1017:貴重な人。
――三年前の二の舞になるのだろうか。
私は聖王国の神職を務めながら政も三年前から執り行ってきたが、やはり素人では限界があるのかもしれない。その綻びが今回の事件に繋がってしまったのだろうか。
アルバトロス王国から転移陣を使用して、馬鹿な枢機卿を聖王国に連れて帰る羽目になった。敵対派閥の一人である大聖女ウルスラも一緒なので状況的に凄くおかしいことになっている。枢機卿は捕縛縄で締め上げられており、猿轡も噛まされている。馬鹿なことをしたなと私が蔑んだ視線を向ければ、相手も忌々しそうな顔で私を睨んできたのだった。
「結局、助力なんて得られなかったし、状況が悪化しているじゃないか……! どうすれば良いんだ!」
「嘆いても仕方ない。私たちにできることをやらなければ、聖王国は更地になるだけだ……アストライアー侯爵なら確実にできるだろうしなあ」
一緒にアルバトロス王国に赴いていた仲間が頭を抱えていた。アストライアー侯爵に攫われてしまった――本当に攫われたのだろうか――大聖女フィーネを取り戻すと言って、意気揚々と乗り込んだのだが結果は無様に砕け散っただけ。
私は彼のお目付け役として選ばれて一緒に赴いただけであり、アルバトロス王の発言は尤もであるし、アストライアー侯爵が我々を焚きつけるのも致し方ないのだろう。十八歳の女性に頼り切りの我々が情けない大人というだけである。
しかし、目の前の枢機卿を正しく断罪せよと告げられたが、我々が彼を罰する力を持っているのかといえば否であるし、どうしたものかと頭を悩ませている。悩ませている所に連れである相方がはっとした顔になり口を開いた。
「しかし本当にやれるのか?」
「双子星の片割れに新たな模様を作ったのはアストライアー侯爵だからな」
噂を確認もせず信じるのは如何なものかと言いたくなるが、竜を聖王国にけしかけることができる方である。それに天馬やグリフォンも従えているし、新たな噂ではグリフォンの卵を預かっているとかいないとか。
亜人連合国とも友好な関係を続けていると聞く。東大陸のアガレス帝国と共和国とも伝手があり、北大陸のミズガルズ神聖大帝国とも繋がりがある。アストライアー侯爵家だけの力では聖王国を潰せないが、もし侯爵閣下が彼の国々を頼って聖王国に武力をぶつけることも可能だ。
しかしそのような面倒な手続きを踏まなくとも、アストライアー侯爵閣下個人の戦闘力は計り知れないものだ。噂で空に浮かぶ双子星の片割れに新たな模様を作ったのは彼女であるとまことしやかに囁かれているし、アルバトロス王国も騒がせて申し訳ないと大陸各国に連絡をしている。私の隣に立つ仲間は忘れ去ってしまったのだろうか。
「噂でしかないじゃないか。信じろと言うのが無茶な話だ!」
仲間は『アルバトロス王国が侯爵の名を高めるために嘘を吐いている可能性もある!』と言葉を続けた。少し声が大きくて私は仲間に『しっ!』と声を下げるように注意した。
今はまだアルバトロス王国王城の転移陣が施されている部屋で、魔力を補填のための人材を待っている途中なのだから。警備の者に聞こえたら、聖王国の印象がさらに悪くなる。もう下がるものがないのかもしれないが、わざわざ自国の評価を馬鹿な発言で下げる必要はない。
そうして転移魔術陣へ魔力補填を担う者が現れて、私たち一行は聖王国の官邸にある転移魔術陣部屋へと戻るのだった。私は大きく息を吐いて無事にアルバトロス王国から戻れたことを喜ぶが、これから先は自分たちで動かなければならないだろうと仲間に視線を向けた。
「逃げては駄目だ。ちゃんと現実に向きわなければならない。それに大聖女ウルスラを相手派閥に引き渡すわけにはいかない。彼女は教皇猊下に預けようと考えている。どうだ?」
