1011:お戻りです。
教会の外にはエル一家とグリフォンさんとロゼさんが私たちがくるのを待ってくれていた。流石に教会の中に入るのは不味いと考えたのだろう。ただ天馬さま四頭とグリフォンさんとスライムの姿が王都の皆さまにとって、近くで見られることが珍しいようで少し距離を取りながら彼らを眺めている。
一番好奇心を抑えられていないのは小さな子供たちである。でも、親に危ないから行っちゃ駄目と手を掴まれていた。普通の馬やグリフォンさんなら蹴られたり突かれたりするかもしれないが、彼らには人間の言葉が通じる。取って喰われやしないから近くに寄って行けば良いのにと少し残念に思いつつ、彼らを労おうと私は教会の大扉前の階段を降りる。
「エル、ジョセ、ルカ、ジア、ロゼさん、グリフォンさん、おかえりなさい。あとお疲れ様でした」
私の姿を認識したエルが代表してこちらに顔を向けた。身体に傷もないし普段と変わりないので一安心である。エルが顔を下げて撫でて欲しいと無言で訴えるので、私は手を伸ばして要望通りに顔を撫でる。ぷっくりと膨れている頬の部分を撫でてみたり、鼻先を指の背で撫でてみたりといろいろと工夫をしているとエルは気持ち良いのか、目を細めて受け入れてくれている。
『いえいえ。楽しい空の旅でしたよ。エーリヒさんもフィーネさんも紳士淑女の振る舞いでしたから』
ゆっくりと目を開けたエルが答えてくれた。エーリヒさまとフィーネさまが横柄な態度を取るところなんて想像できないし、想像してみたら少し可笑しくなる。
『聖王国の皆さまの驚く顔は見物でした。しかしフィーネさんはこれから大変なことになるのでは……』
ジョセもいつの間にか近寄っており顔を下げていた。私はジョセにも手を伸ばして身体を撫でていると、今度はルカが私の背後に立って頭の上に顔を持ってきた。なんだろうと不思議に思っていると私のアホ毛を食んで遊んでいる。
エルはルカの行動を止めなさいと言い、ジョセはあらあらまあまあと苦笑いを浮かべている。ジアはグリフォンさんの隣で兄の幼い行動をじーと眺めているので呆れているのだろう。ルカは私のアホ毛をひとしきり食むと飽きたのか、口からぺっと離してくれた。ルカの涎が染みているようで、少し私の頭が重い気がする。放っておけば乾くだろうと今度はグリフォンさんの下へと足を進めた。
「グリフォンさん、護衛お疲れ様です。ジアもお疲れ様。あまり子爵邸から出ていないから、気分転換になっていたら良いんだけれどね」
グリフォンさんもエル一家も子爵邸で過ごすようになって外に出歩く機会が減っている。彼らは強くなれるので問題ないと言っているが、運動不足でおデブちゃんになれば目も当てられない。そういえば犬や猫の肥満は見たことがあるけれど、馬の肥満は見たことがないなと妙なことを考える。愛玩動物と経済動物は違うかとグリフォンさんの顔を見上げた。
『空の旅は竜に気を払うくらいなのですが、亜人連合国の代表殿が彼らを束ねていますからねえ。気ままな空の旅でしたよ。次は仔たちと飛びたいものです』
グリフォンさんも首を下げて嘴を私の頬に当てる。少し冷たくて気持ち良いのだが、この間に私は手を動かさないと彼女は拗ねる。ぐりぐりと嘴を寄せるグリフォンさんの首元に手を伸ばして、手で確りと撫でると『ふふ』と嬉しそうな声を漏らしているので気持ち良いらしい。
ジアも私の横に移動して首を伸ばしてくる。グリフォンさんの首元に伸ばしている逆の腕をルカに伸ばして撫でていると『ふん!』とジアが鼻を鳴らす。どうやら雑な撫で方だったようでお気に召さなかったようだ。
「エーリヒさまもお疲れ様でした」
「……いえ。しかし私が仮面を被ってもあまり意味はなかった気がします。エルたちと一緒に行動すればアルバトロス王国関係者と必然的にそうなりますしね」
