1029:惚気の時間。
侯爵領の視察を終えて数日が経っていた。人員交代のためにエーリヒさまと緑髪くんが聖王国から戻ってくるそうだ。
そんな理由があるためかフィーネさまのご機嫌がマックス良い気がする。手紙のやり取りで連絡を取っているようだが、やはり直接会えるのが一番のようだ。
エーリヒさまが戻って三日後には、北大陸の更に北の位置にある神さまの島へと赴くことになっている。グイーさまからの要望で友人を誘うことになっており、クレイグとサフィールに声を掛けると思いっきり首を横に振られ、アリアさまとロザリンデさまに声を掛けても遠慮され、シスター・ジルとシスター・リズに話をしてもやんわりと断られてしまった。こうなればカルヴァインさまでもと考えて私が彼に視線を向ければすっと逸らされたので、皆さま神さまの島へと赴くのは遠慮しているようであった。
誰か気楽に参加できる人はいないかなあと探してみるものの、なかなか見つからない。夜、子爵邸の自室のベッドで寝転がって、今後のことを考えていた。
「どうして誰もきてくれないかなあ……グイーさま嫌われてる?」
『単純にみんな緊張するからでしょ。ナイは誰とでも馴染むから』
クロが私の胸の上で首を傾げながら顔を覗き込んでいる。その姿があざと可愛いなあと目を細めるけれど、否定しておかなければならないことがあった。
「そんなことないよ。誰とでも直ぐに馴染めるなら黒服のあの人と仲良くなってるはずじゃない。まあ、絶対に有り得ないけれどね」
誰とでも馴染めるつもりはない。普通に接して貰えれば、時間が経つにつれて仲良くなっていっているだけである。私は神さまとか亜人の方と秒で馴染むと言う方がいるけれど、それぞれ人格や信念を持っているのだから人間と同じだろう。
少し違う所は人間よりも力を持っているという所か。私が気に入らなければ殺される可能性もあるが、その時はその時かと少々投げやりな所があるので、どうにでもなあれという私の気持ちが功を奏しているのかもしれない。
『ナイ、あの人みたいな口は大嫌いでしょう』
「うん」
『即答だねえ』
自室でクロと話して暫くすると、雷鳴が一度鳴り響く。最近、雷が一度だけ鳴り響くことが良くあるのだが、グイーさまは私たちの話を盗み聞きしているのだろうか。例えそうであっても、特に問題はないし彼に聞かれた所で笑い飛ばしてくれる傑物だろうと窓の外を見る。
夜空に光る双子星を見上げ、他の星々も綺麗に輝いていた。見えている星の中にも神さまが存在しているのだろうか。とりあえずグイーさまの奥方さまはテラという名で、どこかの星の管理を担っているらしい。
名前で想像するに地球によく似た星か、地球そのものの可能性があるけれど……関わることはないのだろう。だって私は生まれ変わりを果たして、今はグイーさまが管理する星に生まれ生きている。科学技術が発展して、テラさまの星に行けるようになるのは何千年と先の話だろうし……。
『ナイ~眠そうだね。おやすみなさい』
「クロ、おやすみ。みんなもおやすみなさい」
どうにかクロの声に返事をすれば、深い眠りに誘われて意識が落ちるのだった。
――翌日、朝。
アルバトロス城にある魔術陣に魔力の補填を終えて、私たちアストライアー侯爵家一行はお城のとある場所にある転移陣へと向かう。途中でフィーネさまとも合流して、転移陣で帰還するエーリヒさまのお出迎えと、新たに聖王国へ派遣される外務部の方のお見送り兼転移陣の魔力補給を担うことになっている。
フィーネさまは久しぶりにエーリヒさまに会えるので顔が緩くなっている。そんな彼女をみんなで微笑ましく見守っていると『変な顔で私を見つめないでください!』と抗議の声が上がった。ソフィーアさまとセレスティアさまは移動中は私的な時間と捉えているのか『無理だろう』『ええ。とても良い顔をなされていますもの』とフィーネさまを揶揄っている。
