1018:超サイコー。
――はあ……。
俺は心の中で盛大な溜息を吐くしかなかった。
何故か俺、エーリヒ・ベナンターは聖王国の動向を見守るための監視員になっていた。外交官がこんなことするものだったかと首を捻るものの、上からの命令だし聖王国の動向は気になるので逆に有難いといえば有難い。
けれど……聖王国の人たちが少々ヘタレ過ぎて先が思いやられてしまう。俺と一緒に派遣されたユルゲンもアルバトロス王国に訪れていた聖王国の面々を微妙な顔で眺めている。彼らは一つ選択を間違えるだけでナイさまの攻撃魔術が飛んでくると、きちんと理解しているのだろうか。
少し前に口喧嘩をしていた良い歳の大人二人のうちの片方は現実が見えていないようにみえた。その彼は片方に論破されて、大聖女ウルスラを教皇猊下に預けることを不服ながらも認めていたのだが、塵が積もって不満に変わらないか心配である。
「頑張ろう、ユルゲン」
とにかく、俺はアルバトロス王国の監視員として彼らを見守らなければ。一応、俺がナイさまの使いでやってきた仮面の男だと露見していないので、騒ぎにはなっていない。問題になったところで突っぱねる予定である。
聖王国の現状を憂いている人物は多数いるものの、実力行使というか先頭に立ってみんなを引っ張るという存在がいない。大聖女ウルスラが候補の一人であろうが、彼女に政治面の知識は皆無であり、傀儡になるだけなので彼女に務めさせるわけにはいかないだろう。
「エーリヒ、頑張りましょう。聖王国が更地になってしまわないように努めなければ。といっても僕たちができることなんて微々たるものですが」
俺の隣に立っているユルゲンが小さく笑う。俺たちにできることは聖王国の皆さまを見守ることくらいである。精々できても助言くらいだろう。それに俺たち外交員が動き過ぎれば内政干渉――問題を起こしているのは聖王国なのに言われたくはないが――だと言われかねない。
なかなか難しい立場だし、もどかしくもある。フィーネさまは聖王国が潰れないように願っているので、そうなる状況を作り出したい。でも聖王国の皆さまが日和見過ぎて難儀しそうであった。
「…………っ」
俺たちに向けられている視線は『厄介者』『邪魔者』という悪意のある視線と『暴走者を減らせるから有難い』という視線が向けられている。とりあえず黒衣の枢機卿と大聖女ウルスラを教皇猊下の下に預けようと移動することになった。
聖王国の面々を前に俺たちアルバトロス外交官は彼らの後ろを歩いて行く。接待なんて求めていないし、監視役なのだから彼らに関わることはない。見聞きした情報をアルバトロス王国へ正しく報告して判断を仰ぐだけである。俺が派遣されたのはハイゼンベルグ公爵さまの意思なのだろう。アルバトロス王が俺なんかに目を付けるわけがないし、ナイさまも俺を国外に赴かせるとも思えない。
――教皇猊下の執務室前に辿り着く。
聖王国の教皇猊下の立場は微妙であるそうだ。三年前のことでいろいろと揉めて選出された方らしく、二大派閥の方たちに強権を発せないとのこと。しかし命令する権利はあるのだから、そろそろ腹を決めて欲しい。
聖王国の方々が先に入り後に続いて俺たちも部屋の中に進めば、立派な執務机に白い神職用の衣装を纏う男性が椅子に腰掛けて神妙な顔を浮かべている。
「猊下、彼の枢機卿はアルバトロス王国にてアストライアー侯爵閣下と教会の者たちに無礼な態度を取りました。聖王国での振る舞いもあり直ぐに捕えられ、大聖女フィーネを迎えに行った我々にアルバトロス王は彼ら一行の身を任されました」
先ほど転移陣の部屋で揉めていたうちの一人が教皇猊下に言葉を投げる。彼らはフィーネさまが所属する派閥の方だから、黒衣の枢機卿を処断することにほとんどの者に異論はないようだ。
ただフィーネさま不在の今、大聖女ウルスラを使い有利な立場に立とうと考えている者がいる。それが先ほど転移陣の部屋で揉めていたもう一人であるのだが、言葉を発した男性に忌々しい視線を向けていた。おそらく機会を狙って、なにかトンデモ発言をしそうだなと俺の勘が頭の中で警鐘を鳴らしている。
