1038:久方ぶりの。
グイーさまの情報によれば西の女神さまの自室の扉が開いたらしい。ご本人が部屋から出てきているかまでは分からないけれど、グイーさまには感じるものがあったようだ。グイーさまはご機嫌で、南と北と東の女神さまは『マジか……』みたいな感じで驚いている。
私も踊っただけでずっと閉まっているはずの部屋の扉が開くとはこれっぽっちも考えていなかたので、あっけなくグイーさまからの依頼を達成したことに驚いている。周りの方々も驚いているし、何故扉が開いたのかと疑問が増えていく。
「凄いぞ、ナイ! 数千年閉じ籠った娘の部屋の扉が開いた!」
がははと笑うグイーさまが私の背中をべしべし叩く。少し痛いけれど、我慢できないほどではない。私とグイーさまの足元では桜ちゃんを筆頭にぐるぐると周りを走って、部屋の様子を見に行かないの~と誘っている。
私がもう少しだけ待っていてと視線を飛ばせば、走る速度を落として五頭全員が地面にお尻を付けて『早く行こう~』と再度急かしていた。
「いえ、私が凄いのではなく、西の女神さまが外に出ると決心してくれたことが凄いのかと」
「謙遜するな。お前さんたちがいてくれなければ、我らは雁首揃えて見ているだけしかできなかった! よし、行こう。毛玉たちも娘を迎えてやってくれ!」
グイーさまはべしべしと私の背を叩いていた右腕の動きを止め、お屋敷の玄関を指差す。部屋の扉が開いたことを感知できたのは、お屋敷はグイーさまの力によって創造したからと教えてくれたのだった。
何故か私はグイーさまの隣を歩き、その後ろに護衛のジークとリンと三女神さまが歩いている。他の面々は少し距離を取って歩いていた。もう少し近くても良いのではと言いたくなるが、今は西の女神さまの生存確認が優先される。ミイラみたいに干からびていないよねと心配しながら、ふと疑問が勝手に口から出ていた。
「引き籠もっていた間、西の女神さまはご飯をどうしていたのでしょうか?」
私はグイーさまを見上げながら問うと、彼は私を見下ろしながら口を開いた。
「我々は神だからな。不老不死に程近い存在だから、食べなくとも問題はない……そんな渋い顔をするな、ナイ」
数千年間お腹が空いていることを想像したら、私の眉根に皺が寄る。お腹が空けば動く気力も湧かないし、バーベキューの匂いは西の女神さまにきつかたのではなかろうか。実行した私が考えることではないけれど。
「食べられないことを想像すると、どうにも……」
飢えるのはもう勘弁して欲しいし、できることなら飢えている人がいない世界であって欲しい。とはいえ、いろいろと難しいことは知っているので儚い願いであることも分かっていた。
「あー……お前さん、飢えていた時期があったものな。すまん」
「いえ。今はお腹一杯食べられるので幸せです」
グイーさまが後ろ手で頭を掻きながら謝ってくれるが、単に疑問に思っただけで他意はない。気にしないで欲しいと私が首を横に振れば、グイーさまがほっとしたような顔になる。
創星神さまなのに近所の小父さんレベルの対応で接してくれる。彼の腰が低いのは有難いけれど、大陸の皆さまに私とグイーさまの仲は良好であると知られたくないような。今後のことを考えているれば、いつの間にか女神さまの部屋の前に辿り着いていた。
「おお、扉が開いているぞ、ナイ!」
「本当ですね。開いて良かったです」
グイーさまは顔を明るくしているから、西の女神さまを心配していたのだろう。親子愛だなと感心しながら、部屋を確かめるのはご家族の方にと私は願い出る。そうするとグイーさまは三女神さまに部屋の中の確認を頼んでいた。
男性が女性の部屋に入ることが憚れるのは神さまの世界でも同じらしい。グイーさまに呼ばれた北と東の女神さまは南の女神さまの背を押して、少し扉が開いている部屋の前に立たせる。怪訝な顔を浮かべた女神さまは後ろ手で頭を掻きながら、小さく息を吐いた。
