第六話 ひとつの願いを
「もう時間」
時計も見ずに、白雪は静かに立ち上がった。
その立ち方はまさにお姫様で、確かにお姫様と言われるだけのことはある。
俺には、真似できない芸当だ。
「しょうがない・・・・・・行くか。蓮ぴょんも着いてこい」
「あ、あの・・・ありすさん」
俺も白雪に続いて、立ち上がると後ろで椅子にまだ座っている蓮ぴょんを見下ろした。
ちょこんと椅子に座っているとこが、女の子みたいだなとか思ったのは内緒で。
しかし蓮ぴょんはその場から動こうとはしない。
やっぱりいきなりこんなこと言われても、困るよな。
・・・だけど、白雪もああ言ってるんだし、とりあえずは着いていかないといけない。
「何だ?何か言いたいことでもあるか?」
「・・・・・・蓮ぴょんは、止めて下さい」
あの、シリアスな空気が駄目になります。
そうやけに神妙な顔で言うと、椅子から立ち上がった。
・・・・・・シリアスな感じで、真面目に言われるとさすがに傷付くな。
そう思いながらも、蓮ぴょんに着いていく。
別に何と言われても俺が付けたあだ名なんだし、まぁ良いだろう。
いつも言ってるあだ名なんだし。
それに俺だって、シリアスな空気とギャグの空気ぐらいなら読める。
本当にシリアスな空気だったら、ちゃんと蓮って呼んでやるよ。
「遅い」
のんびりと歩いてゆくと、もうすでに例の扉の前に着いていた白雪が短く吐いた。
別にのんびり歩いていたが、どうせ隣の部屋だからそう何分もかかっていないはず。
少し白雪が何かに追われている気がした。
いつも無表情だから怒っているんだか別に何も思っていないんだか。
その心の中は全く分からないが。
「あぁ悪ぃな。まぁ良いじゃねぇか」
「すいません」
俺がいつもの通りに白雪に返すのとは真逆で、ちゃんと蓮ぴょんは謝った。
性格的にも蓮ぴょんとは真反対だ。
性別も実際、逆の方が良いんじゃねぇかとは思うことはあるが、気にしない。
俺は俺だし、蓮ぴょんは蓮ぴょんだ。
「アリス、先。お願い」
「どうしてだ?俺は、蓮ぴょんと・・・・・・」
白雪が先に行けって言っているのは分かる。
蓮ぴょんからのじとっとした目線は軽くスルーしながら。
「過去。見せなきゃ」
「・・・・・・見せる、意味は。・・・あるのか」
・・・・・・。
正直言って、あの過去を見せられたら俺は蓮ぴょんからの信頼を失くしそうだ。
かっこいい俺ではなく、ただかっこ悪い俺しかいない。
「思い出す。蓮は生まれ変わり。白兎の」
ああ。
過去を見せれば、白兎の生まれ変わりである蓮が思い出すはずっていうことか。
不思議の国のアリスには、必要不可欠の存在だから。
もし白兎が俺の前に現れなかったら、俺ことアリスは不思議の国を訪れなかった。
・・・・・・つまり、不思議の国のアリスという物語は創られなかった。
そうなれば、童話の世界から不思議の国は消え去る。
もし蓮が白兎の生まれ変わりではなかったら、別の人物を人間界で探す。
そして生きていくうちに必要ではない記憶が入った蓮は少しの記憶を失くすだけ。
俺と過ごした、約一年ぐらいの年月の間の記憶を。
それは確実に賭けだ。
もし蓮ぴょんが白兎の生まれ変わりではなかったら、不思議の国は崩壊への道を進めることになる。
そうなれば全てがおしまいだ。
俺や他のやつらは全て消え去ってしまう。
・・・・・・それではあの忌わしい女の思うがままになってしまう。
そんなことにならないためにも。
白雪や魔女が動いている。
・・・でもそれはないと俺は思う。
蓮は確実に白兎の生まれ変わりだろう。
それは俺の勘が告げている。
それに白兎の生まれ変わりじゃなかったら、俺と蓮が会った理由が分からない。
数ヶ月前のある日の、よく雨が降る日に。
傘を持った蓮が、傘を持たない俺に優しく傘を傾けてくれた。
・・・あのときに。
まだ馴れ初めを思い出すのは、まだ早い。
それに俺達は時間に追われている。
早く行って、童話の世界を救わなければいけない。
「さあ行って」
皆が待っている。
白雪は言わなかった言葉が、聞こえた気がした。
「蓮を・・・頼む」
それだけ告げて、蓮の顔は見ずに扉を静かに開ける。
またこの世界に戻ってくるときには、蓮と笑顔で話していますように。
そんな願いを胸の中に隠して。
ひとつの願いを
それが叶えられるように、俺は不思議の国へ戻る。
弱い自分のせいで起こったあの“三日間”の惨劇を、自分の手で終わらせるために。