1028:約束実行日。
領主邸に戻った。今日は侯爵邸に一泊泊まるのだが、以前に約束していたヴァナルのみんなでお泊り会をしようと請われていた実行日である。今日だけで終わるつもりはないのだが、みんなが揃っているし侯爵邸の主室であれば広いので問題なく雑魚寝ができる。
夜ご飯を済ませて、女性陣が主室に集まり順番にお風呂を済ませているところである。
アリアさまとフィーネさまは楽しそうに笑いながらロザリンデさまをお風呂場へと連れて行った。介添えは必要ないようで、三人で気ままにはいるらしい。ソフィーアさまとセレスティアさまはお風呂に一緒に入るのかと思いきや『セレスティアと二人で入るなら一人で入る』『わたくしもですわ』と仰って、お一人で入ることになった。
介添えの侍女さんを付けているので、問題なく入浴を済ませられるはずだ。私はリンと一緒に介添えなしでお風呂に入る。リンと一緒に入るのは久しぶりだなと、彼女と視線を合わせれば幸せそうに笑っていた。
みんながお風呂を終えたあと最後に私とリンの番となる。当主なのに最後になった理由は、単純に最後で構わなかったこととお湯を都度張り替えているので順番はさほど問題にならなかったのだ。リンが私の隣に立ってお風呂セットを持っていた。私は座っていた椅子から立ち上がり湯上りパジャマ姿の皆さまに顔を向ける。
「それじゃあ、お風呂に入ってきます。クロは部屋で待っててね」
『分かった。アリアたちとお話してるね~』
クロが私の肩の上から飛び立って、アリアさまたちの方へと向かう。毛玉ちゃんたちが『遊びに行くの?』と、私の足元でつぶらな瞳を向けている。私は毛玉ちゃんたちにお風呂に入るだけと伝えると、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが毛玉ちゃんたちを呼び、彼らはぴゅっとヴァナルたちの下へと駆け寄った。
ヴァナルはお泊り会が楽しみなのか、普段よりも二回りほど大きいサイズに変化していた。私が乗ってもびくともしないし、リンが乗ってもビクともしないだろう。お風呂上りにヴァナルの首に垂れ下がってみようと考えていれば、みんなが私とリンを見る。
「行ってらっしゃいませ、ナイさま!」
飛んで行ったクロをキャッチしたアリアさまが良い顔で告げた。
「こんなことを言ってしまうのは変ですが、ごゆっくり」
フィーネさまは私がお風呂好きなことを知っているので、気を使ってくれているようである。とはいえ彼女はこの家の主人ではない。だからこそ前置きしたのだろうと少し可笑しかった。
「誰かと入るのは楽しいものなのですね。ようやく羞恥心が薄くなった気がします」
ロザリンデさまはやっと誰かと一緒に入るお風呂に慣れてきたようだ。リヒター侯爵家では一人でお風呂に入り、介添えの方に任せているのだろう。お喋りしながらゆっくりと湯舟に入るのは気持ち良いし、身を清めながらお喋りに興じるのも楽しい。お風呂の楽しさが分かってくれたならなによりと、私はソフィーアさまとセレスティアさまを見る。
「子爵邸より浴槽が深い。気を付けてな」
「あと長湯もお気をつけくださいませ」
お二人は私に注意点を上げた。侯爵家のお風呂は結構な広さがあるが、浴槽に入ったことはない。ソフィーアさまは私の背を考慮して危ないと教えてくれ、セレスティアさまは私が長湯をすると分かっていたようだ。
私は素直に頷き、問題があればリンが助けてくれると彼女の顔を見上げた。リンは小さく笑って『行こう』と告げ、私も一つ頷いて主室からお風呂場を目指し、部屋の外で待機していた案内役の侍女さんと共に廊下を歩いて行く。
