1016:一先ずは。
アルバトロス王国にやってきた聖王国のヘタレな方々は母国へすごすごと戻って行った。
ついでに黒衣の枢機卿さまも彼らにドナドナされている。大聖女ウルスラさまの扱いをどうしようかと悩んだものの、彼女自身が聖王国に戻り事の顛末を見届けると確りとした目で言ってのけたので、アルバトロス王国上層部は今の彼女であれば周りに惑わされることはないと判断し聖王国の方々と一緒に戻っている。
政治知識のない彼女が誰かに諭されないか心配になるが、自身で決めたなら己の道を突き進むのみだろう。きちんと黒衣の枢機卿さまと決別できれば、彼女の道は明るいはず。一応、教皇猊下が彼女の面倒をみてくれるらしい。とはいえ教皇猊下も微妙な立場の方なので、ウルスラさまの身を守れるのか判断が難しい。
とにもかくにも聖王国の一件は中途半端ではあるものの、アルバトロス王国が関われるのはここまでである。
アルバトロス王国的には『ヘタレたら潰す』と脅しているので、彼らは必死になる他ない。聖王国を潰したいのであれば存分にヘタレれば良いのだが。フィーネさまは聖王国に戻らずアルバトロス王国に暫く滞在することになった。王城で食客として寝泊りする話も上がったけれど、子爵邸で生活する方がフィーネさまも気楽だろうし安全だと判断された。
馬車を降りると先に戻っていたエルとジョセとルカとジアとグリフォンさんが顔を出し、おかえりなさいの挨拶をくれた。隙あらば撫でてとルカが寄ってくるので私は手を伸ばして彼の顔を撫でる。気持ち良いのか前脚の片方を器用に動かして地面を掻き掻きしていた。
ルカはフィーネさまの姿を認めると、私の下を直ぐに去り彼女の方へと歩いて行く。フィーネさまは驚きながらもルカを撫でて幸せそうな顔を浮かべている。その隙にと言わんばかりにジアが私の前に立って顔を下げた。
順番を待っていたのかと私は苦笑いを浮かべながら彼女の顔を撫でると、次は私たちですとエルとジョセが側に寄ってくる。グリフォンさんは『やれやれ』と言いたそうにしているものの、最後に私の下へやってきて顔を突き出すのだろう。そういえば。
「あれ、グリフォンさんの仔たちとポポカさんたちは?」
『庭で陽の光に当たっておりますよ。幸せそうな顔で蕩けておりました』
私の疑問にグリフォンさんが首を横に倒しながら教えてくれた。そろそろ陽が沈む時間なので、サロンに戻らなければ夜露に濡れてしまう。フィーネさまに断りを入れてポポカさんたちとグリフォンさんの幼体をサロンに促そうと私たちは庭へと向かう。
中庭の片隅で『ポエ~』『ピョエ~』『ポエー』『ピョエー』と小さな寝息を立てていたのだが、私たちに気付いて真ん丸な目をぱっと見開く。ポポカさんたちがグリフォンさんの幼体を守ろうと逆毛を立てようとしたが、私たちだと気付けば力を抜いていつも通りに『ポエポエ』鳴いている。
その姿になにか思うことがあったのか、私の背後で照れ照れしている某ご令嬢がいた。満足しているようなら良いかと放置して、ポポカさんとグリフォンさんたちの下に私はしゃがみ込む。
「……どうして卵一個から二頭孵るんですか、ナイさまっ!?」
フィーネさまがエーリヒさまから話を聞いていましたけれど……と驚きと呆れを含んだ声で突っ込まれた。グリフォンさんの幼体自体は可愛いようで、興味深そうに覗き込んでいた。
某ご令嬢さまは『可愛いでしょう。愛らしいでしょう。魔獣や幻獣を讃えましょう!』と言いたげに、私とフィーネさまを見守っている。ジークとリンとソフィーアさまが若干引いているものの、毎度のことでスルーを決め込んでいた。
「私に聞かれましても……それに想定外のことが起こるのはいつものことですし……子爵邸の魔素量が多いのも不思議現象に拍車を掛けているというか……」
『ナイのいる所はボクたちにとって過ごし易いからねえ。みんなが寄ってくるのは仕方ないよ』
私が微妙な顔をしているとクロがすりすりと顔を擦り付け、尻尾で背中をべしべし叩く。どうやら良いことだから私が気に病むことではないと言いたいらしい。グリフォンさんの幼体は大きくなって強くなるならば、魔力器官も同時に強化される。
魔力でご飯を賄うようになるから、虫や果物を頻繁に食べなくても良いらしい。ご飯を食べられないのは悲しいことだが、彼らにとっては魔力は強くなれる素である。魔素が濃い場所は食事よりも有難いそうだ。その話を聞いて『ええ……』と引いた私を見た子爵邸魔獣メンバーの皆さまは苦笑いを浮かべていた。
「可愛いし、みんな友好的だから問題ないけれど、子爵邸だといい加減狭くなってるよね」
ぐりぐりと顔に顔を擦り付けるクロに手を伸ばして、指先でクロの顎下を撫でる。気持ち良いのかべしべし私の背中を叩いていた尻尾の動きが止まり甘い鳴き声を上げた。
「侯爵邸に移動しないのですか?」
フィーネさまがこてんと首を傾げると長い銀糸の髪も一緒に動いて揺れている。銀髪、羨ましいなと考えるものの私には似合わなそうだ。副団長さまとも色が被るし、黒髪黒目の方が落ち着くといえば落ち着く。とりあえずフィーネさまの疑問に答えようと口を開いた。
「来年の春には移ります。引っ越し祝いパーティーを開く予定なので、フィーネさまも時間があれば参加してください。招待状を送りますので」
