1020:アリサとウルスラ。
――数日後。自室。
『アリサ、思う存分やりなさい。アルバトロス王国からも構わないと了承を頂いているわ』
先々代の教皇さまの許可とアルバトロス王国の許可が下りた。先々代の教皇さまは聖王国上層部の大人たちの不甲斐なさを嘆いているので、若い力も必要だし私たち聖女の力も必要だろうと言って認めてくれた。アルバトロス王国は私に覚悟があるならば、最後まで遣り遂げることを条件とされたけれど。
私が聖女さまを唆すことになるけれど、行動に起こすと決めるのは本人たちだろう。私は行動に起こすと決めた彼女たちを誘導した責任があるから、最後まで道化を演じきらなければ。
「よし。大聖堂に行こう」
私は部屋を出て長い廊下を歩く。フィーネお姉さまはナイさまのお屋敷でゆっくりと過ごしているそうだ。やることがなくて暇だろうと思いきや、卵から孵ったばかりのグリフォンの幼体を眺めるのが楽しいらしい。
子爵邸の庭には天馬のエルさまとジョセさまにルカさまとジアさま、そして卵を産んだグリフォンさまがいて喋る相手に困らないし、別館にはアリアさまとロザリンデさまがいらっしゃるので一人で部屋に閉じ籠っているより良い環境だと仰っている。
時折、妖精の悪戯で部屋の整えられていたベッドシーツが捲れていたり、本が勝手に開いていたりするとか。子爵邸の裏庭には畑のお世話をする妖精までいるそうで、ナイさまのお屋敷が観光地みたいで楽しいと、届いた手紙に綴られていた。
「お姉さまが、楽しんでいるならなによりね」
誰もいない廊下で一人口を開いた。フィーネお姉さまは三年前の件で先頭に立って聖王国の地位回復に努めてきた方である。まだお若いのに馬鹿なことを行った神職の方々の尻拭いをした。
大聖女という地位に就いているのだから、本当はやらなくても良いことだった。お姉さまは誰も適任者がいなかったし、聖王国を潰すわけにはいかなかったと笑っていたが、今の状況を考えれば三年前に潰れていた方が良かったのでは……なんて考えてしまう。でも、三年前のことがなければフィーネお姉さまと私は仲良くなることはなかったし、アルバトロス王国に留学に行くこともなかったはずだ。その点に関しては感謝している。
考え事をしながら廊下を歩いていると、曲がり角で人影が私の視界に映る。誰かと思えば知っている方だった。
「聖女アリサさま、ですよね?」
「大聖女ウルスラさま。どういたしました?」
大聖女ウルスラさまは私がアリサ・イクスプロードだという確証はなかったようだ。聖女さま方の間で私の認識は、フィーネさまの後ろにくっついている魚の糞と言われているので、彼女も私についての認識はソレだろう。
とはいえ彼女は私になにか用があるから呼び止めたわけである。無下にするわけにはいかないし、後ろ盾の黒衣の枢機卿が失脚したとはいえ彼女は聖王国の大聖女さまだ。きちんと振舞わなければ聖王国の聖女の品位を落としてしまうと、私はウルスラさまに頭を下げた。
「お聞きしたいことがあって、お声掛けをさせて頂きました。急に呼び止めて申し訳ありません」
大聖女ウルスラさまが私に頭を下げる。大聖女の位に就いたのだから、生粋の聖王国人ならばもっと威張っても良さそうだけれど彼女にその気配はない。
あとアルバトロス王国から彼女の動向には気を付けて欲しいと告げられているそうだ。悪い方ではなく、単純に根が真面目だから根を詰め過ぎないようにということである。深堀りすれば、聖王国は大聖女ウルスラを酷使するなと遠回しに伝えている気がするのだが、聖王国上層部はアルバトロス王国のお願いをきちんと掴めているのか怪しい。
「大丈夫です。大聖堂に赴いて女神さまにお祈りを捧げようとしていただけですから」
私は顔に笑みを張り付けて彼女と相対する。
「アルバトロス王国に残った大聖女フィーネさまのご様子を知りたいのです。いつもご一緒にされているアリサさまであれば知っているだろうと考えました」
彼女は眉尻を下げながら胸に手を当てた。大聖女就任の儀の時にも挨拶の際に胸に手を当てていたから彼女の癖なのだろう。一瞬、裏があるのかと勘繰るが分からないので無視をしておく。
「フィーネお姉さまはアストライアー侯爵閣下のお屋敷で日々を過ごされております。食客として閣下に招かれていますので不自由はしていないかと」
私は真実を告げるものの、内容に関しては暈してある。何故、こんな棘のある言い方をしてしまったのだろうと考えれば、目の前の少女はフィーネさまお姉さま大好きオーラをその内発しそうだからか。フィーネお姉さまの妹分は私だから、その一番手を譲るわけにはいかない。もしフィーネお姉さま大好き倶楽部に入るのであれば、私は彼女に厳しい審査を課すだろう。
って、真面目な話をしているのになにを考えているのだろうか。心の中で頭を左右に振って変な意識は振り払う。
「そうでしたか。お話を聞けて安堵しました。あの……大聖堂に赴かれるようですが、ご一緒しても宜しいでしょうか?」
大聖女ウルスラさまは私の言葉を聞き、ほっとしたように息を吐いた。そうして数瞬考える素振りを見せたのち、私と視線を合わせながら問われた。
「はい、大丈夫です。大聖女ウルスラさま、私はただの聖女ですので畏まる必要はないかと」
