1042:毎度の報告。
初めてオーロラを鑑賞した方々は闇夜に浮かぶ光のカーテンに感動していた。
今回のオーロラは以前見た緑色に青味がかっていて少しだけ雰囲気が変わっている。グイーさまの機嫌が良いと緑色に光ると南の女神さまから聞いたので、今回の気分は前回と少し違うようだった。西の女神さまの引き籠もりが解消されたのでグイーさまが喜んでくれているならば、バーベキューを開催して良かったと安心しながら宿に戻ってきた所である。
今回も北大陸を経由したので、ミズガルズ神聖大帝国の皇宮に赴いてお礼を述べる予定だ。ディアンさまたちは私が挨拶をしている間に魔人の村へと顔を出すとのこと。
私も魔人の村が復興しているか気になるけれど、挨拶回りがあるので仕方ない。ひとまずディアンさまに魔人の少女に向けた手紙――内容は復興が進んでいるかどうかと、なにか支援できることがあれば申し付けて欲しいというもの――を預けたので、どんな返事が戻るのか不安と期待が入り混じっていた。
宿屋さんがある小さな町から出て、ディアンさまとベリルさまは竜化して魔人の村へと赴く。ダリア姉さんとアイリス姉さんも一緒に行くのかと思いきや、私と一緒にミズガルズの皇宮にくるそうだ。
エルフのお姉さんズはミズガルズ帝都の防寒システムに興味があるようだ。ディアンさまとベリルさまが雲が多い空の上に飛び立ち、私たちは雄大に空を飛ぶ彼らを見送った。私はダリア姉さんとアイリス姉さんと、他の面々に顔を向けて戻りましょうかと告げた。ふいに誰かがいないと気付いて、ダリア姉さんとアイリス姉さんに視線を向ける。
「そういえばお婆さまは? またどこかに遊びに行ったのでしょうか」
「お婆だもの。いつものことね」
「お婆はいつも通りだから放っておいても大丈夫だよ~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんはお婆さまが忽然と消えることに慣れているようである。お婆さまのことだから危険は少ないだろうけれど、急にいなくなれば心配にはなる。
とはいえお二人が薄情者という訳ではなく、ある種のお婆さまに向けた信頼のようなものだろう。長い付き合いだろうし、彼女たちが平然としている姿も理解できた。気にしない、気にしないと私に告げるダリア姉さんとアイリス姉さんを他所に、魔術に興味が振り切っている方々は肩を落としている。
「僕も魔人の村に興味があるのですが……陛下からアストライアー侯爵閣下の護衛を頼むと言い付けられていますので……本当に残念でたまりません」
「本当に残念。ハインツ、今度、連れて行って貰おう」
副団長さまと猫背さんが肩を落としているけれど、猫背さんが副団長さまを宥めているとはこれ一体。明日は雨が降るのかもしれないと陽の沈む方角を見てみるが、まだ朝の早い時間帯である。夕刻に陽の沈む空を見て明日の天気を予想するには早すぎた。
私も魔人の村は気になっているから、私の時間の都合と陛下とディアンさまと魔人の少女の許可が取れれば村に赴いてみよう。その時に副団長さまたちを誘えば、今落ち込んでいたことも忘れ去ってしまうはず。やりたいこととやるべきことが沢山あるなと、ミズガルズ神聖大帝国の皇宮に赴く皆さまと私は顔を合わせる。
「じゃあ、行きましょうか」
「すみません、ナイさま。ミズガルズの皆さまにご紹介をして頂けるなんて……」
私の声にフィーネさまが半歩前に出た。フィーネさまはこのあとアルバトロス王国に戻って数日後に聖王国に帰国する予定である。エーリヒさまと過ごせる時間が少なくなるので、オーロラ鑑賞が彼女たちの思い出になれば良いのだが。
手紙で日常を共有するより、やはり一緒に行動を共にして同じ景色を見る方が幸せだろう。その意味ではオーロラ鑑賞は良い時間だったはず。オーロラの真相を知ると少々気落ちするかもしれないが、綺麗なことには変わりない。
「あまり気になさる必要はないかと。帰国された時に北大陸と縁があると聖王国の方々が知れば、フィーネさまのことを無下にできないでしょうから」
私はフィーネさまに迷惑ではないと伝えた。聖王国に戻って大変なのはフィーネさまである。彼女の性格上、聖王国の皆さまを見捨てることはできないだろう。それならば、彼女が確固たる立場や他国と強い繋がりを持っていると聖王国上層部の面々に知らしめれば、馬鹿な行動は取り辛いし彼女を貶めることもないはずだ。
