1004:いつも通りに。
カルヴァインさまが黒衣の枢機卿さまを教会内に案内する。アルバトロス王国の王都にある教会は聖王国の大聖堂より随分規模が小さいが、黒衣の枢機卿さまは満足なさってくれるのだろうか。大聖女ウルスラさまは彼の後ろに付いて、物珍しそうにきょろきょろと周りを見渡していた。こういう所は十五歳の女の子だなと私は後方で彼らの姿を観察しているのだった。
一行は信徒席を抜けて祭壇の近くまで歩いてきた。一応、国外のお偉いさんがくるということで今の時間の一般参拝は無理だと通達されている。いつも信徒の方が御祈りに訪れているので、人のいない教会は少し神秘的である。祭壇上にあるステンドグラスからは陽の光が差し込んで床を照らし、聖堂の所々に灯された蝋燭の火がゆらゆら揺れていた。
黒衣の枢機卿さまはアルバトロス王国教会の周囲を見ながら、最後に天井を見上げる。天井にも絵が施されており、女神さまの奇跡を現しているとかなんとか。西大陸の女神さまは随分と長い時間自室で引き籠もっているのに、こうして奇跡を起こしたと伝承が残されているのは何故だろう。グイーさまに聞けば分かるかなと私が小さく首を傾げたその時だった。
「アルバトロス王国の聖堂も素晴らしいですな。天井に施されている絵画は実に良いものだ」
「ありがとうございます。私も聖王国の大聖堂で見た数々の絵に心打たれました」
黒衣の枢機卿さまがカルヴァインさまに視線を合わせながら天井に描かれた絵の感想を述べていた。どこが良いのかさっぱりだし、具体的にどんなところが良いのか黒衣の枢機卿さまは答えていない。
リップサービスかもしれないし、カルヴァインさまも聖王国の大聖堂で見たド派手な絵について無難な言葉で収めている。もしかすれば二人とも絵に関心がないのかもしれない。私もさっぱりと分からないけれど。
「アストライアー侯爵も教会の絵に心打たれたことがあるだろう?」
黒衣の枢機卿さまが私の方へと身体を向けて問い掛けてきた。どうしよう。正直に絵で腹は膨れないのでと答えれば、空気の読めないお馬鹿さんである。女神さまの奇跡を讃えたとても素敵な絵ですねと答えれば、子爵邸のメンバーが『腹でも壊したか?』と心配されそうだ。
「そうですね。大変良いものだと。奇跡を起こされた女神さまも絵を描かれた方も我々のために力を振り絞ってくれたのでしょうね」
私は迷った末に、既にどこにもいない猫さんの幻覚を見ながらどうにか猫を被る。ソフィーアさまとセレスティアさまが私の後ろで微妙な空気を醸し出しているから、私が黒衣の枢機卿さまのために適当に口を合わせたことはバレバレのようだ。
まあ、私が信仰や女神さまのことについて言及するとアルバトロス王国教会の皆さまが微妙な顔になるので、身内のために取り繕ったとも言うけれど。黒衣の枢機卿さましかいなかった場合、私ははっきりと『絵の良さは分かり兼ねる』と答えていただろう。
「そうかね、そうかね。大聖女ウルスラはどう捉えるかな?」
「難しいことは良く分かりませんが……色使いが綺麗です」
彼女は天井に描かれた絵に視線を向けながら彼の言葉に答えた。私は色の使い方なんてさっぱりなので、大聖女ウルスラさまは絵心があるようだ。同じ貧民街出身なのに感性の差が出てしまうのだから、こう神さまは不公平というかなんというか。
「カルヴァイン枢機卿は若いのに随分と活動的なのだね。いずれ、聖王国にきて職位に就いてみては如何かな?」
黒衣の枢機卿さまは接待されていることで気分が良いようだった。カルヴァインさまは彼の言葉に困った顔を浮かべて口を開く。
「有難いお言葉です。ですが、私はまだまだ未熟で、他の皆さまの助けを受けながら枢機卿を務めております。聖王国に赴くのであれば、何十年も先の話になってしまうかと」
彼はおそらく、本来は枢機卿の座よりも信徒の皆さまと関わりながら女神さまに仕える方が性に合っているのではなかろうか。私が彼を無理矢理枢機卿の座に追いやったので、今更な意見だけれど。枢機卿の仕事が忙しいはずなのに、まだ治癒院に参加しているし朝拝や日曜のミサにもきっちりと顔を出しているそうだ。私は暇なときしか参加しなくなったので、彼は本当に熱心である。
カルヴァインさまは聖王国に赴いて神職を務めたいのだろうか。なんとなく黒衣の枢機卿さまのお誘いをやんわりと断っているような気がしなくもない。接待は大変だなと彼らと少し離れた場所にいる私はふうと大きく息を吐いたのだった。
――お昼がきた。
教会の食堂でご飯を頂いた。パンとスープが並べられた時に黒衣の枢機卿さまの顔が引き攣っていたような気もするが、教会の食事はみんな同じ内容である。私は食べられれば良いし、警備の関係でジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまはあとから食べることになるので食事のメニューに文句なんてない。
むしろ子爵邸の料理に慣れているので、教会のご飯は懐かしかった。しかもアリアさまも美味しそうに食べているし、ロザリンデさまも侯爵令嬢さまなのに特に気にする様子もなく食べていた。
パンが少し硬いけれど噛んでいれば味が出てくるし、硬いパンが苦手ならスープに付けて食べるのだ。お貴族さま的にはお行儀が悪いけれど、美味しいし綺麗に食べきるコツなんだけれどなと私は教会のお昼ご飯を完食したのだった。
