1051:謝罪をば。
――逃げていたことから現実を突き付けられたような気がする。
名付け程度で大袈裟なと言われそうだけれど、基本魔獣や幻獣の皆さまは長命である。時が経てばシワシワネームとかキラキラネームと他の魔獣や幻獣の皆さまに言われかねないのだから、真剣に考えなければならないのは当然だろう。
私がグリフォンさんたちの名前を付けていなかったのは単に求められなかったから。周りの皆さまも私が名付けに関していつも頭を悩ませているから、声を大きく上げなかった。魔獣や幻獣が大好きなセレスティアさまであれば『名前を授けないのですか?』と問われても良さそうなのに言わないでいてくれたのだから。
夜。子爵邸の自室でお風呂に入って、あとは寝るだけとなっていた。西の女神さまは客室に案内して、そちらで寝ることになっている。特に問題はないようで部屋の調度品や飾られていた花に興味を示す姿は少し微笑ましかった。
毛玉ちゃんたちは女神さまと一緒に寝るようで、五頭みんな女神さまのいる客室で過ごしている。私は怒涛の一日だったなとふうと息を吐いて、ベッドの上にダイブした。お行儀が悪いけれど、クロとロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さん以外見ていないから問題ない。
ばふんと揺れる豪華なベッドが私の身を包んでくれる。枕に埋めていた顔を上げれば、籠の中で身体を丸くしていたクロが首を持ち上げて、面白そうな視線を私に向けていた。――しかし、まあ。
「……また大役を担ってしまった。でも、みんなを巻き込もう」
グリフォンさんとグリ坊さんたちの名前決めは、周りの皆さまを頼ろうと決めた。というか聖王国に戻ったフィーネさまは確実に巻き込んでしまおうと腹を決めている。あとグリ坊さんたちに名前を贈るなら、ポポカさんたちにも名前を贈りたい。
ポポカさんたちは子爵邸で働く方々に名前を決めて頂くのもアリだろうか。駄目ならせめて、候補だけでも募りたい。西の女神さまが言い出しっぺだから、彼女が滞在している間にグリフォンさんの名前を決めねばならないだろう。少し考える期間が短いが、良い名前が贈れると嬉しい。
『最近、ナイは随分と逞しくなってきたかなあ。前なら一人で頭を抱えていたからねえ~』
クロはふふふと小さく笑って籠から私を見ている。クロも案外他人事のように言葉を放つから巻き込んでしまっても良いだろうか。ご意見番さまの生まれ変わりだし、亜人連合国出身の竜の方であれば凄く喜びそうである。気楽そうに言葉を放つクロに私は目を細めてもう一度枕に顔を埋めるのを止め、クロへと視線を向けた。
「クロも一緒に考えて」
『え、ボクも?』
クロが一瞬驚いた表情になる。驚くクロは珍しいと私は口の端を静かに伸ばした。
「クロは面倒なことには首を突っ込まない気がするから、偶には私が巻き込んでしまっても良いかなって。あとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんもお願いします」
私が彼らに声を掛けて身体を起こせば、ヴァナルと雪さんたちが床からのっそりと立ち上がり前脚を綺麗に揃えて腰を下ろした。
『グリフォンの名前、ヴァナルが考えるの?』
ヴァナルが左右に尻尾を振りながら、ベッドの上で正座をしている私に顔を上げていた。ヴァナルは自分で名前が考えられるのか分からず、小さく首を傾げて耳をぺこんと前に下げている。黒衣の枢機卿さまに見せた唸り顔は凄く怖いのに、日常では凄く穏やかな顔を見せてくれているから魔獣という雰囲気は凄く少ない。困り顔のヴァナルに私は苦笑いを浮かべて口を開いた。
「考えられなくても良いから、候補が上がった中から良いなって思える名前を教えて欲しいかな。もちろん、良い名前があるなら教えて欲しいな」
『おや』
『まあ』
『まさかグリフォンに我らが名を贈ることになるとは』