仲が良さそうでなによりとアルバトロス城の廊下を歩いて、転移陣のある部屋へと辿り着く。打ち合わせた時間まであと十分程度余裕があるので、魔術陣をしげしげと眺めながら向こうの反応を待っていた。数分後、転移魔術陣から淡い光が漏れ始める。どうやら聖王国側の準備は整い、あとはアルバトロス王国側の反応を待つだけである。フィーネさまが魔術陣が淡く光り始めたことに気付いて少し身を乗り出す。
「あ、光りましたよ、ナイさま!」
へらりと笑みを浮かべたフィーネさまが私の顔を見た。どうやらエーリヒさまが戻ってくるのが待ち切れないようである。微笑ましいなあと私は笑みを浮かべて魔力を練った。
「ですね。さて、繋げますか」
私の声にフィーネさまがうんうんと何度も顔を縦に振る。そんな彼女を横目に見ながら、自身の魔力を魔術陣へと通せば淡い光が強い光に変わって、魔術陣に描かれた文字をはっきりと照らし出す。
そうして一分も経たない内に、エーリヒさまと緑髪くんが魔術陣の上に姿を現す。以前と変わらない姿なので聖王国への出張業務が彼らにとって負担ではなかったようである。とはいえ慣れない国外生活だし、聖王国上層部の皆さま方に気を使――逆に向こうが気を揉んでいたかもしれないが――うだろう。
とりあえず帰国の挨拶をしなければと、私は一歩前に進み出た。
「ベナンター卿、ジータスさま、出張お疲れさまでした」
私が二人に目線を下げると、彼らも丁寧な礼を執る。礼の深さがお互いに違うのは、立場の違いによるものだ。本当はもっと気楽にいきたいけれど、護衛の近衛騎士の方もいらっしゃるし仕方ない。そしてお仕事だと割り切った。
「アストライアー侯爵閣下。お出迎え、感謝致します」
「閣下、ありがとうございます」
エーリヒさまと緑髪くんが挨拶をして、交代要員の方とも言葉を交わしていた。私は彼らが話し終えるのを待って、己の職務を全うしようと口を開く。
「次は交代要員の方ですね。聖王国側はなんと仰っていましたか?」
私の魔力は十分に足りているので今直ぐにでも転移陣に魔力を注ぎ込むのは可能である。とはいえ相手先にも都合というものがあるだろうし、こちらが準備を終えたよと少し魔力を込めて知らせても、向こうが準備完了していなければ待たなければならない。
魔力が増えているので、アルバトロス王国の障壁を展開している魔術陣に魔力を補填し、転移陣のお迎えと送り出しを行ってもまだ魔力は足りている。普通の方であれば障壁展開している魔術陣に魔力を込めただけで、精も根も尽き果てているはずなのに……私の魔力量は一体どこまで増える気なのか。
「三十分ほど待って欲しいと請われております。迎え入れる側の方が魔力の減りは少ないですが、先ほど消費したばかりなので……」
私の疑問にエーリヒさまが答えてくれる。なるほどと頷いて転移陣がある部屋で三十分ほど時間を潰させて頂く。その間に聖王国で起こったことをエーリヒさまと緑髪くんから話を聞き、黒衣の枢機卿さまは精神的に参っているものの牢屋の中で呪詛を吐き続けているとか。
止めを刺したいが、彼にはお金を稼いでもらわなければならない。機会があれば脅したおそうと決め、聖王国は不本意ながらも他国からの監視員を受け入れるようになったことを聞く。不満を抱えている方は多いだろうが、自分たちが責任を持って国政を担わなかったツケである。これでフィーネさまとウルスラさまに責任をおっかぶせるような事態になれば、今度こそ大聖堂は粉微塵にしようと決めれば三十分が経っていた。
「時間ですね」
「ええ。良い頃合いかと」
私とエーリヒさまの声に、交代要員の方が魔術陣の上に立つ。私は転移陣へと魔力を流せば、数秒後には転移陣の上に立っていた彼らが消えていた。無事に戻ってきますようにと願いながら、陛下と話をするために謁見場へとみんなと一緒に歩いて行く。
謁見が終わればエーリヒさまと緑髪くんに確認を取らなければならないことがある。忘れないようにと頭に刻み込んで、謁見会場へと進むのだった。
◇
聖王国での業務を終え無事にアルバトロス王国へと戻った俺とユルゲンは、国王陛下との謁見を済ませるため会場へと移動した。ナイさまとフィーネさまも一緒のようで共に向かっているのだが、毛玉ちゃんたちが外に出てふふんと肩で風を切りながら歩いている姿が微笑ましい。