「そうか……枢機卿の処断は厳しいものを下す。これは誰になにを言われようと変えるつもりはない」
椅子に座したままの教皇猊下は険しい顔で黒衣の枢機卿の未来を言い放った。命を奪われるのか、一生幽閉か、はたまたどこかで重労働に従事するのか。厳しい処断となれば、その辺りが候補となりうる。
アルバトロス王国と教会を蔑んだ発言をしたのだから一番厳しい処分を望むべきだろうが、そうなるとナイさまは微妙な顔を浮かべる。口に出すことはないのだが、思う所はあるのだろう。フィーネさまとイクスプロード嬢だってあまり良い気はしないはず。甘いと言われてしまいそうだが、彼女たちが悲しまない選択をと俺は願ってしまう。
「大聖女ウルスラ」
「はい」
教皇猊下が大聖女ウルスラを真剣な眼差しで射抜く。殺気や怒気ではないのは明らかで、短く返事をした彼女も真剣に応じるため背筋を伸ばした。
「君には重いものを背負わせてしまった。教皇として君の派閥の者を止められなかった無能を……許してくれとは言えぬか。済まなかった」
立派な机に座している彼がゆっくりと立ち上がり、大聖女ウルスラに頭を下げた。聖王国の面々は教皇猊下が大聖女に頭を下げるのは想定外だったようで、かなり驚いた表情をしている。
もしかして教皇猊下は力を持っていないだけでマトモな方なのだろう。ただ二大派閥のお陰で小さくならざるを得なかったのかもしれない。そして今派閥の力が失われつつあるので、教皇猊下という御旗の下に人材を集める良い機会ではないだろうか。
「い、いえ! 大聖女の地位は私にとって理想でした。多くの方々に治癒を施すことができたのですから。でも、フィーネさまとアルバトロス王国で出会った女性の話を聞いて、私の考えを改めることが必要だと実感しました。大聖女の位を退くつもりはありません。ですが私には知識と広く周囲を見渡せる力が必要だと思います」
大聖女ウルスラが慌てた様子で言葉を紡ぐ。どうやら教皇猊下に頭を下げられたことは彼女にとっても意外だったようだ。大聖女ウルスラも夢見がちな女の子かと思えば、現実を知ればきちんと立ち回れる子のようで俺は安堵する。
彼女であればフィーネさまと共に聖王国の大聖女を務め上げることだろう。今はまだ力量が足りていないかもしれないが彼女には学ぶ意志がある。だからこそ教皇猊下に学べる環境を提供して欲しいと遠回しに伝えた。俺は隣に立つユルゲンをチラリと見れば、彼も小さく頷いて状況を見守っている。
フィーネさまの派閥のまともな方と教皇猊下が組めば良い結果が得られそうだと安堵していると、むっとした表情をしたままの男性が口を大きく開けた。
「猊下! 大聖女フィーネがアルバトロス王国に滞在しているままです! そちらはどうなさるのですか!?」
男性は俺たちがいなければ『拉致』という言葉を使っていそうだ。教皇猊下に詰め寄る男性を同じ派閥の方が止めようとするが、猊下が制止した。
「どうにもならないだろう。大聖女フィーネが聖王国に戻りたいと言わぬ限りはアルバトロス王国に彼女の身柄を預ける。その方が安全な可能性すらあるのだからな」
今の聖王国の状況であればフィーネさまはアルバトロス王国で過ごした方が安全だ。男性のようにフィーネさまをもう一度御旗として担ぎ上げようとする輩はいるだろうし、敵対派閥の方たちは排除を狙う。
「なっ! 彼女は聖王国にとってなくてはならぬ存在だ! どうして貴方がその価値を見誤る!!」
「価値、か……君も見誤っているではないか。本来、大聖女は大聖堂の象徴でしかなく政治に携わることはない。三年前、聖王国の危機に立ち上がっただけの彼女にまだ重責と重荷を背負わせるというのかね」
激高する男性に教皇猊下は落ち着いた口調で彼と納得できていない者たちを諭す。大聖女ウルスラがハラハラした様子で場を眺めているが口を出す気はないらしい。
「ぐっ! もう良いです! 貴方を頼ろうとした私が馬鹿でした! 解決できぬのであれば解決できる者を頼るのみ!!」
