1050:痛い所を。
執務室で関係各所に連絡を入れると『ああ、そうなるよな』みたいな反応を頂き、私は『解せぬ!』と声を上げたかった。とはいえ南の女神さまが子爵邸で過ごしていた時点で今更かもしれない。私が叫べば『お前が主要因だろう』と周りの方々に言われそうなのでお口チャックを心掛けた。女神さまの来訪は二度目だし、お二人の性格が違うから対応に差はあるものの食客として接するだけ。まあフィーネさまの時よりは私がお客人の相手を務めることが多くなりそうである。
時刻はお昼前。私は執務室を出て、再度図書室へと足を向ける。私の後ろにはジークとリンにヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが着いてきていた。長い廊下を歩けばほどなく図書室の扉の前へと辿り着く。図書室は屋敷にいる人は出入り自由とルールを設けているので、ノックは必要ない。ノブを捻って扉を開け、女神さまはどこで本を読んでいるのだろうと私は視線を動かした。
女神さまは少し奥まった所の窓際に椅子を置き、陽の光を浴びながら本を読んでいる。なんの本を手に取っているのかは分からないけれど、背が高くスタイルの良い女性である。
凄く様になっている光景に私は小さく息を吐いて、女神さまへ声を掛けようと足を進めた。彼女は集中しているのか、私たちの存在に気付いていない。熱中している所を申し訳ないけれど、話を伝えて明日どうするかを知って貰わなければと私は声を掛ける。
「女神さま。明日、私たちが教会に赴く旨を伝えてきました。教会の皆さまは西の女神さまが訪れると期待に胸を膨らませているそうです」
私が女神さまに声を掛けると、彼女は顔を上げて私と視線を合わせた。教会の皆さまが期待に胸を膨らませてはおらず、ただただ驚いているだけだけれど女神さまに直接伝えて良い言葉ではない。婉曲的に表現するなら、期待していると伝えれば無難に収まるだろうと嘘を吐いた。女神さまの前で嘘を吐いても直ぐにバレそうなものだが、今回の嘘は致し方のない部類に入るはずである。
「ありがとう。でもどうして期待に胸を膨らませているの?」
西の女神さまは少し不思議そうな感じを放っている。もしかしてご自身の価値を理解していらっしゃらないのだろうかと私は苦笑いを浮かべる。西の女神さまが大陸をウロウロしていた頃は、古代人の方から身近な存在として扱われていたのかと疑問を感じながらも説明は必要だと私は言葉を紡ぐ。
「西の女神さまですからね。教会のご本尊さまがいらっしゃるとなれば、皆さまが貴女さまのお姿を一目見たいとなるのは当然かと」
西の女神さまは西大陸の宗教を司る存在と言えば良いだろうか。ご本尊で合っているのか微妙だけれど、信仰の対象なのである。そりゃ騒ぎになりますともさと私は苦笑いを深めた。
「そういえば私の姿を見た女の子が気絶していたね。彼女は目が覚めた?」
「はい。大事を取って今日の仕事はお休みとさせて頂きました。あと彼女から伝言となりますが『みっともない所をお見せして申し訳ありませんでした』と」
西の女神さまは朝の出来事をきちんと覚えていたようだ。気絶した騎士爵家の侍女の方の心配をしてくれるとは。悪気はなかったが、力の差、存在の差があるので致し方ない。私の言葉を西の女神さまは片眉を上げながら聞き、意味を咀嚼し終えた彼女は表情を柔らかくした。
「みっともなくはないけれど……驚かせてごめんねって伝えてくれると助かる」
西の女神さまの言葉振りから悪い方ではないのが分かる。分かるけれど、本当に何故西の女神さまが子爵邸で居候することになっているのだろうか。
「承知致しました。必ず伝えます――しかし女神さま?」
「ん?」
西の女神さまがこてんと首を傾げ、面白おかしい光景を認知したクロも尻尾で私の背中をてしてし叩き始めた。
「毛玉ちゃんたちが凄い姿になっているのですが」
