1025:極秘裏。
フィーネさまを聖王国から拉致ってきて三週間ほどの時間が経ち、聖王国の状況が少しだけ落ち着いて教皇猊下が極秘でアルバトロス王国入りを果たしている。案内役、というかアルバトロス王国に留学していた経験があるとして、アリサさまも教皇猊下と一緒にアルバトロスにきていた。アルバトロス王城の一室で聖王国一行とフィーネさまとアルバトロス上層部の面々にミナーヴァ子爵邸一行は対面を果たしている所であった。
ちなみにエーリヒさまは聖王国に残っているし、陛下はアルバトロスは怒っていますよアピールのため会議に参加していない。エーリヒさまは外交員として派遣されており、向こうで大事な会議の場に参加しているのだとか。その情報はアストライアー侯爵家の密偵の方が定期的に情報を齎してくれている。体調を崩している様子もないし、緑髪くんとともに向こうで頑張っているそうだ。
フィーネさまがアルバトロス王国に滞在しているというのに運に恵まれていないと考えてしまう。ジーク曰く、エーリヒさまは出世を早くしてフィーネさまを迎え入れたいそうなので、今回の件は功績に繋げるのではと教えてくれた。聖王国の大聖女さまを迎え入れるのに、どれだけの功績や爵位が必要なのか分からないけれど……今回の件で聖王国の地位が随分と落ちているのでハードルが幾分か下がった気がする。
「アストライアー侯爵、此度も多大な迷惑を掛けたこと本当に申し訳なかった」
教皇猊下が軽く頭を下げた。此度も、と言っているのは三年前の件も済まないと考えてくれているようだ。彼に倣って聖王国の他の面々も頭を下げている。そしてフィーネさまとアリサさままで頭を下げているので、私はこう言うしかないだろう。
「お気になさらず」
と、定番の言葉を吐くのみで、アストライアー侯爵として特に聖王国と関わることはないだろうとゆっくりと目を瞑る。私の隣に座っているハイゼンベルグ公爵さまが『面白くない』と言いたげな雰囲気を発しているのだが、自重してくださいと閉じていた目を開いた。公爵さまは私を見下ろして妙な表情になるものの直ぐに鳴りを潜めた。そうして今回の騒ぎの始末を付けるための話し合いが始まる。私は特に口を出すこともなく黙って聞いているだけ。
私が口を開けば聖王国側の方々が凄い形相になるし、お腹に手を当てて青い顔をしているから黙ることにしたのだ。それを見た公爵さまはもっと攻めろとサインを出していたけれど……聖王国から取れる賠償は少ないですしと暗に伝えると、それもそうかと深い息を吐いた。
どうやら公爵さま的には聖王国から搾り取りたかったようである。割とえげつないけれど、容赦のないところは流石公爵さまだった。そして公爵さまと私の無言のやり取りに気付いたフィーネさまの顔が引き攣っていて凄い顔芸を披露している。彼女の姿が少し面白いと心の中で笑ってしまったのは、一生の秘密にしておこう。
「今後、聖王国に入る寄付は各国の賠償に当てる予定だ。もちろん大聖堂の維持管理や運営に関するものまで充てる気はないのだが、神職者の懐に入る額は随分と下がる」
教皇猊下が仰ると、聖王国側の方々が苦虫を嚙み潰したような顔で耐えていた。どうやら信者の方々からの寄付が自分の所に入らなくなったことで、以前の生活を維持できないことを悔やんでいるようだ。早く支払いを終えられれば元の状態に戻すらしいので、それまでは我慢の生活が強いられる。フィーネさまがポカンとした顔をして、教皇猊下や聖王国の方々を見ている。
「ふむ。我々としては迷惑を被った分をきちんと払って貰えるならば文句はない。しかし猊下」
「どうしたのかね、ハイゼンベルグ公爵閣下」
「青い顔を浮かべている者は納得していないようですぞ?」
公爵さまと教皇猊下が悪い顔になって青い顔をしている方々を見た。公爵さまはいつも通りのお茶目を発揮しているけれど、聖王国で見た教皇猊下の印象が随分と変わっている気がする。なんだろう。今回の大騒ぎで覚悟がガンギマリして『もうどうにでもなーれ!』という状態に陥ってしまったのか。もう少し早く腹を括って欲しかったが、土壇場で決意できただけマシだろう。
「なるほど。彼の枢機卿は自身の上がった立場と金に溺れてしまった。だからこそ今回の件を以て、清貧を旨にしている教義に立ち返ろうとしているのだが……君たちは不満かね?」
「い、いえ! 滅相もございません! 女神さまの下で慎ましやかな日々を送り、信者の方々や女神さまを信じている方々と共に歩んでいこうと気持ちを新たにしている次第でして……」
教皇猊下の言葉に聖王国の一部の面々が左右に思いっきり首を振る。聖王国の台所事情を知らないが、潰れない程度に頑張っていればそのうち賠償も払い切れるはずである。聖王国の土地を抑えて賠償金を返せなければ没収となっていないだけマシだよなあと、エルフのお姉さんズの言葉に惑わされた国の方々に手を合わせたくなった。
「しかしアストライアー侯爵。貴殿が一番彼の枢機卿の迷惑を被っている。我々にできることはないだろうか?」
教皇猊下が私を見て困った顔になる。まあお金を受け取るだけでは据わりが悪いのだろう。だったらなにかしら求めても良いかと、背筋を伸ばして教皇猊下に視線を向けた。
「では、大聖女ウルスラさまに十分な教育を施して頂くことを願います」
私は教皇猊下に告げる。大聖女ウルスラさまは前に進む意思がある。過去に背負ったトラウマはなかなか消えることはないし、心の傷は自分自身や周りの方々が担うしかない。私にできることと言えば、目の前の彼に頼むくらいしかできなかった。
