1005:自国とアルバトロス王国の違い。
聖王国の大聖堂に訪れた皆さまへ治癒を施すのは聖女の務めです。
私が初めて訪れた――聖王国以外の国に赴くこと自体が初めて――アルバトロス王国も聖王国の大聖堂で治癒を施している聖女同様に教会が開いた治癒院に訪れた方々に治癒魔術を聖女の皆さまが施しております。
少し違うことは治癒を行う前に寄付代を払えるか、払えないかの確認を取っているところでしょうか。大聖女フィーネさまから聞いた話によれば、アルバトロス王国の聖女さまは仕事の側面が強いと聞きました。聖女の成り立ち自体も女性のための職業斡旋――少し難しい言葉なので理解が追いつかなかったものの、フィーネさまが意味を教えてくださった――と聞いております。
教会に訪れた方に治癒を施す以外にも、王城の障壁展開を維持している魔術陣に魔力補填を担ったり、聖女さまのいない町や村に慰問に赴いたり、魔物の討伐に赴いた軍と騎士団に同行して怪我人の治癒を引き受けるそうです。
聖王国の教会は治癒魔術を上手く使える女性を聖女として召し上げ、大聖堂に訪れた方で病気を患っていれば治癒を施す形となります。魔物討伐に参加することはありませんし、慰問に赴くことはありません。大聖堂の中しか知らなかった私には、アルバトロス王国の聖女さまが教会という場所以外で活躍なさっていることに驚いたものです。
今、私はアルバトロス王国の教会で貴重な経験をさせて頂いているのでしょう。フィーネさまがアルバトロス王国の教会に赴くのであれば、いろいろなことを見てきなさいと仰ってくれました。
フィーネさまが自室に閉じ籠り、お加減が気になって私が様子を伺いに赴いた日からお手紙で交流しております。手紙を届けてくれる方はなんとフェンリルです。
ヴァナルさまというお名前で言葉数は少ないものの、優しくのんびりとした方でした。そしてもうお一方。頭が三つある魔獣の種族を私は知り得ませんが、それぞれユキさまとヨルさまとハナさまと名乗っているそうです。彼女たちはヴァナルさまより凄く確りとした喋り方ですし、私と言葉を交わす回数も多いです。最初にヴァナルさまとユキさまたちをフィーネさまの部屋で見た時は驚きましたが、フィーネさまとのお手紙のやり取りのお陰で少しずつ仲良くなれている気がします。
そしてフィーネさまも私に親身になって相談に乗ってくれていました。彼女が自室に引き籠っているのは体調不良というわけではなく、いろいろとご事情があるために――内容については教えてくださらなかった――閉じ籠っていると聞きました。もう直ぐすれば部屋からでることになるそうですが、その時は騒がせてしまうだろうと手紙で教えてくださっております。
今まで私が頼れる方は助けて頂いた枢機卿さましかいませんでしたが、大聖女の立場になってフィーネさまとヴァナルさまとユキさまたちという方が私を見守ってくれています。
最初は私のことを嫌っているのかもしれないと考えていましたが、フィーネさまが部屋に閉じ籠っていると聞き心配でいても立ってもいられず、彼女の部屋を訪れて正解でした。
今、私はアルバトロス王国の治癒院が開かれている部屋の片隅で、アルバトロス王国の聖女さま方を食い入るように見ています。
訪れた方に魔術を施して直ぐに治癒を終える聖女さま、訪れた方と少し話をして治癒を施す聖女さまに、じっくりと話を聞きながら時折笑顔を交えてそれから治癒を施される聖女さまがおります。治癒術は症状を聞かなくても治せる聖女さまもいれば、症状を聞いて適切な術を選んで治す聖女さまがいるのだとか。私は症状を聞き出さなくとも術さえ唱えれば傷も病も治せます。
聖王国の大聖堂に勤める聖女さまもいろいろな方がいると知ってはいますが、こうして外側からゆっくりと眺めるのは初めてですし、訪れた方が寄付を払っている姿を見たのも初めてです。聖王国は聖女が寄付金の徴収に関わることはなく、務めを終えれば定額が支給される形です。寄付代は大聖堂に入り、その中から聖女に支払われていると聞きました。
