1035:懐かしい。
数千年振りに私の部屋の窓の外が騒がしい。何故騒がしいのか気になるけれど、確認するのが億劫でベッドの上から動かずにいた。
――私は、女神という役目の意味が分からなくなっていた。
西大陸は私がいなくとも勝手に進化している。人間は強かで頭が良く、私が面倒をみなくても生き抜ける生き物だ。不思議なことは彼らは己の欲を優先し、同じ種族で殺し合いをしていることだろう。
感情というものを与えたのが不味かったのか、それとも人間そのものの本能なのか。数が増えるにつれ諍いが起こり易くなり、規模も大きくなった。止めたい気持ちがあったものの、必要以上に西大陸に関わらないと決めていたので争いや戦を私が止めることはなかった。
「私がこのまま部屋から出なければ西大陸は滅んでしまうけれど……それもまた運命」
私が部屋に引き籠ったままでは西大陸の神力が下がり、大陸に生きる生き物たちは弱ってしまったり、大地に異変が起こるだろう。私が死ねば西大陸も滅びることになるが、滅んだ責任は父が背負ってくれるはず。
妹たちは元気に過ごしているだろうか。数千年の時間が経ち一度も彼女たちと顔を合わせていないけれど、西大陸からどうにか生き延びた生き物たちを保護してくれると良いのだが。
「はあ……つまらない」
部屋でじっとしているのは正直つまらない。つまらないけれど、大陸を観察するのも飽きてしまった。妹たちは飽きもせず各大陸を見守っているようだが、私は女神の役目という意味を見失っていた。
だから緩やかな死を目指して部屋に閉じ籠っている。
少し前に誰かが私の部屋の開錠を試みていた。父でも妹たちでもなく、島にいる神のものでもない気配を察知して誰か気になったものの部屋から出ては、せっかく近くなっている私の死が遠のいてしまう。女神として活動すれば命が伸びるように定められている。だからこうしてベッドの上でなにもせず、一日一日を過ごしているのだから。
「良い匂い。騒がしい……懐かしい?」
空いていないはずの私のお腹がぐうと鳴った気がした。外で父たちがなにかしているようで、部屋の中に良い匂いが立ち込めている。なんの匂いかと私の膨大な記憶を探れば、肉を焼いている匂いだと思い出した。
おそらくタレを付けてじっくりと焼いているのだろう。他にもなにか焼いているようで、肉以外の匂いも部屋の中に入ってくる。ずっとずっと昔に経験したことを思い出した。
大きな白銀の竜と共に肉を食べたっけ。味もついていないただの肉だったけれど。
西大陸を創造して生命が息吹き、人間が誕生した頃だった。どうしようもなく弱かった人間に知恵を施し、道具を与え植物の恵みを得るようにと施した。
食べることに難がなくなった人間は道具を作り、獣を狩って更に力を得る。もう私の庇護は必要ないと、なんとなく西大陸のとある場所をウロウロしていたら竜に声を掛けられた。
腹が減っているなら食べなさいと言われ、竜がブレスを吐いたけれど火力が強すぎて最初は丸焦げになった。
力が強すぎたことにしょぼくれている竜の姿が面白くて、私は周りにあった枯れ木を拾い火を熾して竜から貰った肉を焼いて食べたのだ。私は人間ではなく、生き物から超越している存在だから食べ物を口にする必要はない。とはいえ人間を模しているからお腹が鳴ることがあり、頭が勝手にお腹が空いたと発する。
大きな白銀の竜は私が肉を食べる姿を愛おしそうに見ていた。彼の住処に人間がくるのは珍しいそうで、お喋りをしてみたかったと言っていた。
私は人間ではないけれど、なんとなく気が向いて竜と暫く一緒に生活をしていた。彼は私にいろいろなことを教えてくれたが、彼から聞いたことは私は全て知っていた。でも、彼と話すことが楽しくて知らないフリをしたっけ。もう何万年も前の話で、西大陸に人間があまりいない頃のことだったはず。
白銀の竜と過ごした短い日々は楽しかったが、彼の下を離れて北大陸にある神の島で本来の役目を果たそうと、西大陸の管理を行っていたのだ。そして数千年前、西大陸の管理を行うことに飽きたのだ。
飽きたから死んでしまえば新しい命を授かるかもしれないと部屋に引き籠ってみた。ふいに思い出した白銀の竜の姿を頭に描く。彼は今、西大陸でなにをしているだろうか。
「あれ……どうして私は泣いているの?」
私の目にゴミが入った訳でもないのに、勝手に雫がポロリポロリと落ちていく。良く分からない感情に掻き乱される訳にはいかないと、右手を胸に当てて服をぎゅっと握り込んだ。
大丈夫。私は人間ではなく神であり感情なんて必要ない。私は、私が生み出した西大陸の最初から最後までを見届ける者だから。そこに感情なんて必要はなく、ただ起こった事実のみを受け入れて共に沈みゆくだけだ。
「また彼と話がしたいなあ……」
大きな白銀の竜と話した内容は本当にくだらないものばかりだったけれど……彼は私を女神ではなく一個人として認めてくれ、対等であると言い切ってくれた。私の気持ちを優先して何万年振りに下界におりれば大騒ぎになるだろうし、彼にも迷惑が掛かる。
穏やかで優しい声をしていた大きな白銀の竜は今、どこでなにをしているのだろう。せめて彼が望んでいた『生』を謳歌しているのならば私は満足だと、ベッドの上で静かに目を閉じた。
次に私が目覚めるのは何百年後だろうか。
◇