売り言葉に買い言葉なのか、捨て台詞を吐いて男性は部屋を出て行った。彼が出て行くなり教皇猊下の執務室にいた皆さまは小さく息を吐いている。どうやら部屋を出て行った彼が無茶しか言っていないと、皆さま思っていた様子。
「情けない所を見せて申し訳ない。これが今の聖王国の現状だ。アルバトロス王国にはありのままを報告してくれて構わない」
教皇猊下が少し疲れた様子で俺たちアルバトロス外交員に告げた。確かに情けないのだが、求心力を失えば烏合の衆となってしまうのはどこの国でも同じだ。ただ頻度や規模が違うだけで、どこにでもあり得ることだと俺は考えている。猊下が俺たちに告げた言葉は必ず守る。嘘を吐いたところでアルバトロス王国と聖王国になにもメリットがないのだから。
「はい、猊下。しかし、これから聖王国はどうなさるのですか?」
俺の報告よりも聖王国がどう立ち回るかの方が重要である。聖王国のトップである彼が日和見な判断を下すのであれば、フィーネさまをアルバトロス王国から聖王国には戻せない。
「大聖女フィーネが不在の今、彼女の派閥は弱体化する一方だ。そして彼の枢機卿の派閥も頭を失ったことで弱る。私は今まで立場上派閥に属すことはなかったが……立つべき日がきたと言わざるを得ない」
教皇猊下が神妙な顔で今後どう動くかを呟いた。彼に求心力があるのならば、一気に最大派閥になれるのではないだろうか。しかしフィーネさま一派と彼の枢機卿一派の残党――少々過激な表現だが――の動き方が見えてこない。
彼らが歯噛みしながら黙っていてくれるのが一番良い状況だが、おそらく部屋から出て行った男性が人を集めてなにかを企みそうである。その辺りを猊下はどうするのだろうか。だが今の彼に力がないのであれば協力者を募るしかない。
俺が深く考えてもしかたないし、別の所で教皇猊下の援護射撃ができれば良いか。俺たちは俺たちの仕事をしようと教皇猊下の執務室を後にして、バタバタと騒々しい聖王国の廊下をユルゲンと護衛の人たちと共に歩いて行く。
俺たちの前を通り過ぎる人が視線を合わせ歩みを止める。あれ、この顔は確か……。
「魔獣たちは――」
どことなく見覚えのある顔はアストライアー侯爵家の影とナイさまが教えてくださった方だった。今の言葉の続きにはアレを返せとナイさまから言い含められていた。
「――超サイコー」
俺は男性に声を返した。ナイさまからアストライアー侯爵家の諜報員を聖王国に忍ばせているから、俺たち外務部員と接触させると話があった。今の合言葉を考えたのは某ご令嬢であろう。
凄く分かり易い合言葉であるが他の人が耳にしたところで、魔獣馬鹿な奴で少々危ない連中だと判断されるだけである。ナイさまなら地球の挨拶と現地で有名な食べ物を組み合わせて『ブエナス・タルデス』『パエリア!』とかにしそうだと苦笑が漏れた。
「では、こちらへ」
彼の案内で廊下を進み部屋に入れば、先々代の教皇さま――正しくは先々々代――とアリサ・イクスプロード嬢が俺たちを迎え入れてくれた。
「え?」
意外な展開に俺の口から間の抜けた声が漏れた。ユルゲンも今の状況に驚いているようで目を丸く見開いている。
「意外だったかな? エーリヒ・ベナンター準男爵卿、そしてユルゲン・ジータス殿」
片眉を上げながら先々代の教皇さまは俺たちに笑みを向けた。そしてイクスプロード嬢は小さく頭を下げている。とにもかくにも返事をしなければと俺たちは口を開いた。
「失礼な態度を取り申し訳ありません。お初目に掛かります、エーリヒ・ベナンターと申します」
「初めまして、ユルゲン・ジータスと申します」
相手は俺たちの名前を知っているが初対面なので、俺とユルゲンは名乗りを上げた。
「そう畏まらないで欲しい。私はもう引退した身であり、君たちを部屋に招いたのはフィーネのことが心配だったから、アストライアー侯爵殿の影に頼み接触を図って貰った」
笑みを浮かべる先々代の教皇殿に聖王国が生き残る道を模索できるかと、ユルゲンと視線を合わせて導かれた席に腰を下ろすのだった。
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