1015:生気はあるか。
グリフォンさんの幼体は今頃なにをしているかなと、私はアルバトロス城の謁見室で考えていた。
「ア、アルバトロス王!」
ふいに上がった声に意識が現実に引き戻る。声を上げたのは聖王国の方だった。
攫ってきたフィーネさまのお迎えに聖王国の方々がやってきている。フィーネさま曰く、彼女が所属している派閥の方々なのだそうだ。しかしまあアルバトロス城の謁見室で陛下やアルバトロス王国の地位の高い方に囲まれているのは、彼らにとって落ち着かない状況のようだ。
顔を青くして状況をどうにか凌げるようにと頑張っているように見えるのだから。
今も陛下とフィーネさまに遊ばれている状況だし、彼らは腹を括ってフィーネさまや三年前に奮起した方に頼らず聖王国を立て直すことはできるのだろうか。無理そうだなと苦笑いを浮かべると、私の肩の上にいるクロが尻尾で背中を叩いている。どうやら状況を酷くしては駄目だと言いたいのか、私の気を引いているような感じだった。
「聖王国にとって大聖女フィーネは大切な存在です。アルバトロス王、アストライアー侯爵閣下にはご理解頂き、フィーネさまの身を返して頂きたく……!」
聖王国の方々が青い顔のまま陛下に進言する。確かにフィーネさまは聖王国にとって大切な存在だろう。三年前に聖王国を立て直した立役者の一人であり、大聖女を務めている。
これ以上ない聖王国の看板であるが、彼らはフィーネさまを都合の良い道具としか見ていないのではなかろうか。それが真実であれば私はキレ散らかす。大聖堂の一部破壊から、霧散させるくらいの勢いの魔術を打ち込むかもしれない。
「異なことを。聖女フィーネは聖王国で大聖女を務めることに辟易してアストライアー侯爵に助力を願い、アストライアー侯爵の要請で我々も力を貸すことにした。いや、不心得者がその前にアルバトロス王国と教会に対して不敬を働いていたな」
陛下の声に聖王国の方の青い顔が更に青くなって……というか白くなっていた。気絶して逃げないよねと気に掛けるものの、気付けの魔術があるから意識を失えば術を施せば良いかと開き直る。フィーネさまはなんとも言えない表情を浮かべながら、同じ派閥の方々を眺めている。自分たちに都合の良い言葉を吐くだけの彼らに辟易しているのだろう。
「お、お待ちください。その件に関しましては彼の枢機卿が原因でございます! 我々に責任はございません」
あ、逃げちゃった。遅くなったけれどこの場で彼の罪を謝罪していれば少し……一ミリくらいは印象がマシになっていたのに。自分の保身のために失敗した典型的な例だろう。
私の隣にいるハイゼンベルグ公爵さまは良い顔で笑っているし、ヴァイセンベルク辺境伯さまは盛大に溜息を吐いていた。他の方々も『あちゃー』みたいな感じで、心の中では頭を抱えているのだろう。聖王国……駄目だこりゃ、と。そして陛下も小さく息を吐いて、玉座の前にいる情けない聖王国の方々を再度見下ろした。
「責任はあろう。何故、他国を愚弄する者を直ぐに諫めなかった。私の名代を務めていたアストライアー侯爵に頭を下げたのは聖女フィーネだけだったと報告に上がっている。アストライアー侯爵、其方の報告に謀りはあるまい?」
「もちろんでございます、陛下。嘘を吐いてなにになりましょうか」
私が陛下の言葉に答えると、公爵さまが妙な顔を浮かべながら私を見下ろしている。なんだろうと彼の顔を見上げるも、謁見中なので言葉を発することはできない。
とりあえず私の報告に嘘も間違いもないはずだ。ジークとリンも教会を経てアルバトロス王国に報告書が渡っているし、ソフィーアさまとセレスティアさまもご実家とアルバトロス上層部に報告書を上げている。なんならエーリヒさまたち外務部の方もいるので、アルバトロス王国の状況認識は間違えようがないのである。