「あ? あたしが先頭を切るのかよ。たく、しゃーねえな。西の姉御、生きていると良いんだが……」
死んだから扉が開いたような南の女神さまの言い分であった。そうして息を吸った女神さまは右手を上げて握り拳を作る。
「おーい、西の姉御、入るぞー!」
声を上げると共に部屋の扉を思いっきりノックする南の女神さま。割と声も大きいので、西の女神さまが部屋の奥にいると仮定しているのだろうか。
「……返事がねえな。仕方ない、強制的に入るか」
「入ってはいけないなら、入れないでしょうしね」
「お姉さまの電撃を頂きたくはないですわね」
深く息を吐いた南の女神さまと、あらあらまあまあと少し困った様子で北と東の女神さまが片手を頬に当てている。もしかして北と東の女神さまが南の女神さまを前に立たせたのは、部屋に入ることを拒否される可能性を考えてだろうか。姉に逆らえない末妹って損な立場だなと南の女神さまに悲哀の視線を向けてしまう。
「親父殿、行ってくる」
「頼む」
南の女神さまの行ってくるが、逝ってくるに聞こえるのは気の所為だろうか。神さまなので死にはしないだろうが少し心配である。もう一度、南の女神さまは部屋の扉をノックして『入るぞー!』と大きな声を上げた。そうして南の女神さまが扉を開いて部屋の中へと入って行く。北と東の女神さまも彼女に遅れて入って行った。どうやら電撃を頂くことはなかったようで、私たち一行は胸を撫で下ろす。
グイーさまは真剣な表情で開いた扉の先を真剣に見つめていた。扉が勝手に閉まるようなホラー展開ではなくて良かったと安堵しながら、暫く待っていると三女神さまが戻ってきた。西の女神さまの姿は見えないので、結局は部屋に閉じ籠ったままだろうか。
「おーい、クロ。こっちにきてくれないか?」
扉と少し離れた所で南の女神さまが軽い調子でクロを呼ぶ。呼ばれたクロは小さく首を傾げて疑問符を頭の上に浮かべていた。
『ボク? 良いけれど、どうしたの?』
クロはこてんこてんと顔を揺らしながら南の女神さまに問う。女神さまたちは扉の側まで移動して、私の前に立ち肩の上のクロを見つめている。
「西の姉御がお前さんと話がしたいってよ」
南の女神さまが軽く息を吐いてクロを見つめた。
「どうやらなにかあるようですわ」
「お願いできませんか?」
北と東の女神さまもクロに視線を向けている。どうして西の女神さまがクロに興味を引いているのか疑問だが、竜が珍しいのかもしれない。
『お話くらいなら良いよ。でも閉じ込められたりしない?』
「大丈夫だ。あたしたちも一緒に行く。心配するな」
南の女神さまの声にグイーさまが『儂は? 儂は呼ばれていないの? ねえ、娘よ、無視しないでぇ!』とちょっぴり涙目になっている。
『ナイも一緒に呼ばれていれば良かったけれど、ごめんね。ボク、行ってくる』
クロがぐしぐしと私の顔に顔を擦り付けて、肩から飛び上る。そうしてくるりと身体を反転させて私と視線を合わせた。
「うん。こっちは気にしなくて良いから、西の女神さまを部屋から連れ出してくる大役、お願いします」
『できると良いけれどねえ』
私とクロが笑い合えば、クロは南の女神さまの前に飛んで行った。女神さまは右腕を胸の前にクロに差し出して、乗って良いぞと無言で訴える。クロは少し遠慮しがちに南の女神さまの腕に乗り翼を閉じた。そうして部屋の奥へとクロと三女神さまが進み姿が見えなくなるのだった。
◇
――ボクに話ってなんだろう。
西の女神さまとボクが関わったことはないはずだから、竜が珍しいのかなと首を傾げる。もしかして前のボクが彼女と関わっていたのかなと、受け継いだ膨大な記憶を探ってみるけれど良く分からない。
むむむと唸っても仕方ないので、西の女神さまとお話すれば分かる筈と南の女神さまの顔を見上げる。ナイに少し似ているのは、女神さまと彼女が黒髪黒目だからだろうか。それならばユーリも南の女神さまに似ていることになるけれど、少し雰囲気が違うんだよねえ。本当にナイは面白い子だし、ボクに腕を差し出してくれた南の女神さまも気さくな人物である。