侯爵邸は広く案内役の侍女さんがいなければ迷いそうである。お化けは出ないよね、と薄暗い廊下をきょろきょろ見渡していると、リンが私の手を握ってきた。私がお化けが出やしないかと心配になっていることは彼女にはバレバレで、大丈夫だよと言いたげに柔らかな顔で私を見下ろしているのだった。
「ご当主さま、私は廊下で待機しております。ご入用の際はお声掛けくださいませ」
侍女の方が丁寧に礼を執り、お風呂場の前で私たちと別れた。そうしてリンと一緒にお風呂場の脱衣所に向かいパパッと服を脱ぐ。そうしてリンと一緒に歩いて扉を開けると、湯気が立ち込めている奥に大きな浴槽が備わっている。
洗い場も完備されているし、お風呂場の隅には観葉植物がちょこんと置かれていた。お風呂の湿気の多さにやられてしまわないかと心配になるけれど、侯爵家のお風呂場に鎮座している植物である。
きっと湿気と暑さに強い植物なのだろうと目を細め、リンと一緒に掛け湯をして湯舟の中へと足から入る。少し熱めの温度に設定して貰っているから、肌が少しひりひりする。そのうち慣れてしまうと肩まで浸かろうとすれば、私の顎の位置まで水位がくるのだった。
「確かにちょっと深いかな。でも、王都の子爵邸のお風呂より広いよね。泳げそう。これならみんなで入っても良かったかな」
王都の子爵邸のお風呂と侯爵領領主邸のお風呂を比べるのは酷な話かもしれないが、当然侯爵領領主邸のお風呂の方が広い。そりゃもう広いのだ。みんなで入っても良かったなと少々考えを改めていると、リンがすすすと私の横へと寄ってくる。
「領地の本邸だから、広いのは当然じゃないの? みんなと入るのも良いけれど、私はナイと二人で入りたい」
リンが私に腕を回して膝の上に乗せる。リンの膝の上に乗ったことにより、顎まであった水位が肩より少し下になった。少し呼吸が楽だなと、私がリンの方へ背中を預けると彼女が静かに笑う。教会宿舎の小さな浴槽のお風呂で、リンと二人でよくこうしていた。随分懐かしいなと目を細めていれば、私のお腹に回されたリンの腕に力が入るのだった。
「最近、いろいろあったからね。でも聖王国の件もどうにかなりそうだし、ゆっくりリンとお風呂に入る時間捻出できるよ」
「うん」
私は少し身動ぎして、リンと視線をどうにか合わせた。西大陸での聖王国の評価がまたしてもダダ下がりしているが、もう落ちるところがないので今以上に落ちることはない。
あとは信頼回復に努めるだけだが、聖王国上層部の大人の皆さまは頑張れるだろうか。影からの報告によれば、フィーネさまを頼れないなら自分たちが確りするしかないと意気込んでいる方もいれば、右往左往しながらなにをすべきか分からない人もいるそうだ。
黒衣の枢機卿さまは牢屋の中で憔悴しているとか、いないとか。ウルスラを失ったとぼやいて、本来自身が受けるはずだった栄光を失ったことに嘆いているらしい。まあ、ウルスラさまのオマケだった人のことは置いておこう。私には彼よりも気に掛けなければならない方が多くいる。領地の皆さまに、アストライアー侯爵家に仕える人々、幼馴染組も勿論入っているのだから。
「リンは狭いお風呂の方が良かったかもね?」
「どうだろう。広いとナイと一緒に泳げる。どっちでも良いかな」
リンが私の肩に顔を置いてぐりぐりと顔を擦り付ける。クロじゃないんだからと言いたくなるけれど偶には良いかと受け入れた。
「あ」
「どうしたの、ナイ?」
「これからやらなきゃいけないことが一杯あるなーって……――」
フソウの引退忍者さんの受け入れ前にフソウに赴いて面接をしなくちゃだし、それと同時に毛玉ちゃんたちの移住計画の話を詰めなければならない。王都と領地の侯爵邸の荷物搬入に、引っ越しを済ませたあとのお祝いパーティーを開く準備もある。