エーリヒさまは苦笑いを浮かべながらエルの首を撫でる。彼に用意した仮面はいろいろとあった。妖精さんがいつの間にか用意したどこかの部族のものや仮面舞踏会で被る――セレスティアさまチョイス――派手なやつとか、ヘルメット型の口元だけが出ているものとかで彼がどれを選んだのか少し興味がある。
ご本人に問い質すのは恥ずかしいかもしれないし、手紙でフィーネさまに聞いてみるのもアリだろう。アルバトロス王国の外務部に所属している者だとバレれば面倒になるから、アストライアー侯爵家の使いとなったのだ。
「顔バレするより良いかなと。侯爵家の使いという設定でしたからエルたちと行動を共にするのは自然です」
なににせよアルバトロス王国ではなくアストライアー侯爵家、ようするに私の命令によるものだと聖王国の方々には意識付けしたかった。だからこそエル一家とグリフォンさんという大所帯で移動をお願いしたし、護衛の方はなるべくいないようにロゼさんにお願いしたわけである。
ジークかリンにお願いしても良かったけれど、彼らは聖女である私の専属護衛騎士である。そろそろ個人的にそっくり兄妹を雇って、新たに教会から専属護衛騎士を募っても良いだろうか。
「聖王国が持ち直すと良いのですが……大変でしょうね」
エーリヒさまが困ったように肩を竦める。結局、聖王国のまともな方々は少なくて今回きっちりと動いてくれた主な面子はフィーネさまと教皇猊下と先々々代の教皇さまである。
現役ぃ……と言いたくなるが、ウルスラさまが新たに大聖女に就任しているし、アリサさまも聖女として真面目に働いている。こりゃ無能な男性陣を追い払って確りとした女性が聖王国の実権を握っても良いのではと考えてしまう。で、肝心な聖王国のリーダーはグイーさまたちの姿を視認してテンパっていた。
「あ、あの……ナ、ナナナナ、ナイさま? 大扉の下にいる方々を放っておいても宜しいのでしょうか? 凄い気配を発しているのですが……というかウルスラは?」
「許可を得ているので大丈夫です。ウルスラさまも大丈夫なはずです?」
驚きまくっているフィーネさまに創星神さまと大陸を築いた女神さまたちだとは言えず、ウルスラさまの話を際立たせる。ウルスラさまは女性とシスターたちと一緒なので大丈夫だが、黒衣の枢機卿さまが自身を利用していたと知っただろうし精神面が心配である。おそらくシスターズと女性のフォローが入っているはず。でなければ聖堂に顔を出していないはずだ。
「疑問形ではないですか! 荒治療を頼んだのは私なので偉そうに言えませんが、こうなるとウルスラにも大聖女を確りと務めて貰って聖王国を立て直さないといけません」
フィーネさまは弱音を吐くのかと思いきや、既に吹っ切れて聖王国の立て直しを考えているようだ。そうなるとエーリヒさまへ嫁入りが遠のくけれど良いのだろうか。
「アルバトロス王国に向かう中、エーリヒさま……ベナンター卿と話をしました。聖王国はどうしようもなく駄目な国かもしれませんが、それでも私にとって母国です。お世話になっている方やアリサに後輩にあたる聖女さまたちがいます。彼ら彼女らを路頭に迷わせるわけにはいきません。そして聖王国に住まう方々や女神さまを信仰している方々も裏切れません」
どうやら聖王国からアルバトロス王国に向かう最中、エーリヒさまとフィーネさまは今後のことを話し合ったようだ。やはり聖王国に向かう方をエーリヒさまに指名して良かった。手紙でやり取りをするよりも直接話した方がお互いの意思を確かめ易いだろうし、手紙よりもダイレクトに気持ちが伝わる。
「ですので、ナイさま。あ、いえ。アストライアー侯爵閣下、申し訳ありませんが今少し助力をお願い致します!」
三年前の彼女とは大違いだなと私は過去を振り返る。私もフィーネさまのように変わった部分があると良いのだけれど、精神面に大きな変化はない気がする。