大聖堂に一緒に赴くことは問題ない。彼女は敵対派閥の方であるが、黒衣の枢機卿が捕らえられたことにより彼の派閥は空中分解寸前だ。大聖女ウルスラさまを頼ろうという動きもあったそうだが、政治は全く分からない彼女を頼ってもどうにもならないと諦めたようである。
大聖女ウルスラさまにとって教育を施されていないことが功を奏したようである。しかし大聖女さまである彼女が、タダの聖女でしかない私に謙るのは如何なものか。どうにか直して貰いたいと直接伝えてみた。
「アリサさまは私より長く聖女の任を務められているので……駄目でしょうか?」
「えっと……駄目というわけではありませんが、せめて人目があるところでは気を付けた方が良いかと存じます」
確かに私の方が彼女より聖女の任期はながいし、年齢も三つ上だから仕方ないのかもしれない。ただ公の場で敬語を使われてしまうと立場がちぐはぐになってしまう。フィーネお姉さまは公私の使い分けはほぼできているので――偶に地が出てしまうところが凄く可愛い――問題ないけれど、目の前の彼女は怪しそうだ。
「では大聖堂で信者の皆さまに治癒を施している場では気を付けます。それ以外では普通でも良いでしょうか?」
「そうしてくださると助かります」
大聖女ウルスラさまは少し考える素振りを見せて答えてくれた。私が年上だし、聖女としては先任だから致し方ないのだろう。どこでもかしこでも敬語を使われるわけじゃないなら良いかと、私は彼女に大聖堂の方角を指して移動を促す。
何故か私の言葉にほっと胸を撫で下ろしているウルスラさまと廊下を歩き始めた。彼女は私の半歩後ろに控えて歩を進めている。隣に立てば良いのにどうして立たないのだろうか。
「あの、横に並んで歩きませんか? もしくはウルスラさまが先に歩いてくださると嬉しいのですが……」
とりあえず私の居心地が悪いのでウルスラさまにお願いしてみる。お願いを聞いた彼女は微妙な顔を浮かべながら口を開いた。
「年上の方を敬いなさいと教えて頂いております」
「確かにウルスラさまより私の方が年上ですけれど、聖女と大聖女では立場が違いますから。失礼ですが、今の教えは誰から受けたものですか?」
うん、確かに年上の方は敬うべきだけれど……それはきっちりとなすべきことをなしている大人に向けてである。私はまだまだ聖女として未熟だし、勉強しなければならないことも沢山あるのだ。
いつかはフィーネお姉さまのように素敵で可愛らしい女性になりたいけれど、私には茨の道のような気がする。しかしウルスラさまに妙なことを吹き込んだのは誰なのか。
「私の後ろ盾だった枢機卿さまです。女性は男性に逆らわないし、年下は年上に歯向かうものではないと」
「…………」
ああ? と言いそうになるのをぐっと堪えた。もちろん、隣を歩くウルスラさまに向けたものではなく黒衣の男に向けたものだ。そして何故か私の父親も思い出す。どうして男性には女は男に従うべき、のような傲慢な思考を持っている人が一定数存在するのだろうか。何故か黒衣の男の顔と父の顔が私の頭の中に浮かんで、くるくるくるくる回っている。
「ウルスラさま……いえ、ウルスラ。私は偉そうなことを言えませんが、三年早く生まれた者として言わせて頂きますね。間違ったことを言っている方を正すことは悪いことではないですし、間違っている男性を女性が諭してもなにも問題にはならないです」
私は廊下を歩きながら過去、私の実家で起こったことを彼女に話す。ウルスラさまには世の中いろいろな人間がいると知った方が良いのではないだろうか。私も全てを見聞きしているわけではないし、多くの方と接したわけではないけれど、彼女は世間を知らなすぎる。
彼女の後ろ盾が黒衣の男ではなく先々代の教皇さま辺りであれば、もっと早く彼女は世の中に対して正しい認識を持っていただろうし、騙されることもなかったのではなかろうか。それに大聖女として治癒活動に無茶をすることもなかったはずだ。本当に誰と出会うかは人生において大事なことだなと、なにかを悩んでいるウルスラさまに苦笑いが零れた。
「難しく考えなくても良いかなと。ウルスラさまには友達といえる方はいらっしゃいますか?」
ひとつ気になることがある。彼女には友人と呼べる方はいるのだろうか。私も友達は少ないのであまり人のことを言えないけれど……ウルスラさまはかなり少ないのではと訝しんでしまったのだ。
「……シスターと神父さま方でしょうか」
彼女が少し考える素振りをみせて答えてくれた。ウルスラさま、それは友人とは言えないかと。お世話になっている方と表現する方が正しい気がする。
「歳の近い方は?」
私が再度問うてみると、彼女は黙ったまま左右に首を振った。ウルスラさまの交友関係に頭が痛くなりそうだった。どうしようか。黒衣の男から解放された彼女の後ろ盾は教皇猊下である。まともな方であるが、まとも故に面白味はない方だと私は考えている。教皇猊下に茶目っ気とか備わっていれば、私はウルスラさまの交友関係を危惧したりしない。
大聖堂に赴いて聖女さま方に話を持ち掛けることよりも、彼女の身の回りのことを解決する方が先かもしれない。先程、部屋を出た私の決意はどこかに飛んで行きそうだった。