私は雨風を凌げる寝床と毎日三食食べられる環境がありがたいので、自身で稼いだお金に興味はありません。外へお買い物にいかなくとも、教会から支給される品で十分暮らしていけます。なので私が聖女として働いたお金は枢機卿さまが預かってくれておりました。以前、彼に偶にはお金を使いなさいと言われたことがありますが、使い方が良く分かりません。
「アルバトロス王国教会の聖女の質は高いと聞いたが、ウルスラに勝る者はいないようだね。アストライアー侯爵は対話を重視していて効率が悪い。他の聖女も魔力切れを起こして早々に引き上げる者もいるし、魔力が切れずとも治癒を施せず他の聖女に患者を回している」
私の後ろ盾である枢機卿さまが治癒院の様子を見ながら肩を竦めて息を大きく吐きました。確かにアストライアー侯爵さまは訪れた方と丁寧に話をしながら治癒を施しております。でも、アストライアー侯爵さまが請け負った方は最初は不安そうな顔を浮かべていますが、治癒を施し終わると表情が和らいでいました。そしてアストライアー侯爵さまに深々とお辞儀をして帰っていきます。
侯爵位をお持ちの方ですから、他の方が彼女を慮るのは理解できます。聖王国でも爵位の高い家に属する方が聖女を務められておりますが、訪れた方があんなに深々と頭を下げることはありませんし、穏やかに会話を交わしているところは見たことがありません。
どちらが良いのか優劣を付けたくはないのですが、帰路に付く方の表情を見ているとアストライアー侯爵さまのやり方が一番なのではと考えてしまいます。
「……そうなのでしょうか?」
私の口から勝手に出た言葉にハッとします。助けて頂いた枢機卿さまの言葉に今まで逆らったことはありませんでした。彼に従っておけば私の生活はどんどん改善されて行き、大聖女の地位まで得たのですから。でも、最近は彼の行動に疑問を持つようになってしまいました。彼が身に着けている大きな青い宝石が付いた指輪もその一つです。
「なに?」
私の言葉が耳に届いたのか枢機卿さまは眉を互い違いにしながら凄く怖い顔で私を見下ろします。
「あ、いえ……なんでもありません。あ……あの、私はアストライアー侯爵さまのように振舞うことは可能でしょうか?」
怒られると考えた私は彼の言葉を問い質すことができません。怒られるのは嫌いです。貧民街でやむにやまず食料を盗んでお店の方に見つかって、凄い顔で怒られながら殴られたことがあります。
当時、余裕が全くなかった私は何故殴られてしまうのか理解が及びませんでした。ただお腹が空いて仕方なくてお店にならんでいたパンを店の主人の目を盗んで盗っただけなのにと。パン一つで顔が腫れ上るまで殴らなくても良いじゃないかと。衣食住が事足りている今なら、お店の方の利益を奪った私に怒るのは理解できます……理解できますが、どうしても殴られた記憶を拭い去ることはできませんでした。
「ウルスラは類まれなる治癒の力を持っているよ。侯爵のように面倒な手間を掛ける必要もなかろう。君は無心で訪れた信者の方に治癒を施せば良い」
枢機卿さまが厳しい表情から柔らかな表情に代わり、私は治癒を施すだけで構わないと教えてくださいました。果たして本当にそうなのでしょうか。フィーネさまは良く考えて行動した方が良いと言ってくださいました。
学のない私には難しいのかもしれませんが、私のやりたいことや将来のため自分自身で考えなさいと。貧民街から救い出され孤児院からも救い出されて教会の聖女になった私にできること……貧民街で助けてと手を伸ばした方を振り払ってしまった私にできることは、多くの方を救うことだと今まで考えてきました。
そして聖痕を授かって更に多くの方を救えると確信しております。そして私の下に多くの信者の皆さまがやってこられます。失くした腕を再生して欲しいと請われて腕を治しました。私が腕を再生させたと知った別の方から足を再生して欲しいと請われて、私はその方の足を治しました。足が戻って喜んでいる方を見て私は安堵しましたが、もし仮に失敗していればどうなっていたのでしょうか。
女神さまが与えてくださった力なので失敗なんてあり得ませんが、私のミスで術が発動しない場合もあるでしょう。その時、信者の方たちは私をどう思うのでしょうか。自信満々に沢山の方を助けたいと皆さまの前で私は口にしていますが、本当は。