「う……その……聖王国の者がアルバトロス王とアストライアー侯爵に無礼を働き、申し訳ありませんでした」
「謝罪を口にできたことは褒めよう。だが我々が素直に貴殿らの言葉を受け取るとでも?」
陛下は謝罪を告げた聖王国の方々の扱いを子供レベルに落としている。謝るのは子供にでもできるのだが、大人であれば適切なタイミングで行わなければならないのではなかろうか。私も上手くできる自信はないが、謝罪は早ければ早い方が心証が良い。
「うぐ……しかし謝るしか方法が浮かびません…………」
「黒衣の枢機卿を貴殿らの手で処罰するとはならんのか」
陛下が謝るだけではなにも解決しないと聖王国の方々に厳しい視線を送る。
「聖王国で彼は二大派閥の片方の長を務めております。三年前に問題のある者たちを追いやり、運良く今の立場を得た者で……これ以上聖王国を運営できる者が減ると困るのです」
フィーネさまから聞いていた通りの言葉だった。どうやら黒衣の枢機卿さまは上手く波に乗り、更に大聖女ウルスラさまという駒を手に入れて、鼻が伸びに伸びたのだろう。確かに運に恵まれているが、他人を蹴散らすか頼っただけで得た地位でなにができるのか。いつかはくる破滅だったのかもしれないと、牢屋の中にいる黒衣の枢機卿さまを思い浮かべる。
「それがどうしたね。人が足りぬなら、そなたたちが二倍、三倍と働けば良い」
陛下がごく普通のことを仰った。文明が育ち切った社会であれば労働基準法を順守しろと口煩く言われるが、今住んでいる世界は文化は発展途上である。労働基準法なんて存在しないし、一徹しようが十徹しようが法で決められていないので問題はない。
陛下の正論に聖王国の皆さまは酸素が足りていない魚のようにはくはくと口を動かす。フィーネさまは彼らに助け舟を出すつもりはないようで、黙って見守っているだけだ。ならば。
「陛下、発言をよろしいでしょうか?」
私が小さく右手を挙げると、聖王国の方がびくりと肩を震わせた。取って喰いやしないのに失礼である。フィーネさまは申し訳なさそうな顔をしているが、私がこれから言おうとする言葉は聖王国を真っ平にする可能性もある。さて、彼らは己の尻に火が付いていることに気付いているのだろうかと、陛下に向けてにこりと笑う。
「どうした、アストライアー侯爵。侯爵は聖王国で彼の者に舐めた態度を取られても我慢していたな。今、この場はアルバトロス王国の独擅場だ。好きに発言をすると良い」
陛下と私の視線が合えば、彼も何故か小さく肩を一度震わせた。陛下に敵意を向けたことなど、生まれてこの方一度もない。何故、と疑問を抱えながらも私は口を開く。
「感謝致します、陛下。――黒衣の枢機卿さまは聖王国にて、わたくしが忠誠を誓っているアルバトロス王国とアストライアー侯爵家に喧嘩を売ってくださいました」
少々直接的過ぎる言葉だが、分かり易い方が聖王国の彼らに効くだろう。にこりと笑みを浮かべて、ほんの少しだけ魔力を練って放出する。クロと私の影の中にいるロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちが喜んでいるが、聖王国の方々は『ひぃ!』と声を漏らしていた。
そんなに驚かなくても命を取りはしない。単純に黒衣の枢機卿さまがコケにしてくれたことを、きっちりと清算して欲しいだけである。話し合いで解決するのであれば問題ないが、彼らは保身と日和見主義のお陰で腰が重い。ならば尻に火を付けて、尻の皮がベロベロになるまで炙らないと動かない。痛みと恐怖に怯えながらでも良いから自分で行動に起こさなければ、いつまでも誰かに頼るだけである。
「そ、それは彼の枢機卿が勝手に貴女方に喧嘩を売っただけのこと!」
「同じ国の者の蛮行を止めないのであれば、貴方方も同罪でしょう」
