1021:抗議の方法。
ふん、と鼻息荒く大聖堂へと私とウルスラさまは進んでいた。もちろんウルスラさまは大聖女の立場があるので、闘牛のように息を荒くしていない。彼女の状況を鑑みるに、後ろ盾に就いた人物が黒衣の男……野郎――で十分――だったことが残念極まりない。
魔力量は多い方だし、治癒の適性もあるのだから、正しく力の使い道を教わっていれば無理なんてしなくて済んだはずだ。ふいにウルスラさまが立ち止まり、私も足を止め彼女の方へと向き直る。
「聖女アリサさま」
ウルスラさまが胸に握り込んだ右手を当て不安そうな顔で私を見る。今の彼女の状況はあまりよろしくない。黒衣の野郎がアルバトロス王国で仕出かしたお陰で、野郎の一派は弱体化している。
野郎の派閥には自分の欲に忠実な方が集まっていたようで、見切りの早い人は次はどうしようかと思い悩んでいるそうだ。私は政治に疎いけれど、先々々代の教皇さまが教えてくれた。
野郎がやらかしたお陰でアルバトロス王国から外交員が派遣され、彼の処断をどうするのか見守るとのこと。だから野郎には厳しい処罰を下すしかないのだとも。って、今は野郎の未来よりウルスラさまのことである。真面目な彼女のことだから、私を呼び止めた意味があるはず。背筋を伸ばし真面目な顔を浮かべて、私は彼女と視線を合わせた。
「どうしましたか?」
話し辛いことだろうかと私から問うてみる。
「あの、アリサさまは大聖女フィーネさまとお付き合いしている時間が長いと存じております。私は新参者で大聖女フィーネさまの素晴らしさを知りません……お時間がある時で構いません。フィーネさまがどうやって今の地位を得たのか教えてくださいませんか?」
ウルスラさまが真剣な顔を浮かべて私を見ていた。どうやら彼女はフィーネお姉さまが気になって仕方ないようである。ウルスラさまはフィーネお姉さまが自室に引き籠っている時に、様子を伺いにきたそうだ。
純粋な心配からだったとフィーネお姉さまから聞き及んでいる。その時のフィーネお姉さまの側にはナイさまのフェンリルとフソウの神獣さまがご一緒していたので襲われる心配はしていない。むしろなにかやらかした場合のウルスラさまの身を案じていたほどである。しかし、まあウルスラさまはフィーネお姉さまのことが気になって仕方ないらしい。
私は聖王国の聖女の中でフィーネお姉さまと過ごした時間は一番濃密だと自信を持って言える。だからウルスラさまにはきっちりとフィーネお姉さまについて語ろう。もちろん喋ってはいけないことを、口走るつもりはない。
「フィーネお姉さまの素晴らしさは一夜で語り切れません。いずれ機会を設けてお話致します」
私はふふふと笑みを浮かべてウルスラさまへと伝える。フィーネお姉さまの素晴らしさは一夜掛けても語り切れない。少し小柄で長い銀糸の髪を揺らしながら笑っている姿はお綺麗だし、ベナンターさまと一緒にいる姿を見ていると微笑ましい。
他にも大聖堂に訪れた信者の皆さまに治癒を施している時には、魔力量の消費を最低限に抑えている。聖女のみんなを引っ張っている姿も凛々しくて素敵だし、フィーネお姉さまの魅力はまだまだあるのだから。
「本当ですか、楽しみです! それにアリサさまとお話できるのも嬉しいです」
ウルスラさまが小さく笑うが直ぐに肩を落とした。
「ウルスラさま?」
「私は大聖女として沢山知らなければならないことがあります。でも、私の知識は本当に少なくて……」
ウルスラさまの言葉を聞いて私は苦笑いを浮かべる。彼女はきっと真面目なのだ。だからこそ誰かの言葉を聞いて悩み反芻しているのだろう。そして己でできることを探している。でも自分一人でできることなんてたかが知れているだろう。だからこうして私に声を掛けたのかもしれないなと少し嬉しくなった。
「今から覚えれば良いですよ! 私も三年前の十五歳の時なんて政治に興味はなかったです。フィーネお姉さまが居たからこそ頑張って学ぼうと今でも勉強しています。きっとウルスラさまも大丈夫です。やり直すことや、なにかに進み始めることが遅くとも良いと思います。一番駄目なのは前に進もうとしないことでしょうしね」
私は努めて明るく言葉を紡ぐ。私も一度は道を外しそうになっていた。フィーネお姉さまのお陰で事なきを得て、今も聖王国で聖女を務めている。フィーネお姉さまがいなければ、私も野郎の様に破滅していただろう。本当に運が良かったし、ウルスラさまには私が辿っていたかもしれない道を歩かせるわけにはいかない。
「さあ、聖女の皆さまの所へ行きましょう。フィーネお姉さまが不在の今、私たちはいつもより頑張らないと」
私はウルスラさまの方へと手を差し出すと、おずおずと彼女が手を重ねた。細いなあと彼女の手を眺めるのを直ぐに止め、大聖堂の聖女の方々が集まる部屋へと足を進める。私たちはとある部屋の前で足を止めてノックをした。扉の向こうから『どうぞ』という声が響いて、なんの遠慮もなくドアノブを捻って中へと歩を進める。
今私たちが入った部屋は所謂、控室である。大聖堂で治癒を行う聖女さまたちが治癒行為が始まる前に集まって、騒がしくお喋りをする場でもあった。妙な信者の方がいれば『気を付けて』と情報交換する場でもある。
「ごきげんよう」
私とウルスラさまが部屋に入ったことで挨拶の声が響く。フィーネお姉さまのお側に控えていた影響なのか、私も大聖堂で上位の聖女として認められており、お姉さま不在の今割と注目を浴びていたりする。