「私が助力できるのは力や武力の面になってしまいますよ?」
私の精神面よりも環境やら立場が凄く変わっていて、いろいろと舞い込むトラブルも多いけれど享受できるものも多くなったし背負っているものもある。フィーネさまの決意を無下にはできないから、出来る限りは協力する予定ではいる。
「それで充分です。その間に聖王国の膿を出し切れば、私がいなくとも大聖堂の運営が可能になるでしょうから」
「承知しました。私のできる範囲でご協力致します」
ふんすと鼻息を荒くするフィーネさまに私は苦笑いを浮かべた。フィーネさまは聖王国の正常化を終えれば引退を考えているようだ。その時はエーリヒさまの下に嫁ぐのかもしれない。
「ナイさまが私の後ろに控えているというだけで抑止になりますからね!」
「……否定できないのが辛いです」
うーん、私が暴力装置であることが否定できない。戦力過剰だと自覚はしているが、アストライアー侯爵家のために領軍やらも用意したいしやるべきことは沢山ある。その前に黒衣の枢機卿さまの処分と聖王国が今度こそ立ち直れるように助力することかとフィーネさまに視線を向けた。
「あはは……で、ナイさま。もう一度言いますが、あそこにいらっしゃる方々を放置して良いのですか?」
「再度になりますが許可を得ていますので。神さまは他にもいらっしゃるそうですが、彼らはこの星を創った方と南と東と北大陸を創造した女神さまです」
苦笑いを浮かべているフィーネさまに私は至極真面目な顔で答える。不真面目な態度で答えると信じてくれそうにない。西大陸の女神さまが引き籠もっていることを彼女は知っているけれど、流石にグイーさまと三姉妹が現界しているとは考えないだろう。
「ん? はい? ワ、ワンモア……?」
「引き籠もっている西大陸の女神さま以外の三柱に、その姉妹のお父上ですね」
ワンモアってフィーネさま。驚き過ぎて英語になっているのだけれども。まあ、身内ばかりになっているし、遠巻きにこちらを見ている方々には聞こえまい。一度顔を合わせたというのに場面が場面だった所為かフィーネさまの頭の中で状況が追いついていないようである。グイーさまたちは面白そうな顔を浮かべてこちらを見ている。
フィーネさまの言う通り神さまをあまり待たせる訳にもいかないかと、私はフィーネさまとエーリヒさまを誘って、教会の大扉へと戻る。エルたちは外にいると騒ぎになると言って、子爵邸に戻っていった。
「天馬に乗ってみたかったのに……戻ってしまった」
私がグイーさまの下へ戻れば、どうやら彼はエルたちの背に乗って見たかったようだ。グリフォンさんも珍しいようで触れ合ってみたいと私に申し出る。
「親父殿。ナイの屋敷に行けば良いだろ。竜にフェンリルにケルベロスに天馬とグリフォンはいるからな」
南の女神さまが残念そうにしているグイーさまに仰った。そういえば女神さまたちに名前は……待て、気にしたら負けだ。前も思った気がするけれど。
「珍獣屋敷みたいに言わないでください……」
「事実じゃねえか。あと、まだ増えそうだけれどな」
「お前さんたちはそうしてじゃれ合っていると姉妹だなあ」
グイーさまの言葉に東と北の女神さまも同意している。単に黒髪黒目だからじゃないかなと南の女神さまを見れば、彼女が『あ』と短く声を上げてグイーさまを見る。私も彼女に釣られてグイーさまを見ると、彼の身体が半透明になっていた。
「どうやら限界かのう。ばーべきゅー楽しみにしているからな! ナイ、天馬とグリフォンも一緒に連れてきてくれ! 儂、乗ってみたい!」
グイーさまの姿がどんどんと薄くなっていく。そんな言葉を残しながらグイーさまは霞のように消えていった。そして南と東と北の女神さまも戻ると言い残して、アルバトロス王国の教会から消えるのだった。