1026:穏やかな話し合い。
――フィーネさまは聖王国へと戻ることが決まった。
今回は聖王国上層部のために戻るというよりも、アリサさまと大聖女ウルスラさまに、大聖堂で働く聖女さま方が心配だからだそうだ。根回しは済んでいるようで、聖王国の教皇猊下の許可は頂いているし、アルバトロスの陛下にも伝えているとのこと。
政治に関わることはないと告げてあるそうで、教皇猊下以外の聖王国の方々がしょんぼりしていたとか。でも教皇猊下が立ち上がってくれたので、今度こそ聖王国が真っ直ぐな道を歩けていけるだろうとフィーネさまと子爵邸の東屋で話しているところである。
私の後ろにはジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまも控えているので、半分公式のお茶会のようなものだ。とりあえず、侍女の方に淹れて貰った紅茶を一口飲んで、持ち上げていたティーカップをソーサーの上に戻した。
「不安だなあ……」
あの聖王国がまともな道をちゃんと歩めるのだろうかと、私はついぼやいてしまった。前回の事件から三年しか経っていないのに今回の件である。教皇猊下が腐敗を正そうと、黒衣の枢機卿さま以外にも追放や神職位の剥奪に、政に参加できる権利を奪われた方が随分いるとかいないとか。
他国から監視員も受け入れるので、表立っての行動は難しくなるだろう。裏に潜られると随分と危ないのだが大丈夫だろうか。
「……やはり不安ですよねえ」
私の正面で紅茶を飲んでいるフィーネさまも疑心暗鬼に陥っているようだった。彼女は聖王国に戻ることになっているが、戻ればまた他の方たちから頼られそうである。
そりゃ不安になっても仕方ないと思うのだが、私はアルバトロス王国の人間なので直接表で聖王国の政に関わることはできない。私が唯一できることは、フィーネさまの後ろにはアルバトロス王国とアストライアー侯爵家が控えているぞと聖王国のヘタレな皆さまを脅すことが関の山だろう。
「人の心は移り行くものですし、不祥事も続けて起こす企業が割とありますからねえ」
本当に人の心は簡単に心変わりをして、落ちたり昇ったりするものである。私だって貧民街で心を折っていたら死んでいただろう。そして前世のテレビ越しで観ていた大企業の不祥事とか不正も割と頻繁にあったし、またかということもあった。
政治家の皆さまもやらかして政治生命を絶たれたり、議員辞職して再選を目指していたりしていた。本当に大変だよなあと私はフィーネさまを見た。
「うぐ。あまり脅さないでください」
私の言葉にフィーネさまは顔を渋くしている。フィーネさまが聖王国に戻れば、誰かから頼られるのは確実そうである。それを避けるために生活の場所を官邸から大聖堂に移すとか。
最悪、市井の中に混じることも考えているそうだ。前回、聖王国が起こした不祥事は聖王国上層部しか知らない。勘の良い人は教皇ちゃんが退位したことでなにかあったと勘繰るだろうが、理由までは分からないし正解に辿り着くのも難しいはず。今回は教皇猊下が市井にも聖王国がやらかしてしまったことを噂として広めるそうだ。民の方から厳しい目を向けられば、多少の抑止になるだろうとのこと。
教皇猊下の言葉は本当のようで、アストライアー侯爵家の諜報員の方から聖王国の市井では『派手な黒い衣装を着込んでいた枢機卿がやらかした』『アルバトロス王国のアストライアー侯爵に喧嘩を売った』『そのお陰で大聖女フィーネさまが聖王国から出て行った』と盛り上がっているそうだ。
娯楽の少ないこの世界では本当に噂の流れる速度が異常である。で、あるならば次こそ問題は起こし辛いだろう。民から見放されるというのは国を運営している方々にとって痛手である。他国に流れれば税金が減少し、目的通りの維持運営ができないだろう。他国から聖王国に巡礼にくる方が減り、実入りが減るかもしれない。その辺りを常に頭の中においておけば、不用意な悪さはできないはず。