『お話ってなんだろう?』
「さあな。クロは西の姉御と話すのは緊張しないのか?」
ボクが首を傾げると、南の女神さまが苦笑いを浮かべている。北と東の女神さまは彼女の後ろを静かについてきているだけで、お話の邪魔をする気はないみたい。
『女神さまだから緊張するけれど、結局は相手によるものかなあ……』
ボクは誰かとお話するのが大好きだけれど、相手もお話し好きとは限らない。前のボクが興味を持って誰かに話しかけてみても、逃げられたり敵意を向けられたりすることが多かった。ゆっくりとお話できた機会は数えるほどしかなかったなあ。もちろん竜族とはほとんど仲良くお喋りしていたけれど、それは前のボクが大地から産まれ出た力のある存在だったからだ。
「ナイもクロも肝が太いな。地上の連中はあたしたちに恐れ戦くけど、ナイとナイの回りの者たちはあんまビビんねえ」
『恐れられたいの?』
「うんにゃ。ナイたちの側にいると、女神の力を頼られることはないから一緒にいて楽だ」
もしかして南の女神さまが地上に頻繁に現れていたのはお友達が欲しかったのかな。まるで前のボクみたいだと苦笑いを浮かべそうになるけれど我慢をする。
同族や保護したみんなはボクを敬ってくれていたから、少しだけ、ほんの少しだけ距離があった。今のボクとナイとの関係は心地良い。前のボクの生まれ変わりと認識しているけれど、ナイは対等にボクと接してくれる。偶に馬鹿を言い合ったり、冗談を飛ばすのは楽しいものだから。
『女神さまも大変だねえ~』
「それで済ませられるクロがすげえよ」
南の女神さまが少し肩を竦めるけれど、ボクが平常心を保っていられるのはナイの回りではトラブル塗れだから。そしてナイはトラブルを解決する力を持っているから、こうして安心していられる。
さて、西の女神さまはどこにいるのかなと首を傾げると、大きなベッドのある部屋へと三女神さまが入って行く。部屋に入ると背の高い儚い雰囲気の女の子が窓際に立って、ボクに視線を向けていた。
「……ああ、君は。やはり――なんだね」
背の高い女の子が前のボクの名前をぽつりと呟けば、一筋の涙を流して一歩二歩と足を進めてボクたちの方へとくる。そうして彼女は両手合わせて手の平をボクの方へと向けた。
こちらにと誘われているので、ボクは南の女神さまの顔を見る。南の女神さまは一つ頷いてくれたので、向こうに行っても問題はないようだ。ボクは自慢の翼を広げて儚い雰囲気の女の子の手の平に乗れば、前のボクの記憶の奥底にある光景がぱっと浮かんだ。
『――あ』
「思い出してくれたの?」
儚い雰囲気の女の子は少し嬉しそうに笑う。でも前のボクと今のボクは違う存在だと伝えなければと、ボクは小さく首を傾げながら前のボクの一生がどんなものか彼女に語る。彼女は静かにボクの話を聞いてくれて、最後に残念そうな顔をしていた。
『ごめんね、前のボクは貴女が西の女神さまだったって気付いていなかったみたい』
「気にしないで良い。私は彼と対等な時間を過ごせたことが嬉しかった。そっか……長い時間の間にいろいろなことが起こっていたんだね。彼の最期を見届けられなかったのは残念だけれど……君という希望を残してくれたのか」
儚い雰囲気の女の子は残念そうな顔から綺麗な笑みを携える。前のボクの死を悲しむ者が多いけれど、新たに得た命を喜んでくれるのは有難いことだろう。
「うん。ナイのお陰だよ~」
「ナイ? ナイって誰?」
こてんと儚い雰囲気の女の子が首を傾げている。――ごめんね、ナイ。彼女の感情がイマイチ掴めないけれど、またトラブルが起きそうだと心の中で謝る。でも、多分きっと大丈夫だろうと西の女神さまの顔を見るのだった。
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