1009:目を覚ませ男なら。
アルバトロス王国王都、教会の聖堂は混沌としていた。
黒衣の枢機卿さまは神さま一家の登場に気絶し、カルヴァインさまも驚いて尻餅を付いている。アルバトロス王国の護衛の方々――一応、グイーさまを呼ぶかもと伝えておいた――も腰を抜かしているし、聖王国の方々も魂が抜けだしそうな雰囲気でグイーさま一行を見ていた。一応、神さま一家と一度面通ししている子爵家一行はどうにか平常心を保っていた。
「ナイ、ナイ」
「あ、リン、面倒を押し付けてごめん。お願いします」
「ん」
リンが右腕を確りと握りしめた数秒後『ご!』という凄い音が聖堂に響いた。私はリンが振り切った腕の速さに目が追いつかず状況を良く掴めていない。グイーさまは『首、飛んでいないか? あ、ついとる』と心配しているのか面白がっているのか分からない反応を示し、南の女神さまは『飛んだら親父殿が付ければ良いだろ』と凄いことを言い、東と北の女神さまは『あらあら』『まあまあ』と苦笑いを浮かべていた。
殴られた当の本人は意識が痛みで回復して、ぼんやりと目を開いた。黒衣の枢機卿さまの左頬は赤くなっているので、しばらくすれば腫れあがるかもしれないが、その時はウルスラさまに治癒をお願いして頂きたいものである。さて、と私は息を大きく吐いて意識朦朧としている黒衣の枢機卿さまと視線を合わせた。
「目が覚めましたか? 貴方さまがおっしゃっていた証拠をわたくしは提示いたしました。どうぞ、西の女神さまについてお聞きしたいことを神さまに問うてください」
私の言葉に焦点が合っていなかった黒衣の枢機卿さまの目が合ってきた。さて、また気絶されては困るので、桶に水を用意して貰っているので逃げられないはず。グイーさまはくだらないことで召喚したにも関わらず、島から出たことがないために興味津々で教会を見渡し『人間は凄いのう』と呑気に感想を零していた。そんな彼に『親父殿、人間は個じゃ大したことねぇが群になると力を発揮するぞ』と声を掛け、『ああ、確かに』『おチビちゃん、南大陸に手を出し過ぎて人間に詳しくなっているわね』と南と東と北の女神さまが語り合っている。
「私を謀るな! 神を連れてきたなど、嘘を吐いているのだ!」
グイーさまたちが特別な存在であると気配や魔力量で分かるはずなのだが、黒衣の枢機卿さまは私により提示された事実を認めたくないようで顔を真っ赤にしながらキレている。リンに殴られた頬が腫れているので余計に顔が真っ赤に見えるものの、興奮で痛みを感じていないようだった。
「威勢が良いのう、若造よ。今の儂は分身だから派手なことはできんし、娘が創った場所だから無茶はできんが、お前さん一人を平伏させるくらいは簡単だぞ?」
グイーさまには事の経緯を最初から全て説明してある。最初からというのは私が聖女になった辺りから公爵さまの決定により学院に通い始めたこと、お金を着服されていたことに、各国でのやらかしである。もちろん今回のこともきちんと説明しており、グイーさまはグラス片手に爆笑したり顔を青くしたりと忙しそうだったと南の女神さまが教えてくれた。酒の肴になったのであればなによりと、協力を取り付けたのである。
グイーさまは彼が小者だと分かっているし、私が手を出せば聖王国が今より更に面倒な状態になると理解してくれていた。一応、西の女神さまを奉る場所を壊したくはないようで、本丸であるグイーさまが出張ってくれたのだった。
「ひぃ!」
黒衣の枢機卿さまがグイーさまの圧に負けて情けない声を上げた。そして祭壇横の出入り口からあの女性と大聖女ウルスラさまが遠巻きにこちらを眺めている。ウルスラさまの顔には涙の跡が付いていた。女性となにを話したのかは分からないけれど、悪いようにはならないはずだ。今回、彼女の魔術が効かなかったことで、誰彼に術を施そうと試みないようになればそれで良い。
そして教会の大扉が開くとフィーネさまとエーリヒさまが姿を現した。フィーネさまの長い銀色の髪がぼさぼさになっているので、急いでアルバトロス王国にきたようだ。教会の聖堂を覗き見た彼女は混沌具合に目を丸く見開いて腰を抜かしていた。
エーリヒさまが急いで手を差し伸べたけれど大丈夫だろうか。フィーネさまには黒衣の枢機卿さまのお迎えご苦労さまですと言いたい所だけれど、聖王国も聖王国で問題が引き起っている。頭が痛くなりそうだが、とりあえずは目の前のことをと黒衣の枢機卿さまに私は視線を向けた。
「お主、男であろう。そう驚くな。たまたま時流に乗れたことで自身が偉くなったと勘違いしているようだが、ナイに手を出してどうしたいのだ? ナイの話を聞いただけで判断するのは公平ではないのでな、お主の意見を聞かせてくれ」
グイーさまの言葉に黒衣の枢機卿さまは答えられない。どうにもグイーさまの存在が強烈過ぎて恐れ戦いている。これ島に残っている本物の彼に会えば、黒衣の枢機卿さまの心臓が止まってしまうのではなかろうか。
「ナイ、これでは話にならぬ」
驚いているままの黒衣の枢機卿さまにグイーさまが呆れた声を上げる。普通の人は神さまを目の前にすれば、黒衣の枢機卿さまのような反応になるのだろうか。現にカルヴァインさまもまだ現実を呑み込めていないようで、驚いていたままである。
「魔力を放出し過ぎましたか?」
ふうと息を吐いて肩を竦めるグイーさまに私も肩を竦める。神さまの分身体だから本物ほど圧はないだろうと考えていたのに割と強烈だったらしい。確かに彼のアレでオーロラを作れるのだから、凄い力を持っているはずだ。
