1023:フィーネさまの今後。
聖王国では黒衣の枢機卿に処分が下り、教皇猊下を筆頭にいろいろと動き始めたようだ。
エーリヒさまから届く手紙には聖王国の様子や私に近しい方のことが記されており、凄く気を使って頂いていることが伺える。
アルバトロス王国で過ごすようになって、エーリヒさまと会える時間が増えるかな、なんて考えていたのだが彼は外交員として聖王国へと向かった。会いたいけれどお仕事ならば仕方ないし、私がアルバトロス王国とナイさまを頼ったことが原因なのだから文句は言えない。今少しナイさまのお屋敷でお世話になる日々が続きそうだった。
ナイさまのお屋敷は不思議生物以外にも可愛い子がいる。ナイさまに毎日会う許可を伺えば、体調の悪い時以外は構わないですよと直ぐに許しを頂けた。まだ小さいし条件が付くかもしれないと考えていたのだけれど、事情が事情で沢山の人に会って刺激を与えて欲しいとナイさまは笑って許可をくれたのだ。
そんなことなので今日の午前中は、子爵邸の別館で過ごしているアリアさまとロザリンデさまと共に本邸のとある部屋でユーリちゃんと遊んでいる。首も座り、ハイハイにつかまり立ちもできるから、乳母さんたちは怪我をしないようにと気が気ではないらしい。怪我を負っても聖女がいるから気にしなくても良いのではと思ってしまうが、まだ小さいから大事になる可能性が高いと考えているようだった。
「可愛い……」
私はユーリちゃんを膝の上に乗せてぎゅーっと抱きしめている。少しお行儀が悪いけれど、絨毯の上に腰を下ろしていた。ミナーヴァ子爵邸の二階と一階の一部の部屋は土足禁止となっているので、服が汚れることはない。
小さな子供特有の高い体温が服越しに伝わり、なんだか幸せになってきた。そして私の顔がにやにやと緩んでいることも分かる。ユーリちゃんはやべー奴に抱っこされていると感じたのか、いやいやと手を動かして逃れようとし始めた。
「んー……! ありゃ、残念」
私が抱きしめた腕を緩めてユーリちゃんを解放すると、ゆっくりと膝の上から降りて『あ~』と言いながら乳母さんの方へと移動する。新参者の私には慣れていないが、人見知りをしないから将来は大物になりそうである。
ユーリちゃんは魔力量も多いようだし、ナイさまの異母妹だから、彼女のやりたいことをやれるはず。将来はどんな道を目指すのだろうか。冒険者になりたい、なんて言い出せば一悶着ありそうだ。そして盛大な姉妹喧嘩が始まるのだろうか。竜と虎の対決になってアルバトロス王国が滅びるところを想像してしまった。
「抱かれているのが飽きてしまったのでしょうか?」
「そのようですわね」
私が妙なことを考えているとアリアさまとロザリンデさまがくすくすと笑みを浮かべて、私から逃亡したユーリちゃんと乳母さんを見ていた。ナイさまは領地運営のために執務室で仕事を頑張っている最中だ。
そろそろ終わる時間と聞いているので、もしかすれば部屋に顔を出すかもしれないと言っていた。ナイさまのことを頭の中で考えていると、部屋の扉から二度ノックが鳴り響いた。
乳母さんが『どうぞ』と軽く声を上げれば、ナイさまが姿を現す。彼女の後ろにはジークフリードさんとジークリンデさんが控えている。ナイさまを見たユーリちゃんは乳母さんの足元からナイさまの方へと方向転換している。
「お疲れさまです。フィーネさま、アリアさま、ロザリンデさま」
ナイさまが私たち三人の名を呼び、乳母さんにも声を掛けた。ユーリちゃんが問題なく過ごせているのか聞いているようだ。ナイさまの足元から毛玉ちゃんたちがぴゅーとユーリちゃんの下に駆け寄って、彼女の周りをくるくると動いている。