このまま部屋から出れば派閥の仲間たちが私たちを待っているだろう。そしてフィーネさまが戻ってこなかったことに嘆き、大聖女ウルスラを使って自分たちの派閥が有利になるように動く可能性が高い。そして相手派閥も頭を失って右往左往している最中であろうから、御旗にできる存在が必要だと大聖女ウルスラを引き込もうとするはずだ。ふうと私が大きく息を吐くと、仲間はきっと私を睨んだ。
「大聖女フィーネはアルバトロス王国に逃げてしまったんだぞ?」
確かにフィーネさまはアルバトロス王国に保護された。だが私たちが情けないことしか言わないから、今まで背負っていた責任を放り投げただけである。これ以上彼女に背負わせるのは酷というものだと、何故目の前の男は気付かないのだろう。ふつふつと湧いてくる怒りの感情に駄目だと小さく首を振って、冷静にと自身に言い聞かせる。
「その認識は捨てた方が良い。フィーネさまが本当に逃げたというなら、アルバトロス王国の謁見場には姿を現さない。アルバトロス王国もフィーネさまを我々に渡したくないだろうから絶対に会わせない。だが、私たちはフィーネさまの姿を見ることができた」
私は仲間に厳しい視線を向ける。フィーネさまが謁見場にいたのはきっと我らがきちんと行動できるか見定めていたのだ。
「それがどうした!?」
仲間がきっと私を睨む。私を睨んでも状況は変わらないのだから、少しでも頭を動かそうと言いたいのをぐっと堪えた。自身の置かれた状況を理解しなければ、捕縛縄に縛られている枢機卿と同じ目に合うと何故分からない。
それにアルバトロス王国から監視役として外交官が一緒に同行している。仲間は相手の外交官が若者だからと舐めているようだが、アルバトロス王国が無能な者を寄越すとは考え辛い。
「アルバトロス王国はフィーネさまを手に入れたことを自慢するために謁見場に召喚していたわけじゃないはずだ。私たちの愚かさを諭すために必要だと判断したのではなかろうか」
だからこそ私はこうして落ち着いて彼を諭せるのかもしれない。現金なことだが、他人に見られていると分かっていれば確りと身を正し、己を律しなければと背筋が伸びるのだ。
「はっ! どうとでも言えることだ! 我々が困っているところをきっと楽しんでいるんだ! アルバトロス王もアストライアー侯爵もアルバトロスの貴族たちも困っている我々を嘲笑うために沢山の者を集めたのだ!」
「確かに密室で話し合うこともできただろうさ。でもアルバトロス王国はそれでは解決できないと考えたのだろう。――大聖女ウルスラさま」
話が通じる相手と判断されていれば、我々は公衆の面前で恥をかかずに済んだはずである。アルバトロス王国も我々のような者の相手はしたくなかったのかもしれない。
それを恥ずかしいことと捉えられない仲間には残念な気持ちが湧いてくるが、今は隣に立つ仲間よりも大聖女ウルスラの安全を確保せねばなるまい。私は一緒に聖王国に戻っている大聖女ウルスラに真剣な眼差しを向けた。
「は、はい!」
私に驚きながらも確りと返事をくれる。胸の前で手を握っているのは彼女の癖なのだろうか。よく見る姿だった。
「貴女には選ぶ権利がある。彼の派閥に残るのか、私たちの派閥に付くのか、それとも教皇猊下の派閥に付くのか……今後はどう致します?」
アルバトロス王国の外交官が見ているのだ。下手に動けば直ぐにアストライアー侯爵が動き、聖王国の大聖堂を破壊するのだろう。侯爵は貧民街から教会に救われ、聖女となり名を挙げた傑物である。
そんな方に私のような小者が侯爵という巨大な存在に敵う訳がない。だからこそ正道な選択をして迷わないように動けば、きっとどうにかなるはずだ。
大聖女ウルスラさまに政治知識が備わっていれば良かったのだが、それを願うのは酷だろう。アストライアー侯爵と同様に貧民街から枢機卿に救われて大聖堂で聖女を務めていただけの少女である。ある日突然、女神さまのご意思に寄り聖痕を与えられただけだ。フィーネさまのように貴族であれば、また違った結果が大聖女ウルスラに齎されていたのかもしれないと考えればチクリと胸が痛む。