毛玉ちゃんたちがいつも首に身に着けているスカーフが、頭の上から被さっていたり脚に巻かれていたりと妙なことになっていた。毛玉ちゃんたちは女神さまの足元でじっとして私の声に『?』と首を傾げている。
「ああ。彼らが遊んでっていうから、暫く遊んでいたけれど……飽きちゃったみたい。ね?」
女神さまは桜ちゃんの前脚の付け根に手を伸ばして彼女を持ち上げた。随分と大きくなっているので結構重いはずなのに、女神さまは涼しい顔で桜ちゃんをだらんと抱え上げていた。
桜ちゃんは頭の上にスカーフが巻かれ顎の下に結び目があり、古式ゆかしい泥棒スタイルとなっている。女神さまに抱え上げられた桜ちゃんは身体をだらーんと伸ばしてばふんばふんと尻尾を振っていた。楓ちゃんと椿ちゃんが私も私もと女神さまにせがんでいる。松風と早風は彼女たちの後ろに座り、尻尾を振りながら三頭を眺めていた。
面白おかしいことになっているのだが、毛玉ちゃんたちのスカーフはそのままで図書室の外に出るのだろうか。屋敷内であれば問題ないかと笑っていれば、西の女神さまは桜ちゃんを床に戻して、今度は楓ちゃんと椿ちゃん二頭を片腕で同時に持ち上げる。
女神さまの脇の間に収まった椿ちゃんと楓ちゃんは嬉しそうにばっふばふと尻尾を揺らして喜んでいた。椿ちゃんと楓ちゃんを床に降ろして、女神さまは大人しく待っていた松風と早風の頭を撫でる。幸せそうに目を細める二頭を見ていれば、お昼ご飯の用意ができたと知らせが入った。
「女神さま、お昼ご飯はどうしますか?」
「食べる。朝ご飯、美味しかったから期待してる」
女神さまは私の言葉に目を細めた。調理場の方々に凄いプレッシャーが掛かりそうだが、ミナーヴァ子爵邸のご飯は美味しい。ドヤと自慢したくなるのを我慢しながら、ジークとリンと毛玉ちゃんたちに移動しようかと視線を向ける。
そうして、朝と同様に食堂へと赴いて女神さまとお昼ご飯を摂る。クレイグとサフィールは使用人さん用の食堂で食べると言っていたので、今回は同席していない。ジークとリンは護衛として壁際に控えている。
「朝の男の子二人は? それに赤毛の双子は一緒に食べないの?」
「女神さまとご一緒するのは凄く緊張するので、昼食は辞退させてくださいと。ジークフリードとジークリンデは私の護衛を務めてくれているので、朝とは状況が違いますから」
女神さまが食事を食べている最中に二人がいないことを疑問に感じたようだった。私は正直に答えれば、女神さまが少し寂しそうな顔を浮かべる。クロはお皿の上の果物を食べながら女神さまに視線を向け、足元でくつろいでいた毛玉ちゃんたちはどうしたのと顔を上げた。
「そっか」
「もしかして女神さまは大勢で食べる方が良いのですか?」
食事の仕方は個人によって好みが別れるだろう。私は幼馴染組と食事を摂るのが一番楽しいし気楽である。もちろん夜会や晩餐会で食べる食事も楽しみだけれど、好き勝手喋りながら食べるのが一番私の性に合っていた。女神さまはどうなのだろうか。今後、子爵邸で生活する上で必要な情報だと聞いてみた。
「落ち着いて食べるのも、騒がしく食べるのも好きだよ。こっちにいる時はみんなと食べていたから、一緒に食べられないのは少し残念だなって。でも二人の名前が知れて良かったよ。どう呼んで良いか分からなかったし」
西の女神さまは古代人の方々と一緒にご飯を食べていたようだ。神秘的な方なので取っ付き辛いけれど、彼女と共に過ごす時間が増えてくると今の様にきっちりと答えてくれる。それならばと私は口を開いた。
「いつかまたバーベキューを開きたいですね。前回、女神さまは参加できませんでしたし」
「部屋から出た時は終わっていたからね。楽しみ」
機会があれば大勢集まってバーベキューを開きたいものである。美味しい食材を正当な理由で沢山用意できるし、気楽に食べることができるのだから。ワイワイとみんなで騒ぎながら摂る食事は雰囲気が明るくて好きだ。
