1022:彼らは岐路に立つ。
――彼らがまともな判断を下せるのだろうか。
渋面になりながら頭の中で俺が導き出した気持ちだった。そして、俺の隣に立っている同僚のユルゲンも聖王国の状態に目を細めて呆れている。今、聖王国の官邸で黒衣の枢機卿に罰がくだされようとしていた。教会風に言えば彼に審判の時が訪れたとでも言えばいいか。
正面の上座には聖王国の教皇猊下が席に着き、少しズレた横の位置に聖王国で政を担っている偉い方々――恰好からしていずれも神職だろう――が椅子に腰を下ろしていた。どうにも偉い方々は俺たちアルバトロス王国の面々がいることに落ち着かないようで、チラチラと視線を投げられている。
「他国の介入が気になるのでしょうね、エーリヒ」
「ユルゲン。それなら最初から国を確りと運営すれば良いだけじゃないか」
渋面のユルゲンに俺も渋面を浮かべて返事をする。ナイさまのお金を奪って反省というか、妙な人たちを一掃したかと思えば三年経ってまた同じ道を歩もうとしているのだから、人間というのは愚かだなと考えてしまう。聖王国、大聖堂のご本尊である西の女神さまは自室に引き籠っているので、それが影響しているのだろうか。いや、女神さまに責任を負わせる訳にはいかないとユルゲンと再度視線を合わす。
「宗教国家ですから、難しい面もあるのではないでしょうか。でもエーリヒの言う通り、聖王国には確りして頂かないと……三度目があるなら各国も呆れるどころか見放すでしょうしねえ」
ユルゲンが苦笑いをしながら俺に告げた。聖王国で三度目の不祥事があったなら、各国から聖王国とは縁を絶つと言われそうだ。そもそも各国の宗教は聖王国に頼らずとも独立している。ただ女神さまを奉る総本山として聖王国は今でも、西大陸中の庶民の方々から愛されている。
二度あることは三度あると格言が生まれそうな状況だが、三度目が起こればフィーネさまの苦労が報われない。俺は彼女が望む未来に進むようにと願ってこの場に立っている。真面目に話を聞いていようとユルゲンに伝えると、聖王国の教皇猊下が一つ咳払いをした。
「皆、集まって貰ったのは彼の枢機卿の処分を決めるためだ。我々に助言を勧める大聖女フィーネはアルバトロス王国に保護され不在。この事実をきちんと把握できている者とできていない者がいる」
誠に嘆かわしいと教皇猊下が告げれば、顔を青くするお歴々が割といた。マトモな方が少なそうだが、聖王国に明るい未来はあるのだろうかと心配になってくる。どうすれば聖王国にとって最善の道なのか考えてみるものの、良策なんて浮かばない。
ただ他国の意見を採用しているようでは聖王国が自立できない。どうにかなってくれと、心の中で祈るばかりだった。
「さて、彼の者を連れてきてくれ」
教皇猊下の声に護衛の方が『は!』と短く答えた。暫く待っていると黒衣の枢機卿が護衛の方々に囲まれて部屋にやってきた。目に生気が宿っているので心が折れてしまった様子はなく、数日間の牢屋生活は彼にとって酷いものではなかったのか。
聖王国とアルバトロス王国に面倒をかけたのだから、反省して欲しいのに男の目には『まだ諦めていない』とアリアリと雰囲気が出ていた。
「猊下、私はなにもしておりません! ただ聖王国の素晴らしさを各国に伝えたかっただけ! それをアストライアー侯爵が勘違いして、私が付け上っていると申したのです! 私は大聖女ウルスラの後ろ盾。私を失えば聖王国は各国からも信徒からも見放されてしまう!」
教皇猊下の前に差し出された黒衣の枢機卿が声を高らかに上げた。確かに聖王国の素晴らしさを説くのは大聖堂に属する神職者の務めだ。でも他国に迷惑を掛けてまで行うことではない。
彼の場合、聖王国の聖女とアルバトロス王国の聖女を比較しようとした。比べることの意味は薄いと何故彼は気付けないのだろう。反省していれば罪が軽くなる場合もあっただろうに、黒衣の枢機卿には反省のはの字もないらしい。
「どうしてそのように欲望が肥大してしまったのか。三年前の君は熱心な神職者だったというのに……」
教皇猊下が深く息を吐いて過去を憂いている。黒衣の枢機卿が三年前はまともな神職者だったという事実が呑み込めないが、猊下が仰るのであれば本当なのだろう。猊下は男を既知であり、三年間の行動を知っていたのかもしれない。
