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三夜 妖桜の章


 陰陽師が視る夢には、その夢を視るべき理由がある


 ※ ※ ※


 生き急ぐかのように、白い花弁が散っていく。


 花弁をさらう春嵐(しゅんらん)は、女の長い髪をも巻き上げていた。花弁よりも白い指を風に舞う枝に巻き付け、女はそっと花に顔を寄せる。


「いくら通おうとも無駄なこと」


 白が大半を占める景色の中、唯一濡れたように赤い(くれない)を宿す唇が言葉を発した。


(わらわ)はこの地を動けぬ。それが妾という生の定め」

(むくろ)を苗床に育った、死気桜(シキザクラ)化生(けしょう)だからか」


 女はゆったりと声の方へ視線を向けた。枝垂(しだ)れた桜の枝がギリギリかからない端に端座(たんざ)した男が、真っ直ぐに視線を向けている。


 その男に、女は嫣然(えんぜん)と笑いかけた。


「いかにも」


 この男を初めて見た瞬間、出会ったと、確信を得た。この男が狂気を向ける先であり、そして自分の運命を動かす相手であると。自分の体に呪詛を仕込み、この呪いのかかった桜の苗床になった姫が狂うほどに想い焦がれた男であり、呪いを大就(たいじゅ)させるために生み出された自分という存在もまた、この男に狂わされるのであろうと。


「お前の狂気は俺へは通じんよ。俺は、それらを祓うことを生業(なりわい)としているのだから」


 だから、と、男は瞳に力を込めた。


 その強さにゾクリと、女の中の何かが震える。


「だからお前がここに留まる必要はない。俺の元へ連れて行く」


 出会ってしまったのだ。いずれこの男の言葉通りにここを離れることになると、女もうっすらと理解している。


 抗いようのないその歯車との出会いを、人は運命と呼ぶ。その歯車に従い桜は舞い、夜闇をぼんやりと白く染める。


 その花びらの行く先を見つめて、女はうっすらと笑った。焦点を失った瞳は、夜闇のいずこを見つめているのかさえ定かでない。


「出会って狂ってしまったのは、姫か、妾か、それとも桜か……」


 甘い香りに白衣(びゃくえ)を添えて、闇を払い、色を染め替え。現世(うつしよ)の世界に夢幻を溶かし込み、この世あらざるモノをこの岸辺へ誘う。


 人の魂を捕えてやまない、狂気にも似た花。


「ああ、罪なこと……」


 ※ ※ ※


 聴こえた声が闇に溶けていくのと引き換えに、フッと意識が浮上した。


 視界は暗い。夢殿(ゆめどの)の光景に慣れてしまった目では、物の輪郭を判別するのがやっとというくらいだ。


 それでも男の眼は、闇の中に美しい女の(かんばせ)を見つける。


「……なんだ、咲耶(サクヤ)夜這(よばい)を仕掛けに来てくれたのか?」


 女の顔は、枕に頭を預けた男のすぐ目の前にあった。長く重たい黒髪が零れて、二人の顔がある空間だけが夜の闇から切り取られている。


「珍しいな。こんな夜更けに、お前が私の元を訪れるなんて」


 少し男が体を起こせば、唇と唇が触れ合う距離。いっそ触れてやろうかと思う反面、大袿(おおうちぎ)の下にある男の手は無意識の内に刀印(とういん)を結んでいる。


「……ザワザワする」


 その矛盾を、女は感じ取っていたのだろうか。


 じっと無言で男を見据えていた女が、(つや)やかな唇をゆったりと開く。


「妾の根本を揺るがせるような、不穏なざわめきじゃ」


 その言葉に、男も瞳を細めた。スッと斜陽が走るように、さっきまで視ていた夢が脳裏を駆け抜けていく。


 あれは、かつて(うつつ)で実際に見た光景。だが視点は明らかに男の記憶にあるものとは違っていた。


「お前、何かを知っておるのではないかえ? 妾の身に、何が起きている?」


 陰陽師が視る夢には、意味がある。陰陽師は、無意識から得る啓示を、夢という台紙の上に描き出すのだ。


 (ゆえ)に、あの夢が意味した所は……


「気になるのか? 咲耶」


 男は大袿と女の腕に押さえられた腕をスルリと器用に引き抜くと女の後ろ頭に手を乗せた。その動きを予想していなかったのか、単純に触れられたことに驚いたのか、感情を排して冷え冷えと男を見据えていた瞳が丸く見開かれ、感情の色がそこに灯る。


「口付けひとつで、ひとつ話そうか」


 男はそれを確かめると、有無を言わさず腕に力を込めた。視界が役に立たなくなるほど、女の顔が男に近付く。


 だが(つや)やかな(くれない)が男の唇に触れることはなかった。


「お前などをアテにした妾が間違っておった」


 パッと腕の中から掻き消えた姿は、まばたきひとつの間に室の片隅に移動していた。嫌悪も露わに男を見た女は、男と視線が合うとフイッと顔をそむけしまう。


 そしてそのまま、女は消えてしまった。ハラリ、ヒラリと、男をたしなめるかのように、彼女が立っていた片隅にひとひら、白い花弁が散る。


「……そう、咲耶。お前はそれでいい」


 大袿の中で結んでいた(いん)を解くと、体を起こしてその幻影を追う。つれなく姿を消してしまったのに、彼女が纏う微かな甘い香りはいつまでも室の中にくゆっている。


「誰が手を伸ばそうとも、それはお前には関係ないのだから」


 その空気を断ち切るように、男は無造作に片手を振り抜いた。その瞬間、ブツッと何かが千切れる音が響き、次いでギャンッと獣の咆哮が響いた。屋敷の外塀周辺をうろついていた気配が、闇の中に消えていく。


 それを(しとね)に入ったまま確かめながら、男は瞳に狂気を閃かせた。


「あれは決して貴方のモノではない。私のモノに手は出させまいよ、橘の君」


 囁き声とともに、男の瞳から狂気の片鱗が消える。


 狂気の代わりにゆったりとした睡魔を瞳に流し込んだ男は、(あかつき)までのわずかな時を眠りに身をゆだねようと、再びまどろみの中へ帰っていった。

 

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