いろいろと考えていると、ふとやり残していたことを思い出す。
「そのようなつもりはなかったのですが……やはり脅しておいた方が効果的なのでしょうかね?」
そう。私は大聖堂を破壊して聖王国の方々を脅すつもりだった。教皇猊下やアルバトロスの陛下には行動に移すかもしれないと伝えていたが、結局私は大聖堂の破壊に至っていない。
黒衣の枢機卿さまの目の前で魔術をぶっ放し、心の拠り所であろう大聖堂を破壊すれば凄く落ち込んでくれるのではないだろうか。とはいえ、他の真面目な信徒さんたちに申し訳ないので全壊は無理だけれど。
「大聖堂を破壊すると仰っていたことですか?」
フィーネさまの言葉に頷けば、口の端を伸ばして引いている。一応、やると言ったからには実行しなければ嘘となるわけで。しかし真面目な信徒さんたちには申し訳ない気持ちがあるのだ。それに聖王国の大聖堂は西の女神さまを讃えているのだから、西の女神さまに怒られるかもしれない。もしくは嘆くだろうか。
「あ」
「どうしました、ナイさま?」
「大聖堂は西の女神さまを讃えていますよね。祀っているというよりは、信仰の場として機能しているというか……」
教会は日本の神社のように神さまを祀っていたり、悪神や邪悪なものを鎮めている場所ではない。説明は難しいが、皆さまの心の拠り所として女神さまが存在し、教会に訪れて祈りを捧げていれば良いことが起こる~というような教えが基本だ。
「ええ、そうですね。聖遺物等はありませんが、西の女神さまを敬い讃え、死後は女神さまの下へ還ろうと教えられています」
フィーネさまの言葉を聞いて、やはり教会は神社とは違うよねと元日本人的に考えてしまう。とはいえ神さまと交信する場所というなら同じ意味合いになるのか。
「大聖堂を壊せば西の女神さまが怒って部屋から出てきてくれるかなー……と考えたのですが、どうでしょう?」
私が頭の中でひらめいたことを目の前の彼女に伝えてみた。西の女神さまの引き籠もりが解消されるのであれば聖王国の大聖堂が消し炭になったとしても、聖王国の皆さまは凄く喜びそうだ。まあ、西の女神さまが引き籠もりから抜け出したことを証明しなければならないので、女神さまが現界して頂かなければならないけれど。
「どうでしょうと問われても困りますよ、ナイさま。そもそも脅すために一部だけ、という話でしたよね?」
む、とフィーネさまが口を膨らませてちょっと怒っていますよとアピールしていた。ワザとというか話の流れの上での茶目っ気だろうけれど。
「むう……竜の皆さんに一緒に聖王国にきてもらうのが一番無難かな」
「どうあっても聖王国の人を脅すつもりなのですね」
苦言を呈したフィーネさまは続けて、まあ良いですけれどと小さく息を吐く。今回のことはフィーネさまにも堪えたようだ。そりゃ頑張って聖王国を立て直したはずなのに、たった一人の男性によってまた問題が引き起るとは考えていなかったのだろう。ご愁傷様です、と言いたくなるのを我慢して私はもう一度口を開いた。
「恐怖は一番の抑止力でしょうからね。グイーさまにお願いすることもできますが、そうすると違う信仰が生まれそうなので止めておきます」
私は言い終えるとティーカップを持ちあげて口へと運ぶ。随分と飲みやすい温かさになった紅茶を、いつもより多めに口の中に入れる。
「ナイさま教とかできそうですものね」
あははーとフィーネさまが苦笑いを浮かべるが、私は私で驚いていた。
「ぶふぅ!」
口の中に含んだ紅茶は私の喉を通らず口から漏れ出し霧状に空に放たれた。一応、正面に座る方は聖王国の大聖女さまであり、アストライアー侯爵家の客人なので粗相をするわけにはいかないと顔は横に向けた。私の肩の上で機嫌良く過ごしていたクロが驚いて『うわっ!』と声を上げ、肩から飛び立ってジークの頭の上に避難した。何度か咳き込んで息を整えて正面を見る。