毛玉ちゃんたちはユーリちゃんと遊びたいけれど、身体の大きさや力の違いを理解しているようで無理はしないようである。ゆっくりとナイさまの下へ進んでいるユーリちゃんと共に『頑張れ』『急ごう』『もう少しだよ』とでも告げているようだった。クロさまもナイさまの肩の上でユーリちゃんは大丈夫かなと心配そうに首を左右に傾げながら見守っていた。
ナイさまもマメな人である。自分の異母妹と知ってユーリちゃんを直接預かっているのだから。貴族位を持っている方なので、ややこしい事態になりかねないと判断すればユーリちゃんの命がなかった場合もあり得るし、どこかに売り飛ばされていたかもしれない。面倒はみたくないと誰かに預けていた場合もあるだろう。
ナイさまがそんなことをする訳ないけれど、可能性としてあったのだ。本当にそうならなくて良かったと、ナイさまの下へと向かうユーリちゃんに視線を向けた。
「ユーリは良い子にしてたかな?」
ナイさまは自身の下に辿り着いたユーリちゃんをゆっくりと抱き上げる。ユーリちゃんは声を上げないけれど、落ちてしまわないようにとナイさまに手を伸ばしていた。
ナイさまの足元で毛玉ちゃんたち五頭がはち切れんばかりに尻尾をぶんぶんと振っていて、私たちも構って~と訴えているように見える。ナイさまがユーリちゃんを片腕で抱いて、毛玉ちゃんたちの頭を撫でると満足したのかぴゅーと駆けて私たちの下へとやってきた。
絨毯の上に座る私たちに構って欲しいようで、私とアリアさまとロザリンデさまの下で伏せの格好で訴えた。そして構えと前脚を器用に片方だけ上げて膝の上にちょこんと置かれた。可愛い。
「ユーリちゃんは人見知りをしませんねえ。私が抱き上げても泣かずに暫く膝の上にいてくれましたよ」
ユーリちゃんはナイさまに答えられないので代わりに私が言葉を返す。知らない人に抱かれれば、小さな子供や赤ちゃんは泣いてもおかしくはない。ユーリちゃんは子爵邸にいる人は安全とでも認識しているのだろうか。分からないけれど、本当に良い子なのだろうなと私の頬が緩む。
「毛玉ちゃんたちの洗礼を受けたのが良かったのか、ユーリの相手を人が務めると特に気にしないんですよね……少し不安はありますが、以前よりも泣いたり笑ったりしてくれて普通の小さな子供です」
ナイさまの言葉に毛玉ちゃんたちが尻尾をだらんと下げていた。毛玉ちゃんたちの様子に気付いたナイさまが慌ててフォローに入っている。ナイさまが困っている姿に私とアリアさまとロザリンデさまが笑っている平和な時間だった。
ユーリちゃんの部屋から出て、一度別れて昼食を取る。希望を出せば日本食を頂ける贅沢な子爵邸のご飯には本当に頭が上がらない。子爵邸で働く料理人さんの努力の痕跡が凄い。慣れていない料理だろうに、味を凄く再現できているのだ。
ナイさまが元は日本人だったこともあるのだろうけれど、彼女曰く、エーリヒさまから頂いたレシピが役に立っているそうなので嬉しいし、私の彼氏は凄いなあと鼻が高くなりそうだった。
本日のお昼はオーソドックスな品だった。前菜二品にメインにお肉が出され、最後にデザートまで付いてくる。子爵邸の別館でアリアさまとロザリンデさまと共に食事を終えて、私だけ子爵邸にある東屋に足を向けた。
約束を取り付けたナイさまは既に東屋の席に座って、整備されている中庭に目を細めながらクロさまとジークフリードさんとジークリンデさんと会話を交わしている。
直ぐ近くにはソフィーアさまとセレスティアさまも控えていた。秋の風が吹き込みお嬢さま方は目を細めながら後れ毛を抑えている。お邪魔するのは申し訳ないけれど、お互いに話があるのだから向かわなければと歩いている速度を上げた。
「ナイさま、お待たせしてすみません!」
東屋にあるステップを二段登って、ナイさまの下へと辿り着いた。少し息を切らしている私に彼女は少し目を開くものの直ぐに笑みを携えた。
「いえ。私が早く着いたようなので気にしないでください」