パーティーは随分と先の話となるけれど、お誘いする方の選定や提供する料理を考えなければならない上に、拘る人はどこどこ産の材料を使うとかお酒の銘柄まで考えるとのこと。
住み慣れた王都の子爵邸を離れるのは寂しいけれど、侯爵位を賜ったし、エル一家やグリフォンさん一家とヴァナルたちのことやお猫さまのことを考えると、広いお屋敷の方が運動不足にならない。一番顕著に運動が必要なのはお猫さまなので、引っ越したあとはダイエットに励んで貰わなければ。
「盛りだくさんだね。でも、ナイがいればきっと楽しいよ」
「私もリンとジークとクレイグとサフィールがいれば、きっとなんでも乗り越えていけるから」
再度リンと視線を合わせて笑い合っていると、彼女がふいに笑うのを止めた。どうしたのだろうと私が首を傾げるとリンが口を開く。
「ナイ。その前に女神さまの引き籠もりをどうにかしなきゃいけないんじゃないの?」
「そうだ、思い出した。バーベキューの素材も選定しなきゃいけないね。リンはなにか食べたいものはある?」
リンの言葉で思い出した。思い出したので忘れていた訳ではない。一先ずリンと会話を続けねばと話題を振り、私の質問に悩み始めたリンに苦笑を浮かべた。
グイーさまと日程を決めなければならないのだが、近々で良い日はあるだろうか。友人を連れてきても良いとのことだから、フィーネさまも参加できるなら一緒に行きたい。しかしそうなるとフィーネさまはエーリヒさまが居なければ楽しくないのではなかろうか。でもエーリヒさまは皮肉なことに海外出張中である。
「うーん……お肉?」
「お肉かあ。脂が乗った霜降り肉が食べたいよね」
こちらの世界では赤身の牛肉が殆ど……というか、霜降りの牛肉なんて見たことがない。黒い牛はいるけれど、おそらく赤身のお肉だろう。どうやって品種改良をしたのか知らないので、フソウのナガノブさまに聞いてみようか。
しかしフソウも時代を考慮すると牛肉を食べる文化はあれど、赤身肉が主であろう。豚肉には馴染みがないようで、豚肉を食べているナガノブさまを周りの方は変わり者だと言っていた。牛肉の品種改良とも考えるが、まだまだ先の案件だなと首を傾げるリンを見る。
「シモフリ?」
「あ、そっか。リンには分かり辛いね。えっとね、前の話になるんだけれど、牛肉に細かい脂身が入ってて美味しいんだ。でも好みもあるし、慣れないと口の中が脂っぽくて美味しくないかも。こっちは赤みのお肉が多いし、羊や兎も食べるよねえ」
やはり、こちらの世界で霜降り肉は馴染みのないものである。リンは脂身の入った牛肉が想像できないようで片眉を上げている。そんな彼女の顔が面白くて私が笑うと、窓の外がピカっと光り轟音が鳴り響く。
「うわ!」
急な落雷に驚いて私は首を竦める。いきなりの出来事だったのにリンは私を守るためなのか、いつの間にか窓側に背を向けて体勢を変えていた。膝の上に乗っていた私は当然リンの腕の中なのだが、お互い全裸なので絵面が締まらない。暫く様子を伺ってみるが、大きな変化はなく安堵の息を吐いた。
「ナイ、大丈夫? 凄い音がしたね。窓も揺れたし……どうして急に雷が鳴ったんだろう」
「ね。驚いた」
リンと顔を合わせていると、扉の向こうから侍女さんの声が聞こえてきた。どうやら急な雷の音で私たちに変化がないかを伺いにきたようである。侍女さんの問い掛けに大丈夫と返すと、彼女はまた廊下で控えておりますと下がって行った。
「本当になんだったんだろうね?」
「ね?」
そのあと雷が鳴ることはなく、お風呂から上がり部屋へ戻ればみんなと一緒に先ほどの雷は驚いたと顔を合わせて暫く話し込んだあと、皆さまお貴族さまだというのに床でヴァナルたちと一緒に雑魚寝をする。良い思い出になったのかは、それぞれの判断で良いのだろう。






