1001:忙しいアルバトロス王国。
――どうしてこんなことに……! と、俺は外務部の自席で頭を抱えていた。
話は数十分ほど前に遡る。外務部に聖王国の枢機卿と新しく大聖女の地位に就いたウルスラと呼ばれる少女がアルバトロス王国の教会の視察に赴きたいと打診があったと。
そしてアルバトロス王国は視察を受け入れるとアルバトロス上層部から通達が入ったのだ。まあ、そこまでは大きく驚くことはない。フィーネさまから届く手紙で内容は知っていたのだから。そして彼女が私的な手紙で国についてのやり取りが記されているならば、聖王国とアルバトロス上層部にも許可を得ているのだろう。
国外の地位のある方の出迎えなので外務部も動員されるのは当然であるが、通達内容に大聖女ウルスラ以外はどうなっても良いよと告げられるのは如何なものだろう。
新しい大聖女就任から派閥騒動が巻き起こり、自身の派閥の皆さまの行動に怒ったフィーネさまが聖王国で自室に閉じ籠って二週間近く経っていた。そろそろ部屋に閉じ籠っているのも限界かもしれない。噂でフィーネさまの部屋から妙な叫び声が上がったと聞いている。彼女が記した手紙にそんなことは一言も書いていなかったので、嘘だと信じたいが……燃える種がなければ煙も火も立たないしなあと遠い目になる。
敵対派閥の長と新しく就任した大聖女がアルバトロス王国に向かうのは必然だったのだろうか。最大対抗勢力であるフィーネさまの派閥は弱体化しているので、止める者はいないし、相手方はナイさまと治癒の力比べをしたいそうだ。無謀な…………という外務部の中で空気が漂っているものの、新大聖女以外は追い落として良いよという許可が降りているので、何故か同僚たちは盛り上がっていた。
「先日、ヤーバン王を受け入れて無事に帰国したというのに、今度は聖王国の方ですか。本当にアストライアー侯爵閣下は人気者ですね。エーリヒ」
ユルゲンが緑色の長い髪を揺らしながらくつくつと笑っている。どうやら俺の様子を見て、なにか考えていると察したらしい。俺は頭を抱えていた両腕を解いて、ユルゲンの顔を見る。彼は笑っているというより、俺の苦労を察知してくれて苦笑いになっていた。なら、少しくらい愚痴を言っても構わないかと彼の言葉に答えるべく口を開く。
「そうだな。そうなんだけれど……どうして俺が単独で聖王国に乗り込まなければならないのでしょうか?」
ユルゲンと私的に話しているのに何故か最後は敬語になってしまった。外務卿から通達されたのは聖王国の件だけではなかった。何故か部屋に閉じ籠っているフィーネさまの救出作戦まで立てられており、教皇猊下と先々々代の教皇さまの許可は得ているから迎えに行ってくださいねと温かい言葉をくれたのだ。
面白そうに笑っている外務卿であるシャッテン卿に俺は驚きつつも、無許可で他国に入る無茶と人攫いはできませんと主張するが、アルバトロス王と聖王国の教皇猊下と先々々代の教皇とのやり取りで決まったから大丈夫と押し切られた。
現教皇猊下は理解できるが、退位した先々々代の教皇さまってそんなに影響力があるものなのかと疑問に思うも、彼も三年前に聖王国を立て直した方の一人に数えられている。きっと聖王国上層部では彼の影響力が残っているのだろう。
「それは……白馬の王子さまを演じなければならないからでしょう」
ユルゲンの苦笑いが強くなる。白馬の王子さまは物語の中だけと思っていたのだが、俺はナイさまの屋敷に居候している天馬たちと一緒に聖王国へ赴くのだ。立場はしがない外務部官僚であるが、見ためは白馬――天馬だけど――に乗った王子さまだそうだ。