私に政治的な能力を求められても困るけれど、先々代の教皇さまから聖女さま方に伝えて良いこと、駄目なことを聞いているので情報として流していた。フィーネお姉さまがアルバトロス王国に保護されたことも彼女たちに伝えている。
「ごきげんよう、大聖女ウルスラさま、聖女アリサさま」
聖王国の聖女さま方で治癒自慢の年若い人が席から立ち上がり、私たちに頭を下げた。私もウルスラさまも席から立ち上がった女性と部屋にいる皆さまに礼を執る。
「フィーネさまがアルバトロス王国に奪われたという噂と、アルバトロス王国に逃げたという噂が流れています。どちらが正しいのでしょうか?」
一人の聖女さまが小さく手を上げながら、私とウルスラに視線を向けて問うた。あれ、おかしいなあ……。フィーネお姉さまはアルバトロス王国に保護されたと私は伝えていたのに、何故か逃げたことになっている。しかもアルバトロス王国にお姉さまの身柄を奪われたという噂が流れているようである。
私は耳にしていないけれど話が出たというのであれば、噂が流れていることに間違いはないのだろう。一体誰が流したと言いたくなるけれど、自分に都合良く噂が働けば旨いと考えている方々かなとウルスラさまを見る。彼女は聖女さまの話に驚いているものの会話に加わるより、話を頭の中で咀嚼している様子だった。なら私が彼女に答えるべきかと口を開く。
「大聖女フィーネさまは今回の聖王国上層部の身勝手さに呆れ、友人であるアストライアー侯爵閣下を頼りアルバトロス王国に保護されたのです」
これは間違いない事実ですと私は念を押すがとある聖女さまはまだ不安そうだった。
「しかし大聖女フィーネさまが不在となれば……大聖堂は大丈夫なのでしょうか?」
彼女の不安は大聖堂の運営、ようするに聖女の活動に支障はないのかと聞きたいらしい。アルバトロス王国の教会のように聖王国も聖女さま方へと寄付金を分けて頂くことになってから、聖女の皆さまのやる気は段違いだった。
現金だけれど、やはりお金は生活していく上で大事なものである。聖王国教会では既婚となれば聖女を引退しなければならないのだが、寄付のお陰で在位を望む声が聖女の皆さまから上がっていた。
「フィーネさまが不在の今、私たちが頑張るしかありません。此度の件は某枢機卿さまが引き起こしました。責めるべきは彼と彼を取り巻いていた方々であり、私たちは日々粛々と聖女の務めを果たすべきかと」
聖王国上層部が右往左往していても、大聖堂には日々信者の方々が訪れる。内部が大変だからと言って、困っている方を見捨てるのは聖女の在り方として間違っている気がするし、フィーネお姉さまも絶対に大聖堂での治癒活動は欠かさないはずだ。目の前で不安そうにしていた彼女ははっとして、いつもの顔に戻った。どうやら私の意図がキチンと彼女に伝わったようである。
「そうですね。大聖堂での務めはきちんと果たさなければ……しかしかの枢機卿さまは一体なにをなさったのですか?」
「アルバトロス王国の教会に向かい、アストライアー侯爵さまに無礼を働きました。彼が聖王国に送還されたのは、我々が彼に厳しい処罰を下すようにと暗に仰られているように感じます」
私は目の前の聖女さまと話を続ける。大聖女ウルスラさまには後ろ盾であった野郎を悪く言うのは申し訳ないが、この際全部ぶっちゃけて伝えておかないと聖女の方々が勘違いして道を踏み外しても困るのだ。ウルスラさまは後ろ盾であった野郎のことを悪く言っている私に、抗議をするでもなく黙ったまま話を聞いている。
「もしかしてアルバトロス王国から外交員の方が参られているのは、そういう理由で?」
「さて、どうでしょう。しかし事実の断片を集めれば、自ずと答えが分かるのではないでしょうか」
私の言葉に部屋にいる聖女さま方が悩み始めた。おそらく今の状況を頭の中で整理しているのだろう。
「皆さまに一つ提案があります。もし聖王国上層部がこのまま纏まらないのであれば、私たち聖女は大聖堂の治癒活動を放棄しませんか?」
私の言葉に聖女の皆さまが凍り付いた。それもそうだ。先程、日々の務めを粛々と行うだけと言ったのに、正反対のことを伝えたのだから。でも纏まる気のない上層部に私たちの気持ちを伝えるならば、方法がこれくらいしかなかった。
先々代の教皇さまは私の提案を飲んでくれ、教皇猊下は渋々許可をくれた。おそらくお二人とも聖王国上層部は纏まらないと分かっているのだろう。
「……私たちの意思を伝えるには丁度良いのでしょうか?」
「効果はあるのかしら?」
今まで聖女は大聖堂で治癒活動や信者の方々の話し相手を務めるくらいであった。政治に関わることはなかったし、政は男性が務めるものという意識が強い。だからこそ今回ウルスラさまは利用された。
「やってみなければ分かりませんが……黙って状況を見守り大聖堂での務めを果たすだけでは彼らは私たち聖女を見下したままです。対抗できる手段が私たち聖女にもあると上層部の皆さまにお伝えしましょう!」
私は皆さまの前で握り拳を作って訴える。私が考えたことだから抜けていることがあるかもしれないし、治癒活動を中断している間困っている方々はどうするのかという問題もある。でも今行動しなければ効果は薄くなってしまう。その部分に関しては、フィーネさまや聖女の皆さまと相談すべきだろう。
まだどうなるか分からないけれど……どうか上層部の皆さまがまともな判断を下してくれますようにと願わずにはいられなかった。