とはいえ、私が言って約束を取り付けたなら聖王国は実行しなければならない。丁度良い機会かなと考えて、ウルスラさまに教育をきっちりと施して頂けるようにと願うのだった。ふいにフィーネさまが身動ぎしつつ右手を挙げた。会議に参加しているものの、彼女は黙って聞いているだけと言っていたのにどうしたのだろうか。
フィーネさまが挙手をしたことに気付いた公爵さまと教皇猊下が一つ頷く。そうしてフィーネさまがゆっくりと口を開いた。
「話に割り込んでしまい申し訳ありません。私からも猊下と聖王国の皆さまに、ウルスラの教育をお願い致したく」
フィーネさまが心配そうな顔を浮かべて、聖王国の皆さまに願い出てウルスラさまの過去を語った。本当は人の過去を許可を得ていないのに暴露するのは如何なものかと言いたいが、今は公式の場で問題は少ないとフィーネさまは判断したはず。
私はウルスラさまの過去に背負ったトラウマを彼女から聞いていたが、聖王国の面々は知らなかったようで驚いている方がほどんどであった。その中で教皇猊下は難しそうな表情でフィーネさまの話に耳を傾けている。
「貧民街でどう過ごしていたか、本人に聞かなかったのは悪手でしたなあ」
公爵さまが生やした髭を撫でながら教皇猊下から私へと視線を移した。確かに私が教会に保護されて落ち着いた頃に、教会の方や公爵さまの使いの方から貧民街でどう過ごしていたのか、どう生き延びたのかと聞かれたことがある。単純な聞き取り調査だと考えて素直に状況を語っていたのだが、まさか負っているかもしれない心の傷まで加味してくれていたとは驚きである。
「ウルスラを保護した彼の者に任せきりにしていた。まさか彼女がそのような傷を負っていたなど……」
教皇猊下が渋い表情を浮かべる。心の傷は病気や怪我と違って、痛いと叫び辛いところがある。注意深く観察したり、長くお付き合いをしなければ分からないだろう。つい先日ウルスラさまの後ろ盾となった教皇猊下や先々々代の教皇さまに見抜けというのは酷な話だ。
「心の傷を完全に治すのは無理だろうが、軽くすることはできよう」
公爵さまは戦場に立っていたことがある。恐らくPTSDとなってしまった味方の方々を沢山見てきたのかもしれない。誰しも見えない過去があるのだろうと小さく息を吐いた。
今回の件でウルスラさまの心の均衡に問題があると知れたのだから、聖王国もいろいろと手を尽くしてくれるはずだ。あとはウルスラさま本人が心の治療に積極的になれるかどうかが問題だろうか。上手くいけば良いけれど……と願っていれば会議は殆ど終わっているのだった。そうして私たちアルバトロス王国組は会議室から退場するのだった。
◇
会議室で話を終えたアルバトロスご一行とナイさま侯爵家の面々は部屋から退室している。アルバトロス王国側は会議室に外交官と書記官だけを残して、誰もいなくなっていた。
今、会議室にいるのは聖王国の教皇猊下と彼と共にアルバトロス王国入りした聖王国上層部の皆さまのみである。アルバトロス王国側の方がいるので、妙な発言はできないと聖王国上層部の皆さまは固く口を閉じていた。一番場違いな空気を醸し出しているのはアリサだった。笑みを携えて小さく私に手を振っている。そして教皇猊下がふうと息を吐いて私と視線を合わせた。
「大聖女フィーネ、久しぶりだ」
「猊下。まさか猊下自らアルバトロス王国にお越しになるとは驚きです」
また息を深く吐いた猊下に私は笑うしかない。彼は二つの派閥に挟まれて肩身の狭い思いをしてきたのに、その二つの派閥のやらかしで事後処理を一手に引き受けることになった。本当であれば私も彼の側に控えていなければならないのだが、聖王国上層部の皆さまが私を頼るだけになってしまう。申し訳ないという気持ちと、仕方ないと考える心が私の中でせめぎ合っていた。
「驚くことはないだろう。大聖女フィーネが不在の今、動ける者が少ないからな。流石にご老体に動いて貰う訳にもいくまい。他の者は頼りないところがあるし、私が自ら動いた方が話が早いとなっただけだ」
教皇猊下の言葉に聖王国上層部の皆さまが小さくなっていた。素早く対応できるかたが聖王国に数名いれば、私はアルバトロス王国に逃げ込むことはなかっただろう。とはいえ終わった過去に執着しても仕方ない。聖王国はまた新たな道を進み始めるので、三度目の間違いを犯す訳にはいかない。ちなみにご老体とは先々々代の教皇さまのことだ。
「大聖女フィーネ。君の立場を守れず、アルバトロス王国に逃げざるを得なくなった不甲斐ない我らを笑ってくれ」
「猊下、お気になさらないでください。ところで、私は聖王国に戻りたいのですが、ご許可を頂けますか?」
私の言葉に聖王国上層部の一部の方がぱっと顔を明るくする。いや、貴方たちのために戻る訳ではないという言葉をぐっと堪えて、ウルスラとアリサに聖女さま方が気になるし先々々代の教皇さまに恩があるから戻りたいだけと付け加えた。
私が戻りたい理由を告げれば彼らは直ぐに渋面になっているのだが、本当に彼らは聖王国のために動く気はあるのだろうか。できなければまた粛清の嵐が吹き荒れるだろうし、今度こそナイさまが大聖堂を破壊しかねない。
それにナイさまは創星神さまを呼び出せるようなので、聖王国の権威なんて一瞬にして散ってしまう。その辺りも教皇猊下にきちんと伝えておいた方が良いだろう。次は本当に更生の機会なんて与えられない、と。