1010:幕引きの途中。
グイーさまがウルスラさまの頭をひとしきり撫でて満足して、ウルスラさまが解放された。流石に神さまに頭を撫でられると考えていなかったウルスラさまは、グイーさまと少し距離を取るためにふらふらと移動していた。
大丈夫か心配になるのが、彼女以外にも他の方々が凄い形相で直立不動になっている。どうにも文化の発展していない世界では神さまの立ち位置が高いようで、緊張しているご様子だ。フィーネさまも目を白黒させながら無言を貫きつつ、エーリヒさまの服の袖を握ったままである。北大陸の更に北にある神さまの島に赴いた面子は少しだけマシだった。
「…………」
「……………」
教会の聖堂に沈黙が降りる。三女神さまは苦笑いを浮かべながら『仕方ねえのか』『わたくしたちの存在は特別ですからね』『人間ですもの』としたり顔になっていた。グイーさまは人間に興味があるので困った顔をしながら私に顔を向ける。
「ナイ、ナイ。どうして皆は黙っているんだ?」
「それは神さまが目の前にいらっしゃれば緊張してしまうかと」
グイーさまが私の聖女の衣装の服の端を大きな手でちょこんと掴んで疑問を投げる。その様子に私は彼に子供かいと突っ込みをいれたくなるが、お笑い芸人ではないのだからグイーさまの頭をスパンと叩けない。真面目に答えた方が良いと考えて私は無難な答えを用意すると、グイーさまが面白くないという顔をアリアリと浮かべる。
「この儂は分身体で島の本体より神の威光は落ちているんだが……ん? 儂の分身体を維持できる魔力を備えているナイの方が凄くないか?」
「疑問を投げかけられましても。私は魔力を放出しただけで、分身体を創っているのはグイーさまですよ」
グイーさまが私の魔力を利用して顕現している方が凄いはずだ。私は魔力を使ってもう一人の分身体を創るとか無理だ……猫背さんに頼めば術式開発してくれるだろうか。そして私が術式を扱えなくても副団長さまが面白おかしくご自身の分身を生み出すのではなかろうか。
そして私は魔力提供役である。凄く良い顔をした副団長さまと猫背さんが私に迫る姿が脳裏に浮かぶ。いやいや、神さましかできないことを人間ができるはずもないと決めつけてグイーさまの顔を見上げた。首痛い。
「それはそうだがなあ。お前さんの魔力量、一体どれだけ備わっているのやら。しかしナイ、気絶している男はどうするんだ?」
むーと唸っているグイーさまがはっと気絶している黒衣の枢機卿さまに視線を向けた。彼の視線は黒衣の枢機卿さまから直ぐ私に移り、期待の眼差しを向けてくる。
「聖王国に預けます。彼には確りと己の行為が他国を侮辱していたか自覚を持って反省して頂かないと」
ぶっちゃけアストライアー侯爵家としてもアルバトロス王国も黒衣の枢機卿さまの身柄なんていらないし、いてもらっても邪魔なだけである。
フィーネさまには申し訳ないけれど引き取って貰わなければならない。あとは聖王国で彼を煮るなり焼くなりして、やべー方と風見鶏な方たちの一掃に役立てて欲しいなと考えてはいる。本当にフィーネさまは貧乏くじを引いているけれど……。
「反省、できるのか?」
「できないなら、できないなりにやり方というものがあるでしょうから」
聖王国もアルバトロス王国同様に拷問官とか魔術師を擁しているので、あくどい手口を持っているはず。彼はもうアルバトロス王国と私に手を出せないし、出したら出したで今度こそ命がない。とりあえず捕縛縄を頂いて黒衣の枢機卿さまはグルグル巻きにしておいた。罪状はいくらでもあるので問題はない。
「大聖女フィーネさま、あとはよろしくお願い致します」
捕縛縄の先を握って黒衣の枢機卿さまをフィーネさまの下へと届けるために引き摺ろうとすれば、私の力では全然動かなかった。肩の上に乗っているクロが『ナイには重すぎるみたいだねえ』と苦笑している。どうしようと考えているとヴァナルが移動してきて私の横にちょこんと座る。
「は、はいっ!」
『主、ヴァナルが引く』
フィーネさまの気合の入った声と共にヴァナルも声を上げた。
「良いの?」
『うん』
私はヴァナルと視線を合わせれば、彼は大きな口を開けて捕縛縄を差し出してと私を急かす。移動はヴァナルに任せれば良いかと私は捕縛縄の先をヴァナルの口の中に仕込めば、がっつりと捕縛縄を咥えたヴァナルが良い顔になる。そうしてヴァナルは立ち上がり教会の祭壇から信徒席を抜けて大扉の前まで移動した。
『フィーネ。外に出よう?』
「あ、うん! では少し席を外させて頂きます」
ヴァナルに呼ばれたフィーネさまは私たちに頭を下げて大扉の前まで小走りで行く。なにをするのか理解していない方は小さく首を傾げている。そのお方はグイーさま一行とウルスラさまであった。ウルスラさまは黒衣の枢機卿さまのことをどう考えているのだろうか。聖王国の方が少ないアルバトロス王国であれば言い易いかもと、私はウルスラさまに視線を向けた。
「ウルスラさま。彼の行動は聖王国にとって不利益しかないとお分かりですか?」