そういう意味で今回のミズガルズ帝との謁見は彼女に取って好機である。ついでに第一皇女殿下たちとのお茶会も開かれるので、私が失脚してフィーネさまがアストライアー侯爵家を頼れなくなった時はアガレス帝国のウーノさまとミズガルズ神聖大帝国を頼れば良い。私は失脚するつもりは毛頭ないけれど、世の中なにが起こるか分からないので保険は多重に掛けておくべきである。
申し訳なさそうな表情をしているフィーネさまに私がゆるゆると首を振れば、彼女は小さく息を吐いて納得してくれた。偉い方同士の繋がりは手間がいろいろと増えるけれど便利な側面もある。
気を取り直してもう一度『行きましょう』と私が告げ、皆さまが頷きロゼさんの転移が発動する。本当に転移って便利だと考えていれば、ミズガルズ神聖大帝国帝都の外壁へと辿りつくのだった。そうして、北大陸でやるべき日程を済ませて、魔人の村から戻ってきたディアンさまたちと合流して……。
アルバトロス王国へ戻った。殆どロゼさんの転移頼りだったので、馬車や大陸横断鉄道を使用するより移動時間は随分と短縮されている。ロゼさんに感謝の意を伝えると『マスターに褒められた』と真ん丸ボディーをべちょっと平らにさせて喜んでいるようだった。
器用な喜び方だなと私が苦笑いを浮かべていると、毛玉ちゃんたちが私の足元を回り始める。どうやら彼らも褒めて欲しかったようで、私はしゃがみ込んで毛玉ちゃんたちに労いの言葉を掛けた。
ふふん! と胸を張る椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんに、首を傾げて良く分かっていなさそうな松風と早風の態度の違いが面白かった。そしてまた毛玉ちゃんたちの魅力に被弾してしまった某ご令嬢さまは嬉しそうに、身体をのけ反らせているのだった。
戻るや否や、子爵邸からお城に赴かなければならない。ミズガルズの帝都に寄ったついでに買い付けたお土産を屋敷の方に預けるなり、アルバトロス城へと向かう。
ディアンさまたちも亜人連合国に戻って荷物を一旦置いてから、アルバトロス城へ向かう手筈になっている。エーリヒさまと緑髪くんに副団長さまと猫背さんは一足先にお城に戻っている。アルバトロス上層部の皆さまは神さまの島でどんなことが起きたのか気になるだろうし、早く赴いた方が良いのだろう。
「さて、報告に行かなきゃね」
私の言葉にジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまが頷き、フィーネさまが『はい』と声を上げる。アリアさまとロザリンデさまは子爵邸の別館へと戻ってゆっくりして頂く予定である。
少々面倒なのは、神の島へ赴いたことで報告書を上げなければならないことだろうか。まあ、討伐遠征に帯同すれば報告書を上げなければならないので、お二人にとって難しいことではないだろう。
ディアンさまたちが子爵邸に顔を出し、みんなと一緒に屋敷の地下室へと入る。そうしてアルバトロス城まで一瞬で転移を終えるのだった。
◇
――嗚呼、胃が痛い。
謁見場にある玉座の前で平伏している目の前の少女は、破格の功績を上げているのに報酬に興味がないのだろうか。彼女が得た功績を考えればアルバトロス王国から独立を望んでも問題はないのだが、アストライアー侯爵は望まない。
叔父上曰く『金や地位や名誉に頓着していないし、人の下に就いている方が楽と考えているのだろう』とのこと。確かにアルバトロス王国の庇護下に属している方が面倒は少ないのかもしれない。各国の王たちと矢面に立てば、若いことを理由にぐちぐちと嫌味を放たれる。彼女の場合、功績が大きすぎて各国の王ですら嫌味なんて放てそうもないが。
それを踏まえれば、聖王国の黒衣の枢機卿はある意味大物だった……小物の中の大物と注釈が付くかもしれないことは黙っていた方が良いだろう。
私はふうと長く息を吐いて目の前の少女、アストライアー侯爵に面を上げよと伝える。数秒の時間を要して――おそらく直ぐに顔を上げては不敬になるとでも彼女は考えているのだろう――彼女は顔を上げる。アルバトロス王国、いや西大陸、いやいや、全大陸でも珍しい黒髪黒目を持つ彼女がアルバトロス王という小さな国土の王である私と視線を合わせた。
三年前、私と初めて顔を合わせた時は学院生の服を纏っていたというのに、今では特別な布で仕立てられた聖女の衣装を身に纏っている。
