1034:気苦労は絶えない。
ご機嫌な様子で星を創造なされたグイーさまが、黒天馬のルカの背に乗って空を駆けております。わたくしはルカに乗った彼の姿を眺めていますが、少々ルカを占有し過ぎではないでしょうか。と、嫉妬を抱くもののミナーヴァ子爵邸でわたくしはよくルカの背に乗り庭を駆けているので、グイーさまを羨ましいと責めるのはお門違いかもしれません。
ですが、ルカはわたくしの指示に素直に従ってくれる可愛く賢い天馬なのです。取られてしまったと少々寂しい気持ちになり、空を飛ぶルカを羨ましいと眺めるくらいは許して頂きたく存じます。
空を見上げながら寂しさに涙を流しそうになっていれば、良く知る方が私の横に立ちました。そのお方は盛大に溜息を吐き、わたくしに視線を向けます。
「セレスティア。ルカを取られて悔しいのは分かるが仕事に集中しろ」
腐れ縁のソフィーアさんが呆れた声を上げて、わたくしを注意しました。確かにルカをグイーさまに取られてしまい悔しい気持ちはありますが、きちんと仕事はしております。
アストライアー侯爵の側仕えという栄誉な仕事を放棄するなどありえません。わたくしにとって二つの物事を同時に把握するくらい造作もないことですから。
しかし、グイーさまを乗せたルカは疲れないのでしょうか。かなり大柄な男性なのでわたくしを乗せるよりも疲れが早いはずなのに。未だにルカが疲れた様子を見せないのは特殊個体であるルカの特徴なのかもしれません。
「気を抜いてなどいませんわ、ソフィーアさん。わたくし、ナイが食べた品を言えますもの」
ナイはバーベキューの準備を終えたあと直ぐに焼き場の側に行き、ベナンター卿から焼けた野菜や肉を受け取っては口に入れて幸せそうに食べています。アガレス帝国から買い付けたさつま芋が好きなのか、肉と同等の頻度で口にしていました。白ご飯が欲しいとも仰っていましたが、今回は米を持参しておりません。
残念そうに肩を落としたナイに彼女の護衛騎士であるジークフリードさんとジークリンデさんが慰めておりました。そしてベナンター卿が『次の機会があれば飯盒で炊いてみましょう』と仰り、ナイは凄く目を輝かせておりました。
餌付けされている鳥のようですが、実際にジークリンデさんがナイに向かって肉を差し出しているので……餌付けなのでしょうね。少なくともジークリンデさんにとっては。ジークフリードさんもさり気なくフォローを入れておりますが、ナイが気付いておりません。
ジークフリードさんの容姿はとても良く、女性にモテております。それなのに今まで女性とお付き合いしたという噂もないですし、ずっとナイの側に控えているのは彼女のことを女性として意識しているのでしょう。
アルバトロス上層部もジークフリードさんの気持ちを理解しているようで、裏でこそこそと動いているようですが、ナイの鈍さにより手を出しあぐねているようです。ユーリを救ったことでアストライアー侯爵家断絶は逃れておりますが、アストライアー侯爵家の存続を真剣に考えるならばナイの直系が継ぐべきでしょう。
そもそも男性当主の家とは違い、現アストライアー侯爵家は女性当主でございます。嫌な言い方となりますが、子さえ生まれるならば種は誰のものでも良いのです。しかし無理矢理に添い遂げさせてナイが心を壊す場合もありましょうし、そうなれば亜人連合国どころか、今やグイーさま方がお怒りになられることでしょう。
グイーさま方と出会い親交を深めたことで、アルバトロス上層部、もとい陛下は凄く頭を悩ませる状況に陥っているのでしょうね。ナイに妙な相手は選べませんもの。
「自慢にならないだろ……まあ、警備はジークフリードとジークリンデに任せれば良いが、ナイは不意にとんでもない約束事を交わすことがある。聞き逃さないようにしてくれ」