「処分を下す。枢機卿と神職の位は剥奪、財産の全没収……国外追放すれば君が作った借財と過去の借財を返せないのでな。炭鉱送りとしよう」
教皇猊下が黒衣の枢機卿に処分を下した。黒衣の枢機卿の味方であった人物は青い顔をしている。自分も同じことにならないかと冷や冷やしているのだろう。一方で今回騒ぎを起こした者の処分が温いと感じている人もいるようだった。小さく手を挙げた男性に猊下が抑揚に頷く。
「猊下、刑に処さないのですか?」
刑に処すというのは死刑にしないのかと言っているのだろう。女神さまの教えを説く国で、おいそれと述べることではない。顔を青くしている方たちは、今の言葉で更に顔を青くしていた。そしてうんうんと深く頷いて厳しい処分を望んでいる人もいるようだ。
「死んでしまえばそこで終わりだと、彼の者が申している。それに我々の教義では女神さまの下へと行き幸せに暮らすのだ。そんなこと許せるはずもなかろう?」
彼の者というのはナイさまのことだ。どうにも転生なんてものを果たしているから、黒衣の枢機卿が別人に転生する可能性や別の世界や星に生まれる可能性もあると考えているようだ。あり得ないことではないと、フィーネさまも俺もナイさまの言葉に納得している。まあナイさまの場合、マトモに働いたことがないのであれば単純労働や重労働に就いて、苦労を知れば良いと考えているようだけれど。
神職で重い物を持ったことのない黒衣の枢機卿が、炭鉱という厳しい環境に耐えられるのだろうか。ああ、いや。アガレス帝国の炭鉱送りも候補に挙がっているらしい、いろいろな意味で黒衣の枢機卿は耐えられるだろうか。
それに神職者は、己が死ねば女神さまの下へ行き幸せに暮らすと信じている。本当かどうかは分からないけれど、楽な方へと逃げるのも癪だろう。
「彼の者を再び牢へ」
「い、嫌だぁ! 私は教皇の座を手に入れる! そのための伝手と金は用意したのだぞ! 聖王国の未来は私が築くのだ!」
教皇猊下が黒衣の枢機卿に用はないと言わんばかりに告げると、彼の枢機卿は護衛の方々により連行される。黒衣の枢機卿が叫びつつ護衛の方から逃れようと暴れるがビクともしない。パタンと扉が閉まる音が部屋に響けば微妙な空気が流れていた。そして微妙な空気を払いたかったのか、また挙手をする人がいた。
「猊下、処分を下すのは当然ですが……これから聖王国はどうなってしまうのでしょうか?」
年若い神職者が猊下に心配そうな視線を向けて疑問を呈した。聖王国のこれからは本当にどうなるのだろうか。アルバトロス王国は聖王国の事情に介入はしないと決めてある。
頼られればアドバイスや手を貸すが、聖王国からの要請がなければ動かない。ナイさまも同じ考えのようで静観を決め込むようだ。とはいえ聖王国がフィーネさまや大聖女ウルスラに不義理を果たすなら、大聖堂を破壊すると断言していた。
「それを我々で考えなければならぬのだよ。君たちはこの場に大聖女フィーネがいれば、彼女を頼ろうとする。三年前に皆を導いたという自覚があるフィーネは期待に応えようとするだろう」
教皇猊下が深い息を吐き言葉を続けた。今回もフィーネさまの知恵に頼る訳にはいかないし、聖王国の政に携わる者たちで聖王国の未来を決めなければならないと。
「だが、今回のことでまた聖職者が減った」
ふうと教皇猊下が息を吐く。猊下の言葉に言葉が詰まる人が多数おり、誰もなにも言わない。もっと議論されても良さそうだが、沈黙が降りている状況での発言は難しいのだろうか。
「では、どうすれば良いのですか!?」
先ほどの年若い神職者が再び口を開く。彼の言葉に力強く頷いている者が多いのは、聖王国の特徴なのかもしれない。
「君はどうすれば良いと思うかね?」
教皇猊下が質問を質問で返した。誰かに頼るばかりではいけないという鼓舞なのだろう。年若い聖職者の方は猊下の疑問に答えられるだろうか。
「え、そ……それは」
「考えが浮かばぬのだね。それを皆で考えていかねばならぬということだよ。大聖堂関係者を全員この部屋に集めなさい。当然、聖女もだ」
困ったように言い淀む年若い聖職者に猊下は苦笑いを浮かべて椅子から立ち上がる。右手を伸ばして下命すれば、護衛の方々が指示に従いぱっと動き始めた。
なにが起こったのか良く分かっていない方に、猊下の言に深く頷く方がいた。比率的にはなにが起こっているのか分かっていない方の方が多い。
