまが首を傾げる。
「ナイ、ナイと話すのは駄目?」
「午前中は執務を執り行わないといけないので、午後からで良ければ問題ないですよ」
「じゃあ、お昼ご飯を食べたあとナイが暇そうにしていたら私の相手をしてくれるんだね?」
女神さまの声を聞いて、私の後ろに控えていたリンが微妙な空気を醸し出している。私が一週間はお屋敷でゆっくりすると言っていたので、私の部屋で一緒に過ごすつもりだったのだろう。女神さまが一緒になればどうしても護衛として務めなければならず、一緒にいるにはいるが、一緒にいるの意味合いが変わってくる。リンにフォロー入れておかなければと苦笑いを浮かべて、女神さまの言葉に頷いた。
一先ず、私は執務に戻り、女神さまは庭をウロウロしてくると言い残してもう一度玄関から出て行く。女神さまに護衛は付けていない。おそらく西大陸で彼女に敵う人間や魔獣はいないから、敷地外に出なければ問題はないはずだ。
ソフィーアさまとセレスティアさまと、ジークとリンと私は女神さまを見送って執務室へと赴き、いつも通りに仕事を終え、その日は平穏に時間が過ぎていくのだった。
翌日、己の未熟さを淡々と記した長文の手紙が屋敷に届いた。差出人は誰でもない、カルヴァインさまである。女神さまに失礼な態度を取ってしまったこと、最後まで客人をもてなせなかった後悔が凄い量で綴られて子爵邸に届いたのである。
手紙を受け取り執務室まで届けてくれた方や、執務室で仕事をしていた家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまに、壁際に控えていたジークとリンは少々引いていたものの、信仰心がカンストしているカルヴァインさまらしいものだなと皆で頷いたのだ。
しかしこの長文の手紙の返事を書かなければならないのは私である。私は手紙を書くのがあまり得意ではないし、信仰心マックスという訳ではないのでカルヴァインさまにどう返事を記したものかと、休憩を兼ねて屋敷から出た東屋で悩み始める。
「どうしようか?」
私は同じ分量の返事を書くことはできないし、多分そっけない内容になってしまいそうだ。カルヴァインさまが気にしない方なら良いが、根が真面目な分、あとから正気に戻って猛省している姿が余裕で想像できる。
「普通に返せば良いんじゃないか?」
私の正面に座って紅茶を一口飲んだジークがくれた答えである。確かに普通に返せば問題になることはないけれど。
「この文字量に対して、気にしてませんよ大丈夫ですってだけ記した返事って凄く失礼じゃない?」
私はジークを見たあとにカルヴァインさまの手紙へと視線を寄せる。私の横に座っているリンがティーカップをソーサーの上に置いて短く息を吐いた。
「相手がナイのことを考えないまま自分の気持ちを押し付けただけだよ。ナイは気にしなくて良い」
彼女の言い分も理解できる。手紙という名の反省文なのだから。とはいえ手紙の主の気持ちを私は少しは理解できる。凄く憧れている芸能人やアーティストの前で失態を犯してしまった後悔は一生記憶に残るものだし、どうしてあの時の私は気絶なんてしてしまったのだろうと自責の念に駆られるのだ。
うーん、と口をへの字にしながら考えていると、ジークとリンが東屋の外へと視線を向けて目を細める。暫くすると、私は東屋に近づく気配を感じた。ひょっこりと姿を現したのはルカとジアを引き連れた、西の女神さまである。
「ナイ、お茶とお菓子の匂いがした。私も混じって良い?」
女神さまが用件を告げ、ルカとジアに声を掛けていた。女神さまの声掛けを理解したのか、黒天馬と赤天馬は元来た道を戻って行く。私はまだ返事をしていないけれど、断る理由もなく女神さまに笑みを浮かべた。
「構いませんよ。少しお待ちくださいね、お茶を淹れて頂きますので」
私は側に控えていた侍女の方にお茶を淹れて貰うようにお願いすると、女神さまが東屋の中に足を踏み入れ空いている席に腰を下ろした。
「うん。――ナイ、これは?」
「昨日、白目を剥いて気絶した男性を覚えていますか?」
テーブルの上に置かれたカルヴァインさまの手紙に目を向けて、女神さまは不思議そうに首を傾げた。私の肩の上に乗っているクロが尻尾を揺らしながら、妙な方向に話が進まないかなあと無言で心配している。
「もちろん。悪いことをしてしまった」
「えーっと、その彼からの後悔が綴られた手紙となります」
女神さまはカルヴァインさまのことを覚えていたし、申し訳ないことをしたと考えているようだ。不可抗力のようなものだから仕方ないけれど、思うことはあるようだった。
「後悔って、どうして?」
「西の女神さまを崇拝なされていますから。女神さまの前で失態を犯してしまったことを悩んでいるようです。それで、返事を書こうとしているのですが――」
私は女神さまに話を聞いて貰うことにした。熱量のある方に対して淡泊な返事を送れば失礼になるかもしれないこと、私はグイーさまや他の女神さまにお会いしたことで彼より女神さま方を身近に感じていることなどを伝えてみる。
「ナイはあまり気を張っていないよね。楽だから構わないし、ナイが私たちに普通の態度でいてくれるからお屋敷にいられる訳だけれど」