ソフィーアさんが盛大に溜息を吐きながらナイの方を見ております。彼女もまたナイを気に入っている一人です。幼い頃になにやらあったようですが真相は知りません。真面目なソフィーアさんのことですから、きっとナイの貧民街時代を偶然にも見ていたのではないでしょうか。ナイは黒髪黒目で珍しい容姿ですから、幼少期とはいえ覚えていてもおかしくはありません。
わたくしはナイのことをどう考えているのでしょうか。
最初こそアルバトロス王立学院の特進科に何故平民が、と疑問視しておりました。聖女を務めているということで教会から後押しされ、勉強に励み特進科への転科は実力で掴み取ったと知り疑問は氷解しました。
教室の片隅で貴族に関わらないようにと務めていた姿に、当時のわたくしは彼女をつまらない人間だと評していた気がします。せっかく特進科という場にいるのだから、貴族と縁を繋ぎ成り上がってみせようとする気概をわたくしは見たかった。まあ、それも元第二王子殿下とアリス・メッサリナが引き起こした厄介事によって、彼女の評価はがらりと変わりました。つい先日のことのように思い出し、つい笑みが零れてしまいます。
「セレスティア、どうした?」
「少々考え事をしておりました」
わたくしが笑ったことに気付いたソフィーアさんが不思議そうに視線を向けました。
「ナイの側仕えになったのはヴァイセンベルク辺境伯家の命で最初こそ渋々でしたが、今では楽しんでおりますわ。もっと魔獣や幻想種がナイの周りに増えないかと望むのは贅沢でしょうか」
「望むのは自由だが、ナイが持て余すなら我々では手が付けられなくなる。犬や猫を飼い過ぎて、面倒をみきれなくなった貴族もいるからな」
確かに増え過ぎて面倒がみれなくなって周囲に影響を及ぼせば問題となります。しかしナイの魔力に惹かれて魔獣や幻獣の方々が好意的に接してくれているので問題は少ないはず。
おそらくわたくしの隣に立つ人物の真面目さからくる心配なのでしょう。もう少し彼女は大らかに生きても良い気がしますが、ナイのやらかしを考えると真面目な考えを持つ側仕えは必要でしょうねえ。わたくしは、面白いので止めませんもの。とはいえ、魔獣や幻獣の皆さまが困るのはわたくしにとって本末転倒な事態でございます。
「見極めは大事、ということですか」
子爵邸で暮らす魔獣や幻獣の方が生活に困る可能性は低いでしょうが、頭の片隅に置いておくべきことでしょう。
「そうだな。しかし……報告書を読んだアルバトロス上層部の方々がまた頭を抱えそうだな」
ソフィーアさんが小さく息を吐いて、グイーさまと三女神さまの方へと視線を向けました。ナイとお酒の話をしているようで持ち込んだ品をグイーさまが大層気に入ったようです。
「今更ですわ。ソフィーアさん」
ナイが破天荒な事態に巻き込まれて右往左往しているのは今更です。それに全て丸く収めて国に利益を齎しておりますもの。頭を抱えるよりも、王侯貴族であれば利用するくらいの勢いでいなければ。
彼女はまだまだ事件に巻き込まれるでしょう。そして新たな幻獣や魔獣の皆さまとの出会いも必ずあるはずです。わたくしはその日を楽しみに待っておりますわ。
◇
――はあ。
今頃、アストライアー侯爵は北大陸の更に北にあるという神の島でバーベキューを行っている最中だろうか。彼女から美味しい酒を教えて欲しいと頼まれたので私と歴代のアルバトロス王が好んで飲んでいた秘蔵のワインを提供したが、創星神たるグイーさまは気に入ってくださるのか。
アストライアー侯爵は食べ物と飲み物を沢山買い込んで神の島に赴いたと聞くが、アルバトロス王国の品々は神に気に入って頂けるのか凄く心配だ。昼日中の執務室だというのに仕事の手が進まない。
「胃が痛い」
不味い、なんて言われようものなら生産者に大打撃である。もしそうなれば生産方法から見直さなければならないだろう。品種に土壌や農機具の改良をするとして、一体何年掛かるだろうか。