雪さんたちは二千年もの間生きてきた知恵があるためか堂々としている。ヴァナルはそんな雪さんたちを見て顔を寄せて、鼻先で雪さんたちの顔をぐりぐりしたりすりすりしたりして『凄いなあ』と言いたげである。フェンリルとケルベロスの微笑ましいふれあいを写真の魔道具に納めた。現像したらフソウへ送ってみようと決めて、私は機嫌良くベッドに身体を横たえた。
「みんな、おやすみ。また明日」
私が声を上げれば、もぞもぞとそれぞれの寝床へ戻る彼らの音が耳に届く。
『おやすみ、ナイ』
『主、おやすみ』
『おやすみなさいませ』
『良い夢を』
『なにかあれば直ぐに起こしますね』
慣れ親しんだ声を聞き、ジークとリンとクレイグとサフィールにお屋敷に住んでいる方々も眠りに就いている頃かなと小さく笑みを浮かべ、部屋の灯りを消して目を閉じるのだった。
――翌朝
目が覚めた私は侍女の方を呼ぶために鈴を鳴らす。ベッドの上で暫く待っていると部屋にノックの音が二度響いた。どうぞと私が声を上げれば、騎士爵家の侍女の方が少し気まずそうに顔を出した。
昨日、侍女長さんに彼女のシフトを聞いて朝から勤務だと聞いていたから、朝の着替えは彼女の担当にして欲しいとお願いしておいた。職権乱用のような気もしなくもないが、目的があるので致し方ない。私はベッドから降りれば侍女の方が静々と部屋の中を歩いて、私が朝の挨拶をするまえに彼女が頭を下げる。
「ご当主さま、昨日の朝はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「一先ず、頭を上げてください」
侍女の方が頭を下げる必要はないのだが、やはりケジメは必要なのだろう。相手は西大陸を創造した女神さまだし粗相はしたくないはずだ。とはいえ女神さまと人間では圧倒的に神さまの方が格が上となる。失神してしまったのは致し方ないし西の女神さまも申し訳ない気持ちがある様子だ。西の女神さまと接していた古代人って、本当に魔力が多かったのだなあと昨日のことはすとんと納得できた。
彼女の処分は家宰さまと侍女長さまと私で話し合っている。厳しい処分を課したくはないし、他の侍女の方や使用人の方も西の女神さまと邂逅して気絶する可能性が残っている。それを踏まえると数部屋罰掃除をお願いするのが妥当だろうとなった。
騎士爵家の侍女の方がおずおずと顔を上げ私と視線を合わせる。昨日のことは致し方ない出来事で、私は勤務中に起きた労働災害という認識である。とはいえ前世で生きていた労働環境や価値観ではないので、彼女も不敬を働き首を切られやしないかと不安なのだろう。家宰さまも侍女長さまも彼女が気絶したと聞いた時は渋い顔になっていたので、侍女の方が委縮するのも仕方ないこと。
「突然のことでしたから致し方ありません。心構えができていなかったでしょうし、言い渡された罰を確り受けて頂ければ今回の件は終わりです」
目の前の彼女を責める方は子爵邸にはいまい。明日は我が身の状態だろうから下手なことは口走れないし、もし彼女を責める方がいれば注意をお願いしますと家宰さまと侍女長さまに伝えてある。
ソフィーアさまとセレスティアさまも納得してくれているので間違いはないはずだ。そう考えると女神さまと食事を共にしたクレイグとサフィールは凄い。驚いてはいたけれど、確りと食べ物を胃の中に納めていた。貧民街という厳しい環境の中で育ったから、耐性のようなものがあったのかもしれないけれど。苦笑いを浮かべている私に侍女の方が手を前に揃えて頭を下げようとしている。
「畏まりました。ご当主さま、本当に申し訳ございませんでした」
「謝罪、受け取りました。今日は教会に赴くので聖女の衣装でお願いします」
侍女の方の言葉を塞いで仕事の話に持って行こうと一瞬考えたけれど、今回はきっちりと謝罪を受け取った方が彼女の気が休まるだろうと笑みを浮かべながる。彼女はゆっくりと頭を上げて、私の顔を見れば胸を撫で下ろしている。彼女の気が少しでも晴れたならば良かったと、介添えを受けながら聖女の衣装に身を通す。着替えを終えて侍女の方にお礼を伝えようとすれば、部屋のノックが三度鳴った。