網の上に踊るお肉やお野菜が焼け、焼き肉奉行と化しているエーリヒさまが忙しなく、だが満遍なく誰かのお皿の上にお肉やお野菜と取り分けてくれている。グイーさまと南の女神さまはお腹が空いているのか、網の側を陣取っていろいろな食材を口の中に掻き込んでいた。
そんなに急いで食べなくても、材料は沢山あるし逃げはしないのだが。私は私で、私が食べたい品を網の上に乗せて自分で焼いて楽しんでいる。南の島の魚人さんたちが取ってくれた、食べても平気な二枚貝に甲殻類の味を楽しんでいる最中だ。
ダリア姉さんとアイリス姉さんもお野菜を沢山焼いて、味を楽しんでいる。子爵領で採れたとうもろこしさんが気に入ったようだが、エルフのお方がとうもろこしさんを頬張っている姿はちょっと面白い。
お婆さまも子爵邸の庭で採れたマンドラゴラもどきをご機嫌で食べている。妖精さんの食べ物は魔素なのだが、本当にお腹が空いていたようで魔素含有量の多いマンドラゴラもどきを食べているとのこと。お婆さまは本来は食べないのに、そんなになるまで、どこをほっつき歩いていたのか。
まあ、お婆さまが生きていて良かったと安堵しながら、私は伊勢海老っぽい甲殻類の尻尾の部分を割って身をほじくり出している所である。
「おーい、ナイ! このタレが肉に凄く合っていて美味いぞ!!」
グイーさまがお酒を飲みながら、エーリヒさまが焼いた肉を食べていた。タレというのはエーリヒさま特製の焼き肉のタレである。今回バーベキューを行うことになって、焼き肉のタレの作り方を知らないかとエーリヒさまとフィーネさまに問い合わせたところ、エーリヒさまが知っていた。
レシピを頂いて、子爵邸の料理人さんに作って貰い持参してきたのだ。材料は揃っているので問題なく作れたのだが、各国と縁がなければ諦めなければならないところだった。お醤油はフソウから頂いた品を使い、一味唐辛子はアガレス帝国から。他にも胡椒も必要だったので、フェルカー伯爵さまに頼んで最高級の胡椒を手に入れ、他の食材も彼のお店から手に入れた。
にんにく、しょうが、唐辛子、こしょう、さとう、はちみつ、みりん、しろごま、醤油、レモンと材料を揃えられたのは奇跡だろう。そしてレシピを手に入れられたことも。美味しいバーベキューができたので、最大の功労者の名をグイーさまに教えようと私は口を開く。
「あ、タレはエーリヒさまの発案です。お褒めの言葉はエーリヒさまにお願いします」
「エーリヒ?」
私の言葉にグイーさまが首を傾げた。どうやらエーリヒさまが誰なのか分かっていない様子である。自己紹介をしたはずなのに、覚えてくれていないのは少々残念だが紹介した人数が多かったので致し方ない。
「ずっとお肉を焼いてくれている方のことです」
私がエーリヒさまの方へと視線を向ければ、グイーさまが良い顔になった。
「おお、あの青年か!」
彼はそのままエーリヒさまの下まで歩いて行く。突然のグイーさまの行動にエーリヒさまは何事かと驚きつつも、グイーさまの顔を見上げた。
「エーリヒ。このタレは美味い! ナイがお主のお陰だと教えてくれた。良いものを生み出してくれて感謝する!」
グイーさまは大きな背を屈めてエーリヒさまと視線を合わせた。真剣な顔からにかっと笑う彼にエーリヒさまは驚いているが、答えなければ失礼にあたると口を開く。
「ありがとうございます。ですが、このタレは私の発案という訳ではなく……私は再現しただけです」
「それでも今の面子にエーリヒが居なければ食べることはなかった。ありがとう! タレを付けて食べると肉が更に美味いのだからな!」
エーリヒさまの言葉にグイーさまが豪快に笑いながら大きな手で彼の背を叩いている。痛そうにみえるが、グイーさまに叩かれたらその部分が丈夫になりそうだ。一応、彼も神さまだし御利益がありそうである。
「皆も食べろ! 遠慮はするなと言いたいが、今回の食材はナイが用意したものだ。食べる者はナイにも感謝するように!」
どうやらタレの感謝以外にも食材の感謝も述べてくれたようである。グイーさまの声に遠慮をするわけにはいかず、少し離れて見守っていた方たちが足を進めてお皿を手に取り、網の近くへ寄って行った。
それぞれ食べたい品を取りながら、エーリヒさまが焼けている焼けていないの判断を下している。フィーネさまが彼の側に寄って、嬉しそうに話を何度か交わし彼女はアリアさまロザリンデさまの下へ小走りで戻って行く。エーリヒさまはお肉をどんどん焼いているのだが、少しお肉の焼き加減の判断が甘くなっているようだった。
少し遅い青春かなと目を細めながら、伊勢海老っぽい海老を食べ終えた。殻に身が残っているのでお箸で身を取って、口に運んでいるとジークとリンが私の方を見る。
「ナイ、お肉食べないの?」
「一番楽しみにしていただろう?」
そっくり兄妹が私に声を掛けた。確かにお肉を一番楽しみにしているし、タレとレモンと塩胡椒といろいろと分けて楽しもうと画策している。
「もちろん食べるよ。ただ海産物はアルバトロス王国だと珍しいから食い溜めしてただけ」
私はジークとリンにもちろん食べますよと伝えれば、二人は小さく笑みを携える。そして私の肩の上で大人しくしていたクロが声を上げた。
『ナイは本当に食べることに貪欲だねえ。お肉も食べよう? きっと美味しいよ』
「クロは食べないじゃない」
『ボクは果物の方が好きだからね。ナイはお肉も好きでしょう?』
他愛のない会話を交わしながら、バーベキューを楽しむ。終わったら少し考えていることがあるので、頑張らないとと更にお腹に詰め込むのだった。