聖王国の一人が叫んだので私は彼に言葉を返す。あの時、黒衣の枢機卿さまの行動を止めたのはフィーネさまだけである。彼の態度は誰が見ても、来賓に失礼を働いていた。フィーネさま以外にも止めに入ったり、彼を嗜める方がいても良かったはずだ。フィーネさまに任せきりにして、自分は不利益を被るから動かないなんて都合が良過ぎる。
「あの時は大聖女フィーネが貴殿に頭を下げましたぞ!」
「確かに大聖女フィーネさまから謝罪を頂きました。ですが、貴方方から受け取っておりません」
フィーネさまとこっそり手紙を預けてきた教皇さま以外の謝罪は受けていない。教皇猊下ものっぴきらない立場故に大きな顔ができないそうだ。
三年前のことで教皇猊下は派閥の板挟み状態になっているらしい。若干申し訳ない気もするが、教皇という地位に就いているのになにもできないのは如何なものだろう。まあ、手紙を受け取ったお陰でフィーネさま拉致計画を発動できた。
今、ここにきている聖王国の方を脅して、教皇猊下にも動いて貰い、黒衣の枢機卿さまの立場を綺麗に消し去って頂かねば。でなければフィーネさまとウルスラさまが今後苦労することになるし、聖王国の聖女さまたちも不利益を被る。
「大聖女は聖王国で教皇猊下の次に権威のある者です。その者の謝罪でも足りぬと言うのですか!」
「もちろんです。三年前のことを考えれば、わたくしはあの場で聖王国を潰してもおかしくはなかったという考えに至らないのですか?」
フィーネさまには申し訳ないけれど、彼女の頭一つでは足りないと主張しておいた。考えが回る方ならあの時フィーネさまと一緒に謝罪を行っていただろうに。今更、謝っても遅いのである。
それに謝罪は謝罪された側が受け取らなければ意味はない。フィーネさまの謝罪は受け取ったけれど、聖王国の謝罪は知らないのだ。ぐぬぬと歯噛みしている聖王国の方々は、きちんと認識を持ってください。
「嗚呼、今から聖王国の大聖堂を跡形もなく吹っ飛ばしても良いのですが」
聖王国の方々は返す言葉が思いつかず黙ったままなので、私は演技染みた声を出して煽っておいた。私の言葉を聞いた彼らは肩を落として絶望している。
「アストライアー侯爵閣下!」
私と彼らのやり取りを見かねたフィーネさまが名を叫んだ。やはりフィーネさまは聖王国に所属する大聖女さまだ。簡単にアルバトロス王国に鞍替えなんてできやしないのだろう。フィーネさまは無言のまま陛下に視線を向けて発言の許可を得るが、私が先手を取らせて貰う。
「聖女フィーネさま、彼らの肩を持つのですか?」
「そういうわけではございませんが……大聖堂を吹き飛ばすのは少しお待ちいただけないでしょうか?」
「その意味は?」
「彼らには後がありません。その意味をきちんと理解していれば、もう馬鹿なことは言わないでしょう」
まあ、これは打ち合わせ通りであり、台本通りともいう状況だ。とにかく聖王国からやってきた方々にはフィーネさまの力を頼ることなく、黒衣の枢機卿さまにきっちりと処罰を下して欲しい。
それが一歩となり、次に手を考えられるのならば聖王国が壊滅することはないだろう。またフィーネさまや大聖女に就いたばかりのウルスラさまに頼ろうとするならば、アルバトロス王国から極太ビームが届くかもしれない。
「だそうですよ。他人の力を頼ることしか考えない貴方方の正念場です。――陛下、場を譲って頂いたこと感謝致します」
私は聖王国の方々を脅しまくって恐怖を煽っておく。なんとも情けないけれど、これくらいしなければ彼らは自分で動かないはずだ。脅し終えた私は陛下に場を任せる。
「黒衣の枢機卿を連れ帰り、聖王国で処断しろ。生温い対応を行えばどうなるかは貴殿らが一番分かっているはずだ」
陛下の言葉に肩を落とした聖王国の方々が謁見場を出て行くのだった。後に、彼らの表情はアンデットのように生気がなかったとアルバトロス王国近衛騎士の方々の間で噂になっていたそうな。