「かもしれんなあ。直ぐに分身体は消えてしまうかと思うていたのだが、割と長い時間儂という形を保っているのう」
「…………そんなつもりはなかったのですが」
グイーさまが想定していた現界時間を超えているらしい。まだ姿を形成できるようなので、話したいことは今の内に話しておいた方が良いのだろうか。
「とりあえず男は放置で良いだろう。さてナイの友達を紹介してくれんか? こちらにきたそうだが、儂たちに遠慮しているようだしなあ」
まあ創星神であるグイーさまと西大陸以外の女神さまが揃っているので、事情を知っていても私たちと合流しようとは考えないか。私はフィーネさまとエーリヒさまに手招きすると、お二人は顔を一度見合わせてゆっくりと信徒席の間を歩いてくる。
お二人の姿は付き合い始めの初々しいカップルそのままである。そして大聖女ウルスラさまと女性には私が直接誘いに行く。
「話が長くなるので割愛しますが、神さま方がお二人を紹介してくれとのことです。よろしければ参りませんか?」
私がお二人に声を掛けるとウルスラさまは現状に頭が追いついていないようで目を白黒させていた。女性は長く生きてきたためか随分と落ち着いた様子でウルスラさまの背に手を当てていた。
「アストライアー侯爵閣下は神さまとお知り合いなの?」
「話の流れで知り合うことになり、仲良くさせて頂いております」
女性の言葉に私は苦笑いになる。女性は私のやらかしをハイゼンベルグ公爵さまと筆頭聖女さまと共に楽しんでいるらしい。教会でお世話になるようになってからは頻度は減ったそうだが、手紙のやり取りがあるだろうし、教会のシスターたちからも私の話を聞いていたはずである。面白おかしく吹き込まれていなければ良いのだが、女性の話し相手が話し相手だから期待できなかった。
「まあ」
ウルスラさまに手を当てている逆の手を口に当てて女性は目を細める。そうして女性はウルスラさまに『行きましょうか』と促して、一歩を踏み出した。ウルスラさまは釣られる形になり足を踏み出す他ない。まあ、神さまと話してウルスラさまの凄く真面目な部分と過去のトラウマが少しでもマシになると良いのだけれど。女性と話して少しは気が紛れたようであるが、過去の傷は簡単に塞がるものではない。
グイーさまの下へ戻れば、彼がにかっと笑い私たちを見下ろす。
「男がナイに絡んでいると助けを求められて……はいないか。面白そうな状況だから一枚噛ませて貰った」
「恐れながら尊いお方と存じます。至らぬ身でありながら拝謁できたこと感謝致します」
グイーさまが声を上げれば女性が丁寧に頭を下げた。ウルスラさまもグイーさまの異様な圧力になにかを感じ取って無言で礼を執り頭を下げる。フィーネさまとエーリヒさまも合流すれば、グイーさまがご機嫌な顔を浮かべた。
「お初にお目に掛かります」
「お主は聖王国とやらで大聖女を務めているとナイから聞いた。西の娘について文献を調べるために助力して貰ったとな」
フィーネさまが礼を執れば、私が彼女に協力を求めたことを労ってくれている。やはり西の女神さまが引き籠もっていることを気にしているようで、彼にとっても放って置けない問題のようだ。
「私は禁書部屋の閲覧許可を願っただけでございます。女神さまについて書かれた具体的なことに言及はできず申し訳ありませんでした」
「謝らなくてもよかろう。それに楽しそうなことをお主らは考え付いたのだからな。お前さんも機が合えばナイと共に島にくると良い」
グイーさまの言葉に、フィーネさまもBBQに誘うことが決定した。日程が合うか分からないけれど、聖王国で大聖女を務めている方が神さまのお誘いを受けて断れるとは思えない。彼女の補佐として神の島に赴きたい方が沢山名乗り出そうであるが、その前に聖王国には黒衣の枢機卿さまの件をきっちりと解決して頂かなければ。
「あ、あの!」
「どうした娘よ?」
ウルスラさまがグイーさまの顔を真剣に見上げる。なにか思い詰めているような気もするが大丈夫だろうか。とはいえ黒衣の枢機卿さまのような無様な姿をウルスラさまは晒さないだろうという確信があった。
「どうして私に西の女神さまから聖痕を与えられたのでしょうか? そして聖痕を与えられたというのに治せない方がいるのは、どうしてでしょうか?」
女神さまから力を与えられれば、彼女が万能感に目覚めても仕方ないのだろうか。真面目だし、困っている全ての方を助けたいと生き急いでいる彼女にとって大事な質問なのだろう。グイーさまは真面目な顔になってウルスラさまときちんと視線を合わせる。そしてウルスラさまも大真面目な顔になっていた。
「お主に聖痕を与えられた理由は西の娘に聞かねば真意は分からんな。だが、これだけは答えられる。お主に治せない者がいたならば、生物としての寿命だ」
「…………」
「気落ちするでない。生を授かれば必ず死を迎える。神の身である儂や娘もいつか終わりがくるのだからな」
神さまですらいつか終わりがくるものらしい。本当に命というのは不思議なものである。フィーネさまとエーリヒさまと私は前世の記憶を持っているから、更に不思議な存在だけれども。
「え?」
「神とて万能ではないということだ! 現に娘が引き籠もってしまった理由が全く分からんのでな!」
グイーさまがにかっと笑いウルスラさまの頭をぐりぐりと撫でる。彼女は困惑しながらもグイーさまの手を振り払うことはなく無言で受け入れていた。






