第七話 はじまりは突然に
「蓮を・・・頼む」
いつもとは全く違う静かな声音でありすさんはそう呟いた。
そしてシュヴァルツさんの返事も聞かずに、僕達の方も向かずに。
何の変哲もない普通の扉を開き、扉の向こう側へと。
・・・・・・ありすさんが言うには、童話の世界という別の世界に繋がっているという扉だ。
正直言って、ありすさんやシュヴァルツさんの言うことは分からなかった。
最初は頭がおかしい人たちなのだろうか、なんて真剣に悩んでしまった。
けれどそれにしては、ありすさんもシュヴァルツさんも真面目だ。
そりゃ、不真面目に話されたところでそんな話は誰も信じないと思うけど。
でも僕には到底信じられないことだった。
まだ数ヶ月しか一緒にいないけれど、ありすさんはとても面白くて楽しい人だ。
僕をよくからかって、蓮ぴょんだとか蓮たんだとかれんれんだとか・・・。
変なあだ名を付けては、ため息を吐く僕の顔を見て笑っている。
はじめに会ったときは驚いたけれど、ありすさんは普通だ。
料理は上手いし、ちょっとコスプレとかが好きだけど、本当に普通。
どこにでもいる少し姉御肌でエスっぽい、エプロンドレスを着た年上の女性。
そんなありすさんが実は、童話の世界の不思議の国から来た、本物のアリス。
だなんて一体誰が信じるのだろうか。
「信じなくてもいい」
凛としたまるで空間を揺るがすような、声で思考は遮られた。
もちろんその声の主は、シュヴァルツさんだ。
さっきまでの明るい性格のヴァイスさんと同一人物で、白雪姫だという。
あの継母に殺されそうになって、森に逃げた。
そしてそこで七人の小人と会って、色々あって王子様にキスされて目覚める話・・・・・・だったっけか。
小さな頃に読んだけど、もう内容はほとんど忘れかけている。
でも目の前にいる、この少女が。
ありすさんよりは少し年下で、腰までの黒い髪に桃色の瞳を持つこの少女が。
確かに雪のような白い肌と、腰までの黒い艶やかな髪は童話の白雪姫と似ている。
・・・・・・それでも。
自分の目の前に突然現れたこの少女を、白雪姫だと信じられるだろうか。
「信じなくてもいい」
もう一度僕の思考を遮ったシュヴァルツさんは、同じ言葉を口にした。
「・・・どうして、信じなくていいと言えるのですか」
その言葉に疑問を持った僕はシュヴァルツさんの言葉に即座に返した。
信じなくてもいいのなら、僕は巻き込まれなくてもいいはずだ。
ありすさんの過去・・・だとか、そういう争いごとに。
別に巻き込まれたくないとか、巻き込まれたいとかそういう話ではなくて。
ただありすさんの私情に関わってもいいのだろうか。
全く関係ないこの僕が。
「貴方が、関係しているから」
ありすさんの私情に?
まさか、そんなことあるはずがない。
そういえば、シュヴァルツさんが言っていた。
白兎・・・・・・不思議の国のアリスに出てきたあの兎の生まれ変わりが僕だと。
「ありえないです」
考えていただけなのに、いつのまにか否定の言葉が口から出ていた。
無意識だからきっと、本心からだ。
「そう。信じたくなければそれでいい」
「だから・・・・・・どうして」
「貴方はまぎれもなく白兎の生まれ変わり。その事実は変わらない」
まるで僕が白兎の生まれ変わりだと、絶対に確信しているかのようだった。
その言葉に僕は今度こそ言葉を封じられる。
強い、真っ直ぐな、瞳と言葉に。
「だから早く。扉を開けて・・・アリスが待っている」
はじまりは突然に
一体僕は何を信じて、何をすればいいのだろう。
物語のページはいつの間にか、第二章に差し掛かるところまできていた。