黒衣の枢機卿さまの隣に座っていた大聖女ウルスラさまは教会の食事を美味しそうに食べていた。所変われば味付けは違うだろうし私は彼女に大丈夫か問うてみれば、聖王国以外の食事を初めて食べたけれど美味しいですとへにゃりと笑って答えが返ってきた。
美味しいならなによりだし、教会の調理場を束ねている方たちも安堵したことだろう。普段と同じメニューだけれど来賓の方に出す品なので緊張はしたはず。
食べ物を粗末にしない方は悪い方ではないという自論を掲げているのだが、大聖女ウルスラさまは私の自論に当てはまってくれると嬉しい。ちなみに黒衣の枢機卿さまは、教会の食事を無言で食べていた。
さて、これから先は聖女が戦場に突入する。戦場と言っても実際に戦場に赴くわけではないが、治癒院に訪れた患者さんに術を施すのはかなり大変である。ほぼ藪医者しかいないアルバトロス王国では教会が開く治癒院に人が集まる。
今日は治癒院を開くよ~と教会が告知しているし、高貴な方が見学にくるから余計なことは考えないでね~と圧が掛かっている。その代わり教会が求める寄付額が気持ちばかり下がる――聖女の取り分は普段通り――のだ。
なのでお金に困っている方々は少しでも安い時にと考えて来院人数が多くなる。教会は賑わっていますよ~というアピールをお客さん方にしたいのだろう。
私は治癒院が開かれる場所の隣の部屋で聖女の皆さま方と集まっていた。もちろん護衛のジークとリンと側仕えであるソフィーアさまとセレスティアさまも一緒だ。
「さて、本日は見学の方がいますが、いつも通り気張らずいきましょう」
一応、爵位が一番高い上に聖女として名前が大陸中に売れているので私が音頭を毎度取っていた。最近は私が治癒院に参加すれば騒ぎになるから足が遠のいていたのだが、今日は護衛の方も沢山いるため参加が認められている。
というかアルバトロス教会の聖女は凄いでしょ! をやるために駆り出された訳だけれど。まあ、黒衣の枢機卿さまが『ぐぬぬ……』と歯噛みしてくれるなら嬉しい限りだし、大聖女ウルスラさまが学べることがあるならそれはそれで良いものだろう。
「はい! 頑張りましょう!」
「新しい衣装のお陰か魔力の巡りが良いので、いつもより多くの方を診られそうです」
ふんすと気合が入っているアリアさまと少し嬉しそうな様子のロザリンデさまが頷いてくれる。そして私は他の聖女さまにも一声ずつ掛け、教会職員の方々にもよろしくお願いしますと伝える。治癒院が開かれる部屋をこっそり覗けば、開院前から沢山の方が集まっていた。
『凄い人だね~』
クロの声に私は『本当だね』と返して魔力を練ってみる。いつも通りに馬鹿みたいに身体の中を巡る魔力を御しながら、術をいつでも行使できる状態に持っていく。
『ん? ナイ、前より魔力が右腕に集まり易くなってない?』
クロがゆらゆらと揺れる私の黒髪を器用に避けながら問いかけてきた。
「確かに右腕がいつもより熱いかも……傷を治してくれたのは有難いけれど、変なことになってないよね……今度会ったら聞いてみよう」
私の熱を持っている右腕を眺めながらグイーさまは治療以外になにかしたのかと首を傾げた。流石に奇跡の右腕とかにはなるまいと不安を振り払い治癒院へと足を向ける。
黒衣の枢機卿さまご一行は部屋の片隅で室内を眺めているそうだ。私の位置からは死角になっているので彼らの姿は見えないが、おそらく私がどんな対応を取り、どんな治癒を施しているのか興味津々で見ていることだろう。
驚くなかれ、私の治癒の腕は普通である。
他の聖女さまと違う所は魔力切れの経験がないことくらいだ。アルバトロス王国内の現役聖女さまで一番腕が良いのはアリアさまだろう。彼女の気合の入り方や注ぎ込む魔力量によって、難病の方や酷い怪我を負った方でも治していることがある。死者蘇生や女神さまの下へ旅立つことが決定している方は治せないけれど、それ以外はほぼ治せるのだ。
アリアさまは過ぎた力はトラブルを引き寄せると理解しているため、大聖女ウルスラさまのように誰彼に治癒を施すことはない。それにアルバトロス教会の皆さまも奇跡と呼ばれる治癒は危険と分かっているため、治せないと事前判断された治癒依頼は断っている。
最近、ロザリンデさまも治癒院に度々参加しているためか腕前が上がってきている上に、共和国の研修生が見学にきているため、みっともない姿は見せられないと他の聖女さままで頑張っているらしい。
「さあ、お仕事を始めましょう」
私が声を上げるとジークとリンが頷いてくれる。本来の私はカルヴァインさまと共に黒衣の枢機卿さまの相手をしているのだが、あの人と一緒にいたくないし、黒衣の枢機卿さまも大聖女ウルスラさまと私を比較したいだろうから都合が良いはず。
「本日はどうされましたか?」
久方ぶりの参加であるが慣れているし、やることは同じなので緊張はない。始めに私から患者さんに声を掛けて症状を聞き出し処置を行う。問題が出たら教会に申告をと伝えて治癒を終えるの繰り返しだ。
結局、最後の一人まで捌くまでに四時間ほど掛かり、そろそろ陽が沈む時間となっていた。夏より随分と早くなったなと最後の患者さんを送り届ければ、見学をしていた黒衣の枢機卿さま方がこちらへと顔を出すのだった。