私の顔を見上げてへらりと笑うナイさまの表情を見て思う。そう言えば気を許している人にしか見せない顔ではないだろうか。もちろん同性という気安さもあるのだろうけれど、前教皇さまや黒衣の男性には絶対に見せない表情だ。
ナイさまが私を席へと導いてくれれば侍女の方がお茶を差し出してくれた。そしてお茶菓子は綺麗にカットされた果物だった。南の島から頂いた品のようで、マンゴーやバナナだった。
「クロには料理長さんがマンゴーを選んでくれたよ。甘いの好きだよね?」
ナイさまがクロさまへと丸ごとマンゴーを差し出した。どうやらそのまま食べるのか、はたまた脚の爪で器用に切り分けるのか。どうなってもクロさまが大きいマンゴーと格闘しながら食べる姿を見られるだろう。
セレスティアさまも嬉しそうな顔を浮かべてクロさまに視線を向けていた。そしてソフィーアさまが彼女の背を凄い勢いで叩いた。日常風景になってしまっているのか、ナイさまは生粋のお嬢さま二人の行動を気にも留めていない。
『ありがとう、ナイ。ボク、甘いの好き~』
えへへと嬉しそうにマンゴーをクロさまは眺めて、ナイさまの肩の上から机の上に飛び移った。マンゴーの上には厚手の布が敷かれているので、汚しても問題はなさそうである。
毛玉ちゃんたちも頂戴と鼻をピーピー鳴らしているのだが、彼らの分はあるのだろうか。心配になっていると別口で侍女の方が果物をナイさまへと預けた。どうやら毛玉ちゃんたちとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんの分のようだった。少し遠くでエル一家とグリフォンさんが顔を覗かせているから、暫くすればこちらにきそうだ。
「甘いで思い出したんだけれど桃が食べたいなあ。ナガノブさまに聞けば分けてくれるかな。あ、でも忙しいだろうから越後屋さんに聞いた方が良さそうかも……」
ナイさまが目を細めて桃に思いを馳せている。そういえば西大陸では珍しいので、フソウを頼った方が早そうだった。ナイさまの言葉にクロさまがこてんと首を傾げた。
『ナガノブの立場もあるし、ナガノブに聞いた方が良いんじゃないかなあ?』
「そうしようか。さて、フィーネさま。身内しかいないのでお茶を嗜みながら聖王国の近況報告会としましょうか」
クロさまに苦笑いを向けたナイさまが向き直り、私に言葉を投げた。そうして聖王国の近況を知る。どうにか私がいなくても立ち上がることができたようだが、また同じ轍を踏まない策が弱いかなあと頭を抱えてしまう。
「うーん……私は聖王国の敵となった方が良いのでしょうかねえ」
「ナイさまが悪役を演じる必要はないかと」
聖王国がナイさまと敵対すれば、ナイさまを利用しようと企む方はいなくなる……というかそうなると聖王国が滅ぶ未来しか見えないのだけれども。
「聖王国が団結できるなら、必要悪のような気がします」
確かに纏まるのかもしれないが、ワザと悪い立場にならなくても良いのではないだろうか。いや、聖王国が確りしていないからナイさまにこんな言葉を言わせてしまっている。現にジークフリードさんとジークリンデさんは良い顔をしていないし、ソフィーアさまとセレスティアさまも微妙な顔でナイさまの真意を伺っていた。
「それは最低最悪な事態に陥った場合の最終手段として頂ければ、私は嬉しいです」
「フィーネさまは聖王国にお戻りになるのですか?」
「落ち着けば、そうしようかと。アリサとウルスラを放っておけないですしね」
聖王国が落ち着けば一度は戻って、先々々代の教皇さまと教皇猊下にもご挨拶にいかないと。私の勝手を許してくれたのは彼らであるし、お礼を言わなければ。
それに教皇猊下が意を決して旗を振り始めたのだから、大聖女の位に就いている私がいなければ彼の立場を悪くするかもしれない。ただ今戻るのは早いかもしれないと、ナイさまに時期を見定めたいと伝えるのだった。