女神さまの言葉にふと思い至ったことがある。私がカルヴァインさまのように女神さま方に対する崇拝度がマックスであれば、お屋敷に滞在していなかった可能性があるのか……と。
しかし『もし』を考えても仕方ないので、今ある問題を解決するのが先である。女神さまにお願いして、カルヴァインさま向けに一筆したためて頂ければ彼の気が晴れるだろうか。百年後くらいには聖遺物として女神さまの手紙が残っていそうだし……カルヴァインさまがまた白目を剥く可能性があるけれど、私の手紙より効果的なのは確実である。
「女神さま、ひとつお願いをしても良いでしょうか?」
「ん? 無理でないことなら良いよ」
女神さまはお屋敷でお世話になっているからねと言葉を付け足した。そうして、カルヴァインさまに昨日のことを気にしないで欲しい旨の手紙を書いて欲しいとお願いすれば、すんなりと許可を頂けるのであった。
◇
私がアルバトロス王国から聖王国へ戻って数日が過ぎている。
官邸にあった私室を引き払って、大聖堂にある神職者用の部屋を借りて新しい生活が始まっていた。教皇猊下にお願いして、大聖女フィーネは政に関わることはないと声明を出して貰っている。
ここ数日、私が所属していた元派閥の方が顔を出して何か言いたそうな視線を向けていたけれど、護衛の方に睨まれてさっくりと諦めていた。本当に三年前の努力はなんだったのだろうと後悔したくなるが、新たな道を模索している聖王国を捨てることはできない。というよりも立ち直れるまでは見守っていかなければ。
大聖女ウルスラも官邸を引き払い大聖堂に私室を構えて聖女の活動を再開しているし、私が聖王国にいない間でアリサと仲良くなったようだ。ウルスラには友達と呼べる人が少ないみたいだし、今のアリサであれば十分にウルスラを導く力を持っているはず。
「あとは聖王国の大人たちに踏ん張って貰わないとね」
朝、部屋で一人誰にも聞こえないように呟いた。またエーリヒさまとは入れ違いになってしまったけれど、少し嬉しいことがあった。どうやらエーリヒさまが聖王国に滞在している間に、先々々代の教皇さまと顔合わせをしたようだ。
アリサも同席していたようで、彼について特に言及することはなかったとのこと。一応、先々々代の教皇さまにエーリヒさまのことを直接知って頂けたことは、私たちの仲が少し進展したと考えても良いのだろう。私がアルバトロス王国に向かうか、彼が聖王国にくるのか未来は分からないけれど……。
「って、そろそろ行かなきゃ」
私は時間を確認して部屋を出る。アリサが考えた聖女さまお務めボイコットは、アリサが主導で開催されることはなかったけれど、アリサの代わりに私が引き継いで主導することになった。
というのも、聖王国上層部が纏まるには凄く労力が必要である。聖王国上層部のお尻に更に火を付けるため、マトモに運営できないのであれば大聖堂に所属している聖女はお務めに出ませんと啖呵を切ったのだ。アリサが先に聖女さま方に提案してくれていたから、聖女さま方の説得は直ぐに済んだ。でも一つ問題が浮上する。困って大聖堂に訪れた方々はどうするのかと。
ただ、困っている方々を無視すれば聖女と名乗れるはずもない。私は大聖堂の神職の方々と聖女さまを巻き込んで、大聖堂の外で治癒活動を行うことを提案したのである。あと治癒に訪れた方には懇切丁寧に、何故大聖堂の外で治癒を施すのか理由を説明するも忘れていないし、寄付代もきっちりと頂くことにしている。
払えない方には物納も可能だと提案した。こちらはナイさまから聞いた話を参考にさせて頂き、聖王国の市場で売っている品物の値段と同じ価値となった。問題があれば都度、ルールを練り直すし改善していく予定である。
大聖堂の聖堂に向かう長い廊下を歩いていれば、見知った人がひょっこりと現れた。私は目を細めて、ひょっこりと現れた嬉しそうな彼女の方を向く。
「アリサ、おはよう」
「フィーネお姉さま、おはようございます!」
てれっと笑ったアリサが私の横に並んだ。ナイさまの下でお世話になっていた日々も楽しかったけれど、やはり私の日常は大聖堂で治癒活動を行うことである。日常が戻ってきたなと実感しつつ、暫くの間は少し大変かなと苦笑いを浮かべて大聖堂の外に出た。
外にはウルスラの姿も確認でき、私は彼女の下へと向かい挨拶を交わす。元黒衣の枢機卿の側にいた頃の表情はなく、ウルスラの視線は訪れた方々へと向けらている。私もウルスラに倣って外で待機している信者の皆さまへと視線を向けた。
「昨日より人が多いような?」
「どうしてでしょうか?」
「でも、みんなで頑張れば問題ないですよ!」
私の言葉にウルスラが首を傾げ、アリサが頼もしい言葉を口にした。まだ聖王国がどうなるのか分からないけれど……――あれ?
視界の端に教皇猊下の姿が映る。私たちがいる大聖堂の外から随分離れた場所だけれど、教皇猊下を見間違えることはない。そこまでは良い。それより彼の後ろを歩く人物に焦点を当てたくて目を細めた。
あの人たちは……どうしてヴァンディリア王国の元第四王子殿下とファーストIP三期のヒーローの一人が教皇猊下の後ろを静々と歩いているのだろうか。元王子は修道院に送られたし、ヒーローは私たちに関わることすらなかったのに。
――え、今頃なんで……?