教皇猊下は二大派閥に挟まれたなにもできない人物と評していたのだが、今の様子を見る限りただ動かなかっただけではなかろうか。猊下の評価を改めなければならないし、もしかすればやり手の可能性も捨てきれない。しかし黒衣の枢機卿一派の締め出しを行っていないので、まだ判断するには早いだろうと俺は目を細めた。
しかし聖女さま方まで参集されるとは驚きだ。聖王国では女性の地位は低い。大聖女さまが例外で、他の聖女さまは治癒を担当しているだけで政には参加していない。イクスプロード嬢の考えている策は霧散しそうだった。
――三十分後。
部屋はすし詰め状態となっていた。政に携わらない人まで呼び出されたのだから当然か。少し離れた場所には大聖女ウルスラの姿とイクスプロード嬢の姿もある。二人は並んで立っているのだが、少し前までイクスプロード嬢は大聖女ウルスラのことを避けていのに。俺の知らないところで女性同士意気投合したのだろうか。
とにもかくも教皇猊下の話を聞こうと、部屋にいる全員が耳を澄ませた。
「突然、集まって貰い済まない。彼の枢機卿がアルバトロス王国に喧嘩を売り不興を買った。処分は今し方終えたが、聖王国のこれからを考えなければならない。だが上層部は私利私欲に囚われる者が多いときた」
だから大聖堂に関わる者たちを全員集めたと教皇猊下が伝える。彼の言葉に不安を露わにする人、何故と疑問符を浮かべる人、明るい表情になっている人、様々だった。しかし大聖堂に関わる人物を全員政に関わらせるのは危ないのでは。
下手をすれば黒衣の枢機卿の二の舞になりそうだが……教皇猊下はどうするつもりだと、部外者である俺たちは状況を見守るしかない。
「さて。先ずは聖王国をより良くするために知恵を絞れる者のみ部屋に残って欲しい」
教皇猊下が告げると自信のなさそうな顔を浮かべていた人や不安を露わにしていた方たちは部屋を出て行く。部屋を出て行った彼らが他の方から責められなければ良いのだが。
「地位や立場を得て傲慢や強欲に溺れない自信がある者のみ部屋に残ってくれ」
更に教皇猊下が言葉を続けると、また何名か部屋から出て行く。ある意味正直な方だろう。地位や立場を得ることはお金を得ることと同義である。部屋を去った方たちは、破滅してしまえば元も子もないと考えているのかもしれない。
また、教皇猊下が言葉を発して条件を付けると、人が減っていく。最終的に半分以下になったのではなかろうか。大聖女ウルスラさまも残っているし、イクスプロード嬢も残っていた。他の聖女さま方は割と残っているので政治に興味があるのかもしれない。
「聖王国は二度目の危機に瀕している。これから先、我々は女神さまに信仰を捧げる身としてどうすれば良いのかを考えたい」
「猊下、申し訳ないのですが政に未経験者を入れて大丈夫なのでしょうか?」
教皇猊下の言葉に彼の席に近い場所に座っている男性が声を上げた。
「それは三年前の大聖女フィーネが証明している。国にどれだけ己を差し出せるか、欲に溺れてしまわないかが大事なのではないかね」
猊下は無粋な質問だと返すと、それもそうだと納得したようで男性は黙った。でも素人が国の運営に手を出すのは難しい。だから、慣れていない方々には意見を求めるくらいに収まるのだろう。
そうして話し合いが始まり、あーでもないこーでもないと議論が出てきた。政治に慣れていない方がいる所為か、夢物語のような案が出てくる。でも一笑に付さず教皇猊下は意見を取り入れて、実現可能かどうか判断を下していた。
それで他の方にも火が付いたのか熱い議論が交わされ始めた。最初こそどうなるのか心配だったけれど、今の状況なら大丈夫なのだろう。それでもまだ猊下には不安があるようで、他国から監視員を受け入れると表明した。一堂驚いているが、致し方ないのだろう。聖王国の信頼はないに等しいのだから。
「げ、猊下! 他国の干渉を受けることになりますぞ!」
「三年前まで我々は各国に神職者を派遣し他国に不利益を齎していた。そんな我らが他国から人を受け入れることに反対できるのか?」
「……!」
猊下の言葉に反対する人がいたが、一瞬にして黙らせた。確かに他国の教会に神職者を派遣して問題を起こしていたのである。そんな聖王国が他国から派遣員を受け入れられないのはおかしな話だ。どうにか聖王国の存続ができそうだと俺は小さく息を吐く。それでも問題は山積みだなあと天井を見上げるのだった。