専門職の者たちも、神に不味いと言われたから品種改良せよと命じられても頭を抱えるだけだろう。私はそんな無茶な命を下すことになるのだろうか。自棄を起こして酒を煽りたい所であるが、執務室には客がいるので飲むに飲めなかった。
「どうした、甥よ。情けない顔をしおって」
私の叔父が不敵な顔でこちらを見る。叔父上は相変わらずアストライアー侯爵が起こした状況を楽しんでおり機嫌が良い。私にも彼の肝の太さを分けて欲しいところであるが、私が叔父上の肝を手に入れれば西大陸全統治と言い始めそうだ。
私は父王の信念である『周辺国との平和路線』を引き継いでいる。次代の王であるゲルハルトも私の政治信念を引き継ぐのだ。私の代で周辺国を荒事に巻き込むわけにはいかないので、叔父上の肝を分けて貰うのは諦めよう。せめてキリキリと痛む胃が治れば嬉しいのだが、いつになれば荒れた胃が元に戻るのか。また息を吐くと、叔父上が怪訝な顔を浮かべている。
「叔父上、叔父上はどうして平気な顔をしていられるのです。神に酒を献上したことが気にならないのですか?」
私は叔父上にむっとしながら言葉を投げると、彼は口の端を釣り上げる。公務中であるが、半分は休憩時間のようなものである。叔父上に『甥』と呼ばれているので個人的な時間だと護衛の者たちに示しているので問題はない。私の疑問に叔父上は『何故そんなことを聞く』と少し首を傾げているので、補足をしようと再度口を開いた。
「不味いと神に告げられれば酒蔵の者たちが落ち込みましょう」
私のお気に入りであるワインが生産されなくなったとなれば、執務後の楽しみはなにをすれば良いのか。煙草も嗜みはするが、ワインほど旨いと感じたことはない。酒以外の嗜好品を探すとなれば骨が折れそうだ。
「気にしてもしかたなかろう。それに酒の好みは人による。ワシもナイに酒を提供したし、ヴァイセンベルク辺境伯も提供しているからな。不味いと言われることもあろうし、美味いと言われることもあろうて」
叔父上は困った顔をしている私を見て愉快そうに笑う。
「なに、上手く誤魔化せば良いだけの話。そもそも不味いとなればナイは報告にあげるまい」
確かに生産者には伝えなければ問題はないだろう。しかし神が不味いと言ったことが、どこかから漏れ出る可能性もある。アストライアー侯爵に就けた護衛の者から情報が出てくるかもしれない。そもそもアストライアー侯爵から報告に上がる可能性もあるのだが、叔父上は彼女を信頼しているのか隠すべきところは隠すと言い切った。
「確かにそうですが……言われた事実は消えませんよ」
「本当に不味いと言われたわけではないし、今、心配してもしかたないぞ。それより聖王国が潰れないか心配した方が良いのではないか?」
「叔父上、頭の隅に追いやって忘れていたことを思い出させないでください」
確かに聖王国は首の皮一枚が繋がっているだけである。彼の国が存続しているのは各国の温情があったから。おそらくアストライアー侯爵が残そうとしていることを嗅ぎ分けたのだろう。でなければ潰れていてもおかしくはないのだ。彼女がアルバトロス王国に尽くしてくれるのは、叔父上がいるからだ。
叔父上がいなければアルバトロス王国にいないか、アルバトロス王国も彼女の手によって潰されていたかもしれない。しかし三年ほど彼女を見ていると、国の頂点に立つのは面倒なことと捉えているようだ。本当に欲がない。欲がないからこそ、いろいろな事後処理を私が背負っているのだが、国同士のやり取りであれば問題なく捌けるようになってきている。
あとは私の想像の範疇を超えなければ、今以上に胃が痛くなることはないだろう。多分だが。
私の言葉にハハハと良い顔で笑う叔父上と公務を進めるのだった。