1044:【中】日常に戻る。
ユーリの部屋から食堂へと移動すれば、既にクレイグとサフィールが待っていた。
「おはよう。クレイグ、サフィール。待たせてごめん」
遅れてはいないけれど、待たせてしまったことを軽く詫びながら自席に腰を下ろす。ジークとリンも席に腰を下ろして、朝食が運ばれてくるのをみんなで待つ。待っている間はいつも雑談タイムとなっているのだが、クレイグが怪訝な顔を浮かべて私の方を見る。
「なあ……ナイ」
「ん、どうしたの、クレイグ」
片眉を上げて微妙な表情を浮かべるクレイグに私は返事をするのだが、妙なことを言い出しそうな気がする。というか、彼がいの一番で切り出す時は私に対しての突っ込みである。
私はまたなにか妙なことをしたかと最近の事案を頭の中で並べてみるが、どれもやらかしていることだからクレイグが突っ込みを入れる候補が分からなかった。私の肩の上でクロが首を傾げているし、ロゼさんは私の影の中で静かに過ごして、毛玉ちゃんたちもクレイグの顔を見上げながら首を傾げている。さて、彼になにを言われるのかと私は覚悟をするのだった。
「魔力量、増えてねえか? 気の所為か? いや、気の所為じゃない気がするぞ……! というか魔術適性が低い俺でも分かるってどうなんだ!?」
クレイグが更に片眉を上げながら、突っ込みを入れる度にどんどん目を見開く。私は彼の表情筋は器用だなと感心するけれど、魔術適性の低いクレイグが他人の魔力を感知できるのは珍しいことである。
クレイグの横ではサフィールも小さく頷いているので、彼も私の魔力量が増えたことを察知しているようだ。サフィールはクレイグのような驚きではなく、私の心配をしてくれているようで眉をハの字にさせながら会話に混ざる機会を伺っている。
「六節の魔術唱えたからかな……あ、でも流石に鼻血が出たね。魔力が増えたって感覚はイマイチ分からないかも」
私は六節の魔術を唱えた時を頭の中に描く。まさか女神さまと顔合わせをして初手で圧を放たれるとは考えていなかったし、魔力を練って術を使うなど想定外である。
「六節だぁ!?」
「ナイ、六節の詠唱が必要な魔術の使い手って凄く貴重だって噂を聞いたことがあるよ。本当に大丈夫なの?」
クレイグが驚きの声を上げ、サフィールが心配して小さく首を傾げている。あの場で障壁を展開していなければ一緒に同行していた面々は大丈夫だったか分からない。
西の女神さまはご意見番さまの生まれ変わりであるクロに特別な思いを寄せているようである。久方ぶりに再会したけれど友人を取られたと勘違いしたようであるが、取ったつもりは全くない。クロと一晩話したことによって、私たちへの蟠りは消えているはず。それよりもご意見番さまの最期を邪魔した銀髪くんの話をすれば、西の女神さまは大激怒するのではなかろうか。黙っておくべきか、伝えるべきか、と迷っていれば喋らない私を心配したのか、リンが私の肩を揺するのだった。
「あ、ごめん。考え事してた。副団長さまの話だと身体は問題ないだろうって。暫くはゆっくりしておいた方が無難だって言われたけれどね」
あははと私は笑って右腕を頭の後ろに回して何度か掻く。クレイグが大袈裟に溜息を吐き、サフィールがふうと小さく息を吐いた。
「ジークとリンも心配が尽きねえな」
「ナイは驚くことばかりするからね」
クレイグとサフィールの言葉に私は黙っておくしかない。私の側に控えていたそっくり兄妹が、私の心配を一番してくれている。ジークとリンを見て私が苦笑いを浮かべると、彼らは微妙な表情で口を開く。
「無理をして欲しくはないが……助けられたからな。強く言えない」