フィーネさまとエーリヒさまにハイゼンベルグ公爵さま辺りなら、女神さまにも無難に対応してくれそうだ。ソフィーアさまとセレスティアさまも二度神さまの島に訪れたから耐性はあるだろう。ジークとリンはもちろん参加するとして、クレイグとサフィールは強制参加だろうか。アリアさまも肝が据わっている方なので大丈夫そうだし、割と参加人数は多くなりそうである。
そんなこんなで昼食を終えて、午後はフリーな時間となる。
女神さまは図書室で本を読み続けるのかと思えば子爵邸の庭に興味を持ったようだ。エルとジョセとルカとジアにグリフォンさんが興味深そうに外から図書室で本を読んでいる女神さまを眺めていたそうだ。
女神さまはそんな彼らと話したいと望んだので、私たちは庭に出て東屋へと足を運ぶ。誰かがお屋敷から庭に出ればエルたちは感知するので、待っていれば寄ってくる。調理場に寄り道して、果物とお野菜を拝借してきた。エルたちは喜んでくれるかなと考えていると、丁度彼らが姿を現して足取り軽く東屋に辿り着く。
『西の女神さま、島ではお世話になりました。聖女さま、こんにちは』
エルが先頭に立って西の女神さまの前で頭を下げる。ジョセは静かにエルの声を聞きながらじっとして、ルカは忙しない様子で頭を左右に振っていた。ジアは毎度そんな兄の姿を呆れた様子で見ている。いつも通りのエル一家が揃い、彼らの隣にはグリフォンさんが興味深そうに西の女神さまを見ていた。
「ううん。島ではあまりお話ができなかったから、ナイにお願いして庭に出てみたんだ。君の名はなに?」
女神さまがエルに手を伸ばせば、彼は静かに目を閉じて彼女の手を受け入れていた。女神さまはエルの顔や鼻を撫でながら、問い掛けに答えて欲しいと目を細める。
『天馬のギャブリエルと申します』
エルは閉じていた目を開き女神さまの肩の近くに顔を寄せる。そしてジョセがエルと入れ替わるのだった。
『番のジョセフィーヌです。そして黒い天馬はルカ、赤い天馬はジアと。素敵な名前を頂けました」
ジョセが声を上げると、後ろで控えているルカが大きな嘶きを上げる。女神さまは一瞬驚いたけれど『元気な仔だね』と声を上げ、ジアが静かに頭を下げた所を見て『賢い仔だ』と褒めていた。エルとジョセは自分たちの仔を女神さまに褒められたことに喜んでいた。そうしてゆっくりとグリフォンさんが近づいて、脚を曲げて頭を下げて礼を執る。
『名前はまだありませんが、皆さまからはグリフォンさんと呼ばれております。西の女神さまにお目見えでき幸せですわ』
「そんなに大仰に捉えなくて良いよ。暫くナイにお世話になるからよろしくね。でもどうして君には名前がないの?」
グリフォンさんが頭を上げると西の女神さまは苦笑いを浮かべて、グリフォンさんの嘴を撫でている。
『特に不便を感じておりませんでしたので。しかし皆さまはナイさんから名を頂いて格が上がっておりますね。私も欲しい所ですが……』
グリフォンさんが渋い顔になると、西の女神さまは私の方へと顔を向けた。グリフォンさんの撫でる手は止まっていないので器用な方である。
「ナイ、グリフォンに名前贈ってあげないの?」
「その、名前を付けるのは重大なことなので……安易に魔獣や幻獣の皆さまに名付けをするのも問題かなと望まれない限りは避けておりました」
私の声にみんなが『考えすぎ』『真面目ですね』『そう難しく捉えなくても』と次々に言葉を口にしていた。確かに考えすぎかもしれないし、私の名前は適当に付けたものだけれど。
他の方に名前を付けるのは一生をその名で過ごさなければならないし、変な名前を贈って気に入って貰えないなら割と傷つく。でも、ついにグリフォンさんに名前を贈る時がきたと腹を決め、グリ坊たちには今まで名前を贈ったことのない方にお願いしようと心に決めるのだった。