あれ、と違和感を覚えて身を構える。侍女の方も私と同じで、私より扉の近くに立ち警戒を始めた。とはいえ子爵邸の警備はかなり厳しいもの。不法侵入なんて無理だから、部屋を訪れた人物の見当は直ぐにつき侍女の方に私は大丈夫と伝える。
「ナイ、入って良い?」
扉の向こうから聞こえた声は西の女神さまのものだった。その声に侍女の方が顔を強張らせる。また気絶してしまえば失礼に当たるので彼女の緊張は十分に理解できた。
クロとヴァナルと雪さんたちも彼女の緊張を察知して、クロは籠の中から飛び立って侍女さんの横で滞空飛行をしながら『大丈夫だよ。緊張しないで』と言い、ヴァナルと雪さんたちが侍女さんの左右の横に付いて、お尻を床に落とした。
今の状況の方が緊張しないかという疑問はさておき、侍女の方は直立不動になって顔を引き攣らせている。とはいえ女神さまを待たせる訳にもいかず、私は侍女の方に確認を取るとギギギと音が鳴りそうな勢いで彼女は首を縦に振った。
「どうぞ」
私が声を上げると、ドアノブが動いて扉が開く。女神さまの後ろにはジークとリンが控えており、廊下を歩いている途中で鉢合わせしたようだ。そっくり兄妹は女神さまの後ろで自分たちも部屋に入って良いかと無言で確認を取っている。そんな二人に私は構わないと目線で訴えれば、ジークとリンは女神さまの後ろを静かに歩いて部屋の中に入り壁際へと控えた。
「ナイ、おはよう。あ、昨日の子だ。驚かせてごめん。大丈夫だった?」
女神さまは私に声を掛けたと同時に、部屋の中に侍女の方がいることを認識する。女神さまは少し困ったような雰囲気で侍女の方に声を掛けると、かなり緊張している様子で直立不動が更に酷くなり、本当にギギギと音が鳴りそうな勢いでぎごちない礼を執った。
女神さまは困った様子からどうしようと悩み始めているようだ。自身の力を抑えることはできないし、侍女の方と話をするにはどうすれば良いのか考えあぐねている。女神さまでも困ることがあるのだなと感心しながら、私はふと試してみたいことが頭の中に浮かんだ。私は女神さまの顔を見上げると、彼女はこてんと首を傾げる。少し失礼しますね、と声を掛けて私は侍女の方へと向き直る。
「――"神の祝福を"」
祝福の効果は聖女さまによってマチマチであり、同じ聖女が施したとしても効果に差があるものだ。でも、亜人連合国に赴いた時に王太子殿下や護衛の皆さまに施した祝福は妖精さんが認識できるようになっただけではなく、亜人連合国の皆さまの特殊な圧にも耐えられていたのではと思い出した。
試してみる価値はあるし、二節、三節と祝福を唱える訳ではないので日常生活に影響はない。とはいえ三年前の私と今の私の魔力量は随分と違うため、魔力を練った量は大分抑えたものである。祝福を施し終えれば侍女の方が不思議そうに自身の手を眺めている。顔色が少し良くなっているので、彼女の緊張が少し和らいでいるようだ。
「少しはマシでしょうか?」
私が侍女の方の顔を見上げれば、彼女は少しほっとした表情を見せた。
「は、はい。女神さまから感じる御威光が少し穏やかなものになりました」
綺麗に笑みを携えた侍女の方はおずおずと西の女神さまの前に立つ。そうして彼女は丁寧に頭を下げた。
「女神さま、昨日は大変失礼な態度を取り申し訳ありませんでした」
「気にしないで。私が力を抑えられていないみたいだから、昨日のことは仕方ない」
申し訳ない顔をしていた侍女の方は女神さまの言葉を聞いて少しだけ肩の力を抜いた。祝福が掛かったけれど女神さまの圧は侍女の方にとって凄いもののはずである。とはいえ侍女の方は昨日のことを気に病んで、女神さまにきっちりと謝罪をしている姿は好ましい。
直接謝罪をできたことは彼女に取って良いことだろうし、西の女神さまも少しほっとしているようだった。西の女神さまは子爵邸に暫く滞在するのだし、新しい交友関係が築けるならば女神さまの滞在は良いことだろうと二人並んでいる姿を見て私は笑みを浮かべるのだった。