彼女が侯爵位を得ながら聖女の衣装を未だに纏っているのは、聖女を降りる気はないという意思表示なのだろう。教会で催される治癒院にまだ参加しているし、閉院するまで残っていると聞く。まだ名を馳せていなかった頃は治癒院の片づけを担い、神父から寄付替わりの物納を分けて貰っていたと聞く。小さなことで幸せを噛みしめる少女に貴族位を与えたのは酷なことかもしれないが、功績を上げたのだから受け取って貰わないと困るのだと私は口を開いた。
「アストライアー侯爵。神の島へ赴き無事の帰還、誠に大儀である。侯爵に同行した者も務めを果たし挙げたこと……――」
私はつらつらとアストライアー侯爵一行の行動を褒める。彼女の右横には亜人連合国の代表と白竜殿にエルフの二人が控えており、左横には聖王国の大聖女フィーネが膝を床に突いている。
どうやら創星神が彼らも神の島に招いたようで、アストライアー侯爵と一緒に島に赴いてバーベキューを本当に実行したらしい。我々貴族や王族に馴染みはないが、豪商や裕福な家の者が庭で炭火を熾して、肉や野菜を焼いて食べるのを楽しむものだとか。
神という至高の存在に無礼を働いていないかと最初は心配だったが、報告書を読めば創星神は快く許可を出したそうだ。
アストライアー侯爵たちが気軽に神と付き合えることが不思議であるものの、彼女の前世の生まれ付いた場所ではいろいろな神がいたそうで凄く身近な存在なのだそうだ。それ故、神に対する敬意が薄いのかもしれないと本人に教えてもらったことがある。
数時間前。神の島へ赴いた面々が一先ず出した報告書に大まかな出来事が記載されていた。一番最初に私が手に取った報告書はエーリヒ・ベナンターとユルゲン・ジータスが記したものである。彼らは報告書を書き慣れているようで、簡潔で客観的に記されており時系列も分かり易い。次にソフィーア・ハイゼンベルグ嬢とセレスティア・ヴァイセンベルク嬢が提出したものを、そしてジークフリード・ガルとジークリンデ・ロウが記した報告書に目を通した。
ハインツ・ヴァレンシュタインが記した報告書も有意義であるが、大量に魔術や幻獣と魔獣のことが記されているし、今回は神の島についての考察が大量に書かれていた。
つい最近まで魔術師団の隊舎に引き籠っていたヴォルフガング・ファウストも同様で、さっと目を通す時は少々難点である。後々、ゆっくりと落ち着いて目を通せば役に立つが。
アストライアー侯爵も及第点の報告書を上げるものの、先に上げた者たちの方が報告書の完成度が高い。というか時折彼女はうっかり大事なことを記し忘れる。いや、小さなことで書かなくても良いことなのだが、後々大きな問題へと発展するのだ。そういう意味でアストライアー侯爵よりも同行者たちの報告書に目を通しておけば問題が少なかった。
慣れてしまった労いの言葉を言い終え、私は聖王国へと戻る大聖女に視線を向ける。
「聖女フィーネは聖王国に戻るのだな?」
「はい。大聖女ウルスラや聖女さま方を残し私だけアルバトロス王国で日常を過ごせません」
私の言葉に頭を下げて、今回迷惑を掛けたことを再度謝罪する。彼女も大変な地位に就いたものだ。聖王国の大人と聖王国からアルバトロス王国に派遣された者たちが馬鹿をしなければ、聖王国の大聖女は飾りとして一生を終えるか、婚姻で大聖女の座から退位していただろうに。
とはいえ逃げない姿勢は好感が持てるし、アストライアー侯爵と縁を持っていることは最強の手札であろう。心配することはないかと彼女を見下ろし、亜人連合国の代表へと視線を向ける。
「亜人連合国の者たちも此度はご苦労であった」
「気にしないで欲しい。今回、我々が神の島へ赴けたのは彼女のお陰だ。魔人の村に赴くこともでき都合が良かった」
亜人連合国の代表が私に告げる。彼らは人智を超えた力を持っているのに、私を一国の王として認めてくれている。それは破格の出来事であり、アルバトロス王国が諸外国から一目置かれる要因となっている。
私のあとを担うゲルハルトは彼らと会話を交わすことになるが、きちんと振舞えるだろうか。心配は尽きないが、アストライアー侯爵と付き合いがあるので大丈夫だと信じたい。エルフの二人は相変わらず無言を突き通しているものの、初期の頃より随分と雰囲気が軽くなっている。
謁見場で軽い打ち合わせをして今回は解散となる。私が玉座から立ち上がり場から引けば、会場は少し騒がしさを取り戻す。
本当にアストライアー侯爵がアルバトロス王国へと齎した功績は偉大なものだ。小さく息を吐き、次に彼女に与えるべき報酬はなにが良いかと考えながら執務室へと戻る。しかし……神が降臨したアルバトロス王国と噂が広まれば大変なことにならないかと、私は腹に手を当てるのだった。