ジークがクレイグとサフィールに視線を向けて六節の魔術を唱えた状況を語る。全ては話せないので問題のない部分のみだが状況は伝わるはずだ。彼の話を聞き終えたクレイグとサフィールは呆れた表情を浮かべて私を見る。またやらかしたなと言いたげだが、みんなを守るためと知り強く出れないようだ。
「でも、ナイ。暫くはゆっくり過ごせって言われたから、あまり動いちゃ駄目だよ?」
リンが片眉を上げて私の方に顔を向けた。副団長さまからは、魔力を消費している時に激しく動けば消耗が酷くなると助言を頂いている。そのため、日常生活を送る分には構わないが、それ以上の負担を掛けないようにと忠告を受けた。素直に彼の助言に従うつもりだし、何故か猫背さんにまで心配されたので忠告は守る予定である。
「大丈夫。討伐遠征の予定もないし、領地管理のお仕事だけだから。フィーネさまのお見送りが済めば、大きなお仕事は入ってないしね」
私の言葉を聞いた四人は本当だろうかという疑いの視線を向けている。いや、お屋敷に引き籠るから動き回ることもないのだけれど。信用ないなあと微妙な顔を浮かべれば、朝ご飯が運ばれてきた。
今日はパンとサラダとチーズというお貴族さまの標準的な朝ご飯のようだ。お酒が好きな方は朝から飲んで勢いをつけるらしいが、私たちは果物を絞ったジュースを頂く。贅沢だよねとみんなで手を合わせて朝食を口に運ぶ。私の隣ではクロとアズとネルがリンゴを食み、床では毛玉ちゃんたちもリンゴを齧っている。美味しそうに食べている姿が可愛いなあと彼らを見ながら箸を進める。
「まあ、飯が食えるなら問題ないのか……?」
「ご飯を食べれないナイの姿は想像できないけれど……食べられるのは良いことだよね」
クレイグとサフィールが苦笑いを浮かべながら、いつも通り食事を取っている私を見た。サフィールの言葉にクレイグがナイが飯を食わないなら天変地異が起きそうだと失礼なことを口にする。
でも食べられないのはキツいので、魔力をブッパするという強行な手段に及ぶかもしれない。魔力で割となんでも解決できる世界なので、飢えたら魔力を全力ブッパして植物を活性化させれば難を逃れられそうなのだ。最終手段だなと苦笑いを浮かべ食事を終えたので、みんなで手を合わせて解散となる。食堂を五人で出てそれぞれの仕事へ赴くために移動を開始した。
――執務を終わらせてお昼ご飯を取り、アルバトロス城へと向かう準備を整える。
私は自室で侍女の方たちの介添えを受けながら聖女の衣装を身に纏う。廊下ではジークとクロとロゼさんとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちが待ってくれている。リンは私の着替えの様子を面白そうに見ているが楽しいのだろうか。
侍女の方がいない時はリンが手伝ってくれることもある。その時は始終笑みを浮かべたまま私の着せ替えを楽しんでいるけれど、誰かの着替えを手伝って面白いのだろうか疑問だった。
頭の中で考え事をしていれば着替えを終えていたようで、侍女の方たちが不思議そうに私を見ている。リンは私が考え事をしていたのはお見通しのようで、侍女の方たちに問題ないよと伝えていた。
私が侍女の方たちにお礼を伝えれば、彼女たちはしずしずと部屋を出て行く。侍女の方と入れ替わりで、クロが私の下へと飛んできて、毛玉ちゃんたちがぴゅーと走ってぎゅっと脚を踏ん張り、とある場所で止まる。肩の上に乗ったクロはどうしたのかと首を傾げているし、リンもなんだろうと首を捻っている。毛玉ちゃんたちの向こうで、ジークとヴァナルと雪さんたちが開いた扉の前で通せんぼをくらっていた。
「どうして毛玉ちゃんたちは扉の前で固まっているの……?」