一応、来年の春からお貴族さまとして夜会を開こうと家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまと相談を済ませている。ご招待する方の選定を行っているのだが、確定メンバーはハイゼンベルグ公爵さまとヴァイセンベルク辺境伯さまに王家の方とラウ男爵さまとフェルカー伯爵さま――豪商なのでいろいろとお世話になっている――は決定している。
私はポポカさんたちに手を伸ばすと一羽のポポカさんがすっぽりと腕の中に納まった。そうして他のポポカさんたちがジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまの下へ行き、みんなが抱き上げると移動の準備を終えた。しかしまあ、ポポカさんたちは野生をどこかに置き去りにしている。南の島に戻った時に自力で餌を獲れるのか凄く心配だ。
「屋敷に入りましょうか」
私の言葉にみんなが頷く。話の続きは歩きながらで良いだろう。ポポカさんたちを抱えている私にフィーネさまが羨ましそうな視線を向けてくるので、ポポカさんを差し出してみると彼女は遠慮がちに腕を伸ばした。
ポポカさんは一瞬頭の上に疑問符を浮かべるものの、理解が追いついてフィーネさまの腕の中に納まる。どうやら抱き上げてくれるなら誰でも良いようだ。本当に野生が消え去っているから今後が心配である。
「ご招待楽しみにしていますね。お誘いを頂いた頃大聖女ではない可能性があるので……はあ」
「脅しまくったので流石に聖王国の方々も奮起してくれるかと。あとフィーネさまが聖王国に戻るなら、大聖女の位は保たれるのでは?」
流石に今回のフィーネさまの行動に怒って大聖女の位を剥奪するなんて言った日には……結果が知れている。
「そうなると良いのですが、こればかりはどう事が運ぶのか分からないですからねえ」
またフィーネさまが溜息を盛大に吐いたあと、私たちは移動を始める。後ろにはグリフォンさんの幼体がてってって~と軽快な足取りで私たちの後ろを追っていた。
「グリフォンさんの仔たち可愛いですね。ポポカより既に大きいのが面白いです。あ、そういえばグリフォンさんの仔たちって言うのも長いですよね?」
「長いですが、そう表現するしかないので」
ポポカさんたちにも名前を付けていないし、グリフォンさんにも名前はないのだから、グリフォンの仔たちだけに名前を付ける訳にもいくまいて。フィーネさまは私の渋面を見て、良いこと思いついたとばかりに笑みを浮かべる。
「……僭越ながらナイさま。グリ坊は如何ですか? まだ真ん丸な身体ですし、大きくなればグリフォンときちんとした名前を使えば良いかと。あれ、グリ坊たちの名前は付けるのですか?」
立ち止まったフィーネさまをグリフォンさんの仔たちが首を傾げながら不思議そうに顔を向けている。人間の言葉を理解しているのか分からないけれど、意味を頑張って咀嚼しようとしているようだった。賢いなと私は目を細めるのだが、グリフォンさんの幼体、もといグリ坊さんたちの名前を決めるには凄く脳味噌を動かさなければならない。
「逸らしていた現実に引き戻さないでください。名前を考えるのは苦手なんです」
そう、名前を授ける行為は難しい。できれば良い名前を贈りたいが、前世の知識が邪魔をしているのか、この世界における良い名前がイマイチわからないのだ。漢字を使用すれば意味が分かるので、この名前良いなと直ぐに浮かぶけれど、西洋的な名前を多く知っていても意味までは良く分かっていない。
グリフォンさんたちやエルたちは深く考えなくても、気軽にな名を付けて欲しいと言っているが流石に秒で考えたものを贈るのは失礼である。一度失敗している身――本人、本竜さんたちは気に入ってくれているので良かったけれど――だし。
「では、みんなで考えましょう。ナイさま一人で背負わなくても良いじゃないですか!」
へらりと笑うフィーネさま。確かに一人で考える必要はないか。ルカとジアの名前を贈る時も学院の図書塔でみんなでうんうん唸っていた。たしかにそれはそうだと納得してフィーネさまを再度見る。
「では、フィーネさまも一緒に考えてくださいね」
「へあ?」
フィーネさまは私の言葉に驚いて珍妙な声を上げた。どうやら自分が巻き込まれるとは一切考えていなかったようだ。それなら余計に巻き込んでしまおうと私は良い顔になる。
「発案者です。きちんと責任を果たしてください」
「ナ、ナイさま!?」
慌てるフィーネさまに私は足を進めて屋敷の中に入った。聖王国から大聖女さまがきたので子爵邸の皆さまには迷惑を掛けてしまうが、どうやらお偉いさん方を子爵邸に招き過ぎて感覚がマヒしているようだった。
いつも通りに働いてくれる子爵邸の皆さまを見て凄いなあと感心しながら、今日だけは夕食をフィーネさまと共にするのだった。明日からフィーネさまは別棟でアリアさまとロザリンデさまと共に過ごすことになる。南の島で一緒に過ごしたし、学院でもアリアさまと一緒だったから問題はない。
そうして夜は過ぎ就寝時間となる。さて、聖王国に忍び込ませている諜報部員の方からどんな知らせが届くかなと、ベッドに寝転ぶ私だった。