――怖い。
パンを盗んだ時のように殴られてしまうのでしょうか。役立たずと罵られるかもしれない。私に好意を寄せてくれていた方々が離れていくかもしれない。考えるとキリがないですが、最近はこんなことばかり考えてしまいます。
「君の治癒の腕前は本物だ。アルバトロス王国の聖女が治せない病気や怪我があれば君の出番となろう。その時は存分に君の力を振るいなさい、ウルスラ」
「……はい」
彼は柔らかな表情のまま私に告げました。私に残されている選択は肯定の言葉のみ。嗚呼、女神さま。今日は……どうか今日だけは症状の酷い方が教会に赴かないでくださいと願います。
どうか、私の願いを聞き届けてください。もし仮にそのような方が現れれば枢機卿さまは機嫌が大層よくなり、私に治癒をと請うでしょう。そして治せないアルバトロス王国の聖女さま方の前で私は術を行使せねばなりません。病気や怪我で悩む方の力になれることは、なにも持っていない私にとって唯一できることですが見世物ではないのです。どうか、どうかと願っていれば、いつの間にか時刻が過ぎて陽が沈む頃相となっていました。
――良かった。
開かれていた治癒院に訪れていた方々も次第に減り、なにごともなく終えたようです。お昼過ぎから開かれていたので、四時間は経っているでしょうか。最後まで残って治癒を施されていたのはアストライアー侯爵さまと金髪の髪を三つ編みに結っている――確か聖女アリアさまと――方のみです。
しかし魔力が尽きて術が施せなくなった聖女さままで残って、来院した方の案内や他の方のお手伝いを担っております。聖王国にも良い部分がありますし、アルバトロス王国の教会にも良い部分があると思います。国に戻れば聖女の皆さまと相談して、アルバトロス王国の良い所を取り入れても良いのかもしれないと私が考えていた時でした。
枢機卿さまが人気の少なくなった治癒院の中を忌々しそうに見つめていたのです。やはり、私の隣に立つ方は変わられてしまったのだと私は目を瞑ります。
「長時間、お疲れさまでした。移動しましょう」
私たちの側で説明を行ってくれていたアルバトロス王国のカルヴァイン枢機卿さまが声を掛けてくださいました。私と彼のやり取りは声を抑えていたので、カルヴァイン枢機卿さまの耳には届いていないはずです。
そのことが少し残念に……私はなにを考えているのでしょうか。聖王国の聖女なのに他国の枢機卿さまに彼の問題のある言葉を聞いていて欲しかったなんて……。治癒しか取り柄のない私が考えても仕方ないと席を立ち、教会の中庭を皆さまと一緒に移動します。私たちが廊下を歩いているとアルバトロス王国教会の皆さまが隅に寄り、頭を下げてくれています。
「…………」
無言で頭を下げる老齢の女性から香る臭いが私の鼻を突きました。これは……死の臭いです。貧民街で命が持たない方から臭う独特な香りです。どうして教会にという疑問と、早く魔術を施さなければ彼女が亡くなってしまうと私の心が焦ります。
「カルヴァイン枢機卿さま」
失礼だと理解していても、私のどうにかしなければという気持ちは止まらずカルヴァイン枢機卿さまに声を掛けてしまいます。件の女性は私たちが離れたことを確認して、ゆっくりとどこかに歩いて行っております。
「どう致しました?」
「言い辛いのですが、先ほど廊下ですれ違ったご婦人は大病を患っていらっしゃるのではありませんか?」
不躾に名前を呼んでしまったというのに彼は不思議そうな顔で私を見たあと、少し険しい表情を浮かべました。
「病気と表現しても良いものでしょうか。彼女は女神さまの下へ旅立つ準備をしているのですから」
教会の一室で痛みを緩和しながら、ご婦人は死を待っているのだそうだ。
「ウルスラ、このあとも予定があるんだ。彼を困らせてはいけないよ。もし君が治癒を施したいのであれば、全ての予定が終わってからだ」
カルヴァイン枢機卿さまは更に形容しがたい顔になり目を細めると、枢機卿さまが私の肩に手を置いてそれ以上は駄目だと遠回しに伝えました。そして廊下の向こうからアストライアー侯爵さまが私たちに合流するために姿を現したのです。