この計画の発案者はハイゼンベルク公爵閣下とナイさまではないかと予想しているが、真相は分からないままだ。そして俺の護衛としてスライムのロゼが一緒に付いてきてくれるとか。本当であればジークフリード辺りに似合うのだろう。彼には竜殺しの英雄の称号があるし背格好も良いのだから、白馬の王子さま役はジークフリードの方が似合うはずである。
「俺に似合うと思う?」
確実に似合わないし天馬を乗りこなす自信がないのだが……。
「似合う、似合わないではないですし、騎乗訓練も今日から行うので問題は少ないかと」
そう。多方面の皆さまの手配によって、俺の退路は塞がれていた。もちろん俺がフィーネさまを迎えに行くことに問題はないが、どうしてこんなに大仰にしなければいけないのかと頭を抱えた次第である。多分きっと大騒ぎにして黒衣の枢機卿の悪巧みを世間――西大陸全土レベル――に知らしめたいのだろう。しかし。
「ねえ、みんな、俺を揶揄って楽しんでいない?」
今の外務部のみんなは『頑張れ~』と呑気なものである。天馬さまたちに戦闘力はないので最初は心配されていたが、スライムのロゼとグリフォンが護衛に就くとシャッテン卿から声が上がった際に大丈夫だなと一瞬で切り替わった。
いや、俺、あまり乗馬を嗜んだことはないのにと落ち込んでいると、子爵邸でヴァイセンベルク嬢が手解きを俺にしてくれるとのこと。そういえば彼女の趣味は乗馬だったなと、気が遠くなりそうなのを必死で抑え込んだ。
「そんなことはありません。派閥騒動に怒って部屋に閉じ籠っている大聖女フィーネを迎えに行く名誉ですよ。聖王国上層部の身勝手振りを国内外にお知らせする良い機会と捉えれば、エーリヒの気が紛れませんか?」
それはナイさまにお任せしたい。ただ、一国の官僚が各国の皆さまを驚かせるわけにはいかないが、フィーネさまを聖王国という楔から解き放つには良い機会だと俺は捉えている。
俺が成り上がるには時間が掛かるだろう。それなら今回の騒動に乗じて、聖王国の本丸からフィーネさまを奪い取るのも一興かもしれない。それでもまあ、良心というか常識というか俺の中にあるものが、本当に彼女を攫って良いのだろうかと問い掛けてくる。
「確かに聖王国上層部の身勝手振りを大陸中に知らしめるのは価値があるけれど、亡国にならない、それ?」
俺が取る行動は聖王国の未来を決めるのではなかろうか。いや、まあ黒衣の枢機卿が一番聖王国の未来を閉ざす動きをしているけれど……それは別の話として。片眉を上げながらユルゲンに問えば、彼もまた片眉を上げながら俺の疑問に答えてくれようとする。
「おそらくその辺りはアルバトロス王国……というよりアストライアー侯爵閣下が上手く動くつもりなのでしょう。新たな大聖女ウルスラという希望の光がありますからね。彼女に求心力を注ぎ込めば持つのではないですか?」
黒衣の枢機卿はナイさまを目的としている。その時点で破滅が確定しているのだが、本人が気付いていないのは幸せなことだろう。不幸なのは情勢を見極めている者が胃を痛めている所だろうか。
聖王国上層部に黒衣の枢機卿を止められる人がいれば良かったのだが、止めるべき対抗勢力の者たちさえナイさまを頼ろうとしている。聖王国内で解決しようとしないのでフィーネさまは部屋に閉じ籠った。連絡は取れているので心配はさほどしていないし、ナイさまのフェンリルとフソウの神獣さまがフィーネさまと一緒に過ごしているので警備面は心配していない。俺が気になっていることは……新大聖女だろうか。
「十五歳の子供にそんな大役を……って言いたいけれど、フィーネさまも十五歳の時に同じことをしているんだよなあ。しかも経緯が似ているような……」
「次があれば今度こそ聖王国は滅亡の道を歩みそうですねえ。そうならないためにも、彼らには頑張って欲しいものです。そういえば白馬の王子さま計画はアストライアー侯爵閣下が考えたそうですよ」