「…………フィーネさまと先ほどの女性と話をして少しずつですが自身の現状を理解することができました。そして彼の行動は私を利用するだけの行動だったと知ることができました」
ウルスラさまは真っ直ぐな性格故に歪である。彼女の置かれた状況が己の身を高めるものではなく、黒衣の枢機卿さまに良いように利用されるだけと少しでも理解できたなら状況は改善したとみなして良いだろうか。
まだ彼女が心に抱えている傷が消え去った訳ではないけれど、黒衣の枢機卿さまの手から逃れられたならば真っ直ぐな性格の彼女には明るい未来が待っているはず。黒衣の枢機卿さまのお陰で聖王国の評判がまた下がっただろうから、大聖女の位に就いて忙しい身になるかもしれないけれど……とにかく。
「ウルスラさまとご挨拶した頃より、お痩せになられております。おそらく魔術を行使し過ぎて体調がよろしくないのではありませんか?」
ウルスラさまは私と初めて顔合わせした時よりも痩せてしまっている。食べているのだろうけれど魔力の消費が激しいのか、大聖女の仕事が忙しいのか摂取カロリーが足りていないようだった。
そりゃ大きな怪我や病気の方に治癒を沢山施して無理と無茶を押し通してきたのだろう。黒衣の枢機卿さまと離れたならば少しは落ち着くはずだと、気まずそうな表情のウルスラさまに私は苦笑いをした。
「……」
「沈黙は肯定とみなしますよ。初めての他国で緊張なされているでしょう。即、聖王国に戻られますか?」
フィーネさまと一緒に戻れば安心だろう。とはいえ聖王国では少しばかりお掃除をしなければいけないけれど。
「あ……あの! 先ほどの女性とまた話をしようと約束を交わしました。聖王国に戻ってしまえばお互いの願いが叶わなくなってしまいます。帰国の途に就く前に短い時間でも構いません、彼女とお話の場を設けて頂きたく!」
どうやらウルスラさまにとって女性の話は受け入れやすいようだった。年齢も離れているし、歳の近いフィーネさまや私が諭すよりも効果があるのかもしれない。それならもう一度女性と話をするのは良いことだろうと私は頷いて、祭壇の端っこで直立不動になっているカルヴァインさまに視線を投げる。教会騎士の方がカルヴァインさまの肩を揺らしてはっとした彼は『承知しました』と頷いてくれた。
「さて、フィーネさまの様子を伺いに行きますか」
ヴァナルと一緒に大扉を出て行ったフィーネさまが気になる。彼女が取っている行動を知っているものの、どうなるかはアルバトロス王国の王都の方々次第なのだから。
「ナイ、ナイ。儂も行って良いか?」
またグイーさまが私の聖女の衣装の端を掴んで許可を得ようとしている。神さまに行動制限を掛けることなんてただの人間にできやしないのだが、聞いてくれるのは有難い。
「構いませんが、グイーさまと女神さまが登場すれば失神者が続出してしまいます」
「む。なら扉の影から覗いていよう。ナイなら面白い事態にしてくれそうだ」
グイーさま私を面白発生装置みたいに見ないでください。トラブルが勝手に私の下に舞い込んで対処しているだけである。どうして豪快な方々は私の行動を面白がるのだろうか。
それにフィーネさまの様子を見に行くだけでなにもしないのに。ぷーと拗ねながら信徒席の間を私は進む。後ろにはジークとリンが控えてくれているし、雪さんと夜さんと華さんも一緒に移動している。ロゼさんは戻って早々、私の影の中に入っていた。大扉に手を掛けて重い扉を押せば陽の光が入りこむ。眩しさに目を眩ませていると、光量に慣れてきた目が教会前の光景を移しこむ。
フィーネさまとヴァナルが大扉に続く十数段の階段の上に立ち、その下にはアルバトロス王国の王都民の方々が何事かと立ち止まっていた。護衛を連れ、聖王国の衣装に身を包んだフィーネさまは一瞬で高貴な人だと理解できる。立場の差を理解している王都民の方は安易に近寄ろうとはしていない。
「アルバトロス王国の皆さま! 此度は聖王国の枢機卿がまたご迷惑を掛けてしまいました! 魔獣フェンリルに抑えられている男の処分は聖王国できっちりと果たしましょう!」
フィーネさまの言葉にアルバトロス王国民の皆さまは『なんのこっちゃ!?』となっている。そりゃ聖王国で起こっていることを細かく知らないだろうし、知っていたとすれば新たに大聖女さまが誕生したというくらいである。
やはり黒衣の枢機卿さまは小者だよなあと納得する。強かな方であれば彼女の後ろ盾を務めながら一気に成り上がろうとはせず、ゆっくりと聖王国の実権を握り教皇の座を射止めたはずである。他国に攻め入るほどの武力を聖王国は持ち合わせていないので、他国を植民地化することは無理だが教義を広めて聖王国の影響力を強めることはできるのだ。
『この男、無礼者。聖王国、きちんと処分する。みんな、見てて』
ヴァナルが捕縛縄を咥えて黒衣の枢機卿さまを口から下げた。ぷらんぷらんと風に揺れる蓑虫のような男性の情けない姿に王国民の皆さまは指を指して笑っているのだった。娯楽の少ない世界で、地位のある方が自身の悪巧みによって立場を落とす様は楽しいかもしれないなとフィーネさまとヴァナルの背を見守りながら、大きな山場は終えただろうと私は小さく息を吐いた。