「フィーネさま、驚かせないでください」
「でも、ナイさまなら可能ではありませんか? ナイさま教でなくとも信竜教とか魔獣教とか設立できそうな勢いですし」
フィーネさま、それは一番言ってはならぬ言葉です。私の背後で凄い反応を見せている方がいて『是非、立ち上げましょう。ナイが面倒であればわたくしが全て手配いたしますわ!』とか言い出しかねない。というか、今彼女の頭の中で凄い勢いで設立のための手順を超高速思考していそうだ。
「魔獣や幻獣の皆さまには自由でいて貰いたいですし、勝手に信仰の対象になっても困るような……」
「あ、それもそうですね。ごめんなさい、軽はずみな発言でした」
フィーネさまが軽く頭を下げる。まあ、今後も子爵邸と侯爵邸には魔獣や幻獣の皆さまが増えそうなので、勘弁して欲しいというのが本音である。フィーネさまが頭を下げたことによって発言が取り消されたことになり、しょぼんとなっているお方が約一名いるようだけれど。
クロがジークの頭の上で『凄く落ち込んでる。ナイのことだからまた増えるよ』と未来を予見しているし、ソフィーアさまも珍しく『そんなものがなくとも、また出会えるさ』と落ち込んでいる某ご令嬢を励ましていた。
クロとソフィーアさまの言葉振りからすると、私はまだ幻獣や魔獣の皆さまを惹き付けるようである。ああ、でも。毛玉ちゃんたちが番を見つけて、また仔を産んだなら子爵邸でお世話をしたいなんて夢はあったりする。
産まれたばかりの時は落ち着かないし気が抜けないけれど、小さな仔たちが一生懸命生きようと、母親の乳を必死に探し求める姿はくるものがある。スヤスヤと小さく寝息を立てて団子になっている仔たちを見るのも幸せだから。
その前にヴァナルと雪さんと夜さんと華さんの新たな仔がまた産まれそうだけれど、いつになるのやら。一応、ヴァナルたちは次の仔をと考えているようだし、なるようになるだろう。
エルとジョセも一年出産を控えたから、今年か再来年はとか言っていた。グリフォンさんも卵さんが一個から二個に増え、最終的に四頭孵ったから凄くご機嫌で、ヤーバン王国へと向かう計画を立てている。あれ……やはり私は幻獣や魔獣の仔のお世話係から抜け出せなさそうだった。偶に竜の仔たちも遊びにきているし、本当に子爵邸は不思議な生き物のたまり場となっている。
私が小さく息を吐くと、フィーネさまが肩を竦めて口を開いた。
「直ぐに戻ると頼られるでしょうし、もう少し子爵邸でお世話になっても良いですか?」
フィーネさまが申し訳なさそうに告げる。本当は聖王国に在駐しているエーリヒさまに会いたいだろうに、いろいろと重なって会えず仕舞いとなっている。本当に黒衣の枢機卿さまがあんなやらかしをしなければ、大聖女ウルスラさまに後任を任せて大聖女の位を退き、エーリヒさまの下へと行けたのではなかろうか。
大聖女ウルスラさまは今の状態だとまた誰かに利用されるだけなので、確りとした後ろ盾の方が就き教育を施しているとのことである。勉強は苦手ではないようで、教えた知識を直ぐに吸収していっているらしい。まだ時間は掛かるだろうけれど二年も経てば十分な学力を得るのではなかろうかと考えられているそうだ。とにもかくにも、私はフィーネさまのことである。
「もちろんです。アルバトロス王国からも、フィーネさまが聖王国へ早々に戻るのは止めておいた方が良いと連絡が入っていましたしね」
フィーネさまが戻るのは聖王国の問題がある程度解決してからだろう。フィーネさまの滞在費は教皇猊下の懐から賄われているので、アストライアー侯爵家は問題ない。フィーネさまからも滞在費を頂いているが、そちらはお友達価格である。今少し、フィーネさまと日常生活を過ごすことになるなと、冷めた紅茶を飲み干すのだった。