「大聖女として沢山の方を救いたいという考えは変わりませんが……アルバトロス王国の謁見場で話を聞いていると、彼のお陰で聖王国が大変な事態に陥っているのは分かりました」
私が彼女の言葉に頷けばさらに言葉を続けた。
「でも私は……政治のことは全くわかりません。大聖女フィーネさまのように動ければ良いのですが、私には知識も行動力も足りないのです……!」
彼女は三年前に聖王国が揺らいだことを知っているのだろうか。分からないが、彼女は後ろ盾である枢機卿にもう頼れないと判断しているようでなによりである。先ずは彼女の身の安全の確保をしなければならないのだが、今の言葉を聞いていると聖王国の大聖女として立ち回る覚悟はあるようだ。
だが圧倒的に知識と経験が足りない。私はふうと深く息を吐いて、どうしたものかと頭を抱える。一番良いのは教皇猊下に保護して頂くことだと考えている。報告を猊下にしなければならないし、大聖女ウルスラを同席させて彼女の安全を図って貰おう。
「では教皇猊下の下へ向かいましょう。彼の派閥にいるより、御身の安全を図れましょう」
多分、これが一番良い方法だろうと私は判断した。彼女も私の言葉に反論する気はないようだった。
「は、は――」
「――大聖女ウルスラ! 大聖女フィーネ、いや、フィーネ嬢がいなくなった我々には君の力が必要だ! どうか我らに力を貸して欲しい!!」
大聖女ウルスラの言葉を派閥の仲間が遮り、自身の気持ちを吐露した。それではなにも解決しないと叫びたくなるのを私はぐっと堪え、状況を見守る。
「私には皆さま方に力を貸せる自信はありません。私はただ、大聖堂を頼られた方々に治癒を施すことしかできないのですから……」
大聖女ウルスラが困った顔を浮かべて、仲間の言葉を否定した。彼女には一般教養と知識を施すべきだろう。それから政について習えば、大聖女として大成するのではないだろうか。彼女に政を執り行う意思があるのならばという条件が付くが。
おそらく黒衣の枢機卿は彼女に聖女の仕事以外は教えていないのだろう。大人たちが聖痕を授かったと騒ぎ立て、彼女を大聖女の地位に就かせたのは時期尚早だったのだ。
「貴方はまだ若い。学べばきっといろいろなものが見えましょう。今は大聖女ウルスラの身の安全を確保することが先決です」
「な、なにを言う! 聖王国の未来を確保することの方が先だろう!!」
私が大聖女ウルスラに告げると、仲間が慌てて声を上げた。どうやら大聖女ウルスラを御旗にして派閥の復権を狙っているようだ。そんなことをすれば敵対派閥である者たちの反感を受けることになる。
聖王国が危機的状況に陥っていると知り、仲間は状況を正しく認識できていない。我々だけで解決せよとアルバトロス王は申したのだから、大聖女ウルスラの力を借りるのは違うだろうに。激高している仲間を諫めようと私が小さく息を吐けば、アルバトロス王国から一緒に聖王国入りした若い外交官が一歩前に進み出た。
「口を挟む気はなかったのですが、あまりにも貴方の態度が酷いので話に参加させて頂きます」
まだ年若い、二十歳頃の青年だった。どことなく大聖女フィーネさまを攫った仮面の男の背格好に似ているのだが確証はないので黙っておいた。
「な!?」
「お恥ずかしい所をお見せして申し訳ない……よろしく頼みます」
私が青年に頭を下げると、派閥の仲間はきっと私を一度睨んで青年へと視線を向ける。私の仲間は他国の外交官を蔑ろにしてはならない理性は残っていたようだ。
「アルバトロス王国は今回の件を大聖女さまの力で解決することは望んでおりません。貴方方のみの行動で判断させて頂くということをご承知おきください」
「そ、そんな……」
青年の言葉に仲間が絶望して肩を落とす。さて、肩を落としている場合ではないと私はアルバトロス王国の外交官の青年に頭を下げて、大聖女ウルスラさまを教皇猊下の下に、そして黒衣の枢機卿を牢屋に入れるようにと指示を出すのだった。