「ナイさまぁ!?」
ユルゲンの言葉に聖王国超頑張れと言うつもりが最後に爆弾発言を落とされて、ナイさまの名前をつい叫んでしまった。そりゃ天馬さまたちが出張ってきたならナイさまのお願いを聞き届けたと判断できるが、改めて誰かから言葉にされるとツッコミを入れざるを得ない。
「教会も聖王国のお偉いさん方を迎え入れるために右往左往しているのでしょうねえ。フライハイト嬢とリヒター嬢に治癒が上手いと評判の聖女さまを何名か召喚するようです」
俺の驚きをスルーしてユルゲンは語り続ける。彼は俺の反応を楽しんでいるのだろうか。しかし俺の出方よりも気になるものがある。
「侯爵閣下はどうでるんだろうな……彼女の動き次第で大陸全土が落ちることもあるんだが……黒衣の枢機卿は閣下を怒らせないよな? 聖王国で彼の態度に閣下が青筋を立てている所を見ているから俺は不安だ」
だって神さまの力を借りれば沈めた大陸を元通り、なんてことも可能だろうに。ナイさまがブチ切れて『更地にな~れ!』なんて言い出せば、止められる者が凄く限られてくる。
「……恐ろしいことを言わないでください、エーリヒ。あり得ることなので余計に怖いのですが……」
「その時、俺はいないぞ」
大陸の未来を想像したユルゲンの顔色が悪くなる。ナイさまが怒っている所を側で見たことがない人は実感が湧き辛いのだろう。俺はナイさまがアガレス帝国で無茶をしている所を直に目にしているので、本気を出した彼女が凄いことを仕出かすと知っている。
「………………エ、エーリヒ。誰かアストライアー侯爵閣下を止められる方は?」
「ハイゼンベルグ公爵閣下かジークフリードとジークリンデさんくらいか。あとはクロさまだけれど、基本人間の国同士の事情に介入しようとしないからな」
更に顔を青くしているユルゲンに俺は怒ったナイさまを冷静にさせてくれる人物の名を告げた。凄く信頼できるけれど、ナイさまが怒っていると知ればジークフリードとジークリンデさんは止めずに、気が済むまで見守りそうである。
ハイゼンベルグ公爵閣下は大変なことになりそうであれば彼女を止めてくれるはず。公爵閣下はナイさまの首根っこを唯一掴める方なので、外務部の者たちをアルバトロス教会に同行して欲しいが今回のことは楽しんでいそうなので無理な願いだろうか。
「エーリヒ……凄く早く聖王国に向かって、凄く早くアルバトロス王国へ戻ってきてください。侯爵閣下が怒る姿はあまり想像できませんが、西大陸が更地になるところは容易に想像できてしまいます」
ユルゲンが竜の皆さまや幻獣の皆さまが暴れても西大陸各国は大ダメージを受けてしまうと、想像を巡らせて顔を真っ青にしている。流石に西大陸全土が真っ平らになることはないはずだが、念のために保険を掛けておこう。
「なるべく早く戻るつもりだけれど同時進行の計画だからな。一応、ジークフリードに伝えておくか」
俺は黒衣の枢機卿ご一行が転移をしたと同時にミナーヴァ子爵邸から飛び立つ予定だ。馬車で片道一ケ月ほどの道程を六時間ほどで移動できるのだから凄く早い。聖王国ご一行、いや黒衣の枢機卿一行はアルバトロスに三日間の滞在予定である。
時間的には俺は一日で戻ってこれるからユルゲンの願いを叶えることはできるけれど、初日に教会へ赴くし、教会にはナイさまも参加しているのだ。ジークフリードとジークリンデさんならナイさまが無茶をするなら止めてくれるはず。無茶ではないと二人が判断すれば止めてくれない可能性が高いけれど、なにもしないよりはマシだろう。
「そうですね。僕もジークフリードにお願いの手紙を記します」
ユルゲンの言葉に俺たちはいそいそと仕事に戻る。さて、かなり忙しい日があと少しでやってくると俺は天井を仰いだ。