微笑ましい光景だが、慣れない方はぎょっと目を見開いて驚いていた。そんな方たちに俺は言いたい。そのうち慣れるから今の内に驚いておけば良いと。
「ご苦労だった。真に大義である」
そうして俺たち一行はアルバトロス王国トップのお方との謁見を終え、外務部の執務室へと向かう。ナイさまとフィーネさまとは一旦別れている。その時に日を改めて慰労会を開きたいと打診された。特に断る理由もないし、ユルゲンも俺と一緒のタイミングで誘われていた。ナイさまの後ろでジークフリードが小さく頷いていたから、ユルゲンも誘って欲しいと願い出てくれていたのかもしれない。
「エーリヒさま!」
廊下を歩いている最中にフィーネさまに呼び止められた。ナイさまたちはおらず護衛の方しか連れていない。個人的な用事かもしれないと立ち止まり、俺は彼女と視線を合わせた。
「今回は聖王国のことで凄くご迷惑を掛けてしまいました。ジータスさまにもご迷惑を掛け、本当に申し訳ありませんでした」
「フィーネさまが謝らなくても。悪いのは彼の枢機卿でしょう」
そして聖王国の確りしない大人たちもだと言いたかったが、その言葉は飲み込んだ。もし俺が今の言葉を吐けば、目の前の彼女が傷つく可能性もある。聖王国でフィーネさまは大聖女として踏ん張ってきたのだから、多くの方と交流を持っているのは百も承知。その多くの中に確りしていなかった大人が混じっているかもしれないのだから。
「イクスプロード嬢は大聖女ウルスラさまと打ち解けていましたよ。あと聖王国の聖女の皆さまと一緒に独立機関を作ろうとしているようです」
俺はフィーネさまにイクスプロード嬢の近況を伝えた。彼女とフィーネさまが手紙のやり取りをしているのは知っているけれど、俺からも報告しておいた方が良いだろう。
ウルスラ嬢は黒衣の男と離れてから、いろいろと精力的に動いている。一般教養に聖女としての振る舞い方や大聖女としてどうあるべきかを、先々々代の教皇や教皇猊下に信のおける方たちから学んでいるようだ。彼女の側にはイクスプロード嬢と他の聖女さまも一緒である。聖王国側もこの機会に聖女の皆さまの知識の底上げを狙い、悪い方に騙されないように心掛けるようだ。
「アリサから軽く話は聞いていましたが、本当に動いているようですね」
「お金の管理を聖職者の方に任せておくのは不安があると仰っていましたから」
アルバトロス王国の教会も数年前まで聖女のお金を着服して私服を肥やしていた。それでナイさまが怒ったのだが、キレても仕方ないだろう。
「エーリヒさま。個人的にお話が……直ぐに終わりますので」
フィーネさまが俺から視線を外してユルゲンを見た。ユルゲンも状況を理解してくれて、俺たちと距離を取ってくれる。視界に収まる範囲内で、声が届かない位置へと移動してくれた。
「どうしたのです、フィーネさま?」
「えっと……本当は今回の件でアルバトロス王国に転がりこんでそのまま、なんて考えていました。でもやはり聖王国のことを放っておけません。でも私はエーリヒさまのことが大好きです」
彼女の突然の言葉に俺の顔が赤くなっていくのが分かるが、今は真面目な話をしている。きちんと聞かなければと背を正して、フィーネさまが俺になにを伝えたいのか耳を澄ませた。
そうして彼女は大聖女ウルスラが心配だし、イクスプロード嬢のことも気がかりなのだそうだ。もう少し彼女たちが精神的に大人になるまで一緒に過ごしたいとのこと。でも俺への気持ちは変わらないから、いつかは俺の下へ嫁ぎたいとはっきりと伝えてくれた。凄く嬉しいが、俺のような男で本当に良いのだろうかという気持ちと、俺も彼女に相応しくあれるようにと考えている自分もいる。だから。
「俺も貴方のことが好きです。だから貴女に、フィーネさまに似合う男になって今度は己の足で迎えに行きます。今少し待っていてください」
正直に今の俺の想いを目の前の彼女に伝えると、顔を真っ赤にしながら銀色の長い髪を揺らして。
「はい!」
凄く嬉しそうな顔を浮かべて短く返事を俺にくれるのだった。