私が毛玉ちゃんたちに声を掛けると『ふん!』とみんなが鼻を鳴らす。なんだともう一度私が首を傾げると、扉の前で立ち止まったままのジークが苦笑いを浮かべていた。
「ナイの心配をしているんじゃないか?」
「動いちゃ駄目だって訴えているのかも」
ジークが少し離れた扉の前から、リンは私の隣で毛玉ちゃんたちに視線を向けていた。
『毛玉ちゃんたちもナイのことを心配しているみたいだよ~』
私の肩の上に乗っているクロも毛玉ちゃんたちを微笑ましそうに見ながら背中を長い尻尾でぺしぺし叩き、ヴァナルと雪さんたちは通せんぼをしている毛玉ちゃんたちを微笑ましそうに見ているだけである。
平和な光景だけれども竜とフェンリルとケルベロスとその仔供たちがいるって凄い状況だなあと現実逃避したくなるが、いかんいかんと私は頭を横に振った。これからフィーネさまと一緒にアルバトロス城に赴いて、彼女のお見送りを果たさねばならない。エーリヒさまも外務部として参加――公爵さまが裏で糸を引いていそうだ――するし、アリアさまは転移魔術陣への補填役を担うため、子爵邸から私たちと一緒に赴く。
「心配してくれてありがとう。私は大丈夫だから。ほら、通してください」
私は毛玉ちゃんたちの下へと行き、膝に手を当てて少しかがんで彼らと視線を合わせた。じーと視線を私に向ける毛玉ちゃんたちは暫くすると諦めたのか、すごすごとヴァナルと雪さんたちの下へと歩いて行く。
『主、無理しないで』
『かなり魔力を消費なされていましたからねえ』
『日常生活は問題ないでしょうけれど』
『暫くはゆっくり過ごすべきかと』
ヴァナルと雪さんたちにまで心配されるとは。有難いけれど少し照れ臭いというか、なんというか。まあ、アルバトロス城から戻ったら部屋でゆっくり過ごすとみんなに伝えて、子爵邸の地下室へと向かう。一階の廊下からエル一家とグリフォンさんが顔を覗かせて『無茶はしないで、ゆっくりとお過ごしください』と私に伝えて、庭へと戻って行った。
みんなに心配を掛けているなあとジークとリンの顔を見れば、偶にはゆっくりしようと告げられる。廊下を横切ったお猫さまと、お猫さまを捕まえにきたジルヴァラさんにまで心配される始末である。魔力は回復しているはずなのに、どうしてこんなに心配されているのだろうか。なにか問題が起こる予兆でも彼らは嗅ぎ分けているのかと首を傾げた、丁度。
フィーネさまとアリアさまとロザリンデさまと合流する。ロザリンデさまは地下室までお見送りをしてくれるそうだ。フィーネさまは誰とでも仲良くできるようで、アリアさまとロザリンデさまとも交友を深めており、今日でお別れということで少し寂しそうな雰囲気を醸し出している。
それから地下室へと向かう扉の前でソフィーアさまとセレスティアさまとも合流した。地下にある転移陣へと辿り着いて、ロザリンデさまが私にフィーネさまと少し話をしても良いかと許可を取る。時間には余裕があるので構わないと告げれば、彼女はありがとうございますと告げて、フィーネさまと視線を合わせた。
「また暫くお会いできなくなりますが、どうかお元気で。手紙を書きますわ」
「はい、私も手紙を書きますね。あと状況が落ち着けば、聖王国に遊びにきてください」
ロザリンデさまとフィーネさまが短い言葉を交わして別れを告げた。南の島で会えるけれど寂しさが残ってしまう。しかしまあ、女性陣の比率が高いなとジークの顔を見上げれば、いつも通りの顔なので肩身が狭いとか感じていない様子。私は移動を開始しようと、ジークからみんなに視線を向ける。
「では、アルバトロス城へ参りましょう」
私の言葉で転移陣が光り、次の瞬間にはお城の転移陣のある部屋へと辿り着いているのだった。






