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散文搔き集め

ナディルとフェンネル

「あら」

 夜中にふと目が覚めたフェンネルは、窓から見える息子の部屋の窓が、ほんのり明るいことに気が付いた。

 研究や本に没頭して夜中まで起きていることはままあることだったが、それにしたとて遅い時間だ、と傾き始めた月を見てフェンネルは思った。

 だんだんと季節は春に近づいてきているとは、この時期の夜は冷え込む。

 ベッドから起き上がり壁にかけておいたローブを取り上げると、小さなランプに火をともしてフェンネルは部屋を出た。



 ふっと息を吐き、ようやく読み終えた本を閉じて、ナディルは窓から外を見た。すでに月は傾きはじめ、夜明けまでぐっすり眠るほどの時間はない。

 しかし、読み終えた時の達成感を思うとつい夜更かしをしてしまい、時に徹夜をしてしまうのはナディルの悪い癖だ。

 今日もかなり長々起きてしまったなと考え、苦笑が漏れる。きっとフェンネルが知れば、叱られてしまうことだろう。

 だが、ナディルはそれが嫌いではなかった。孤児院の先生のように、怒鳴ったりしないし叩いたりしない。そう考えてから、そんな叱り方はもう誰もしないか、と気がつく。

 この家に引き取られてから十八年・・・まもなく十九年になろうとしている。もう子供ではない。

「幸せだな」

 毎日こうして過ごすことが普通になってしまった今でも、ふとそう思う。

 自我というものができたころにはすでに孤児院にいて、毎日仕事があり、年上の子からいじめられ、こき使われて。自分の意志ではどうにもならない魔力で物を壊しては院長から怒られていた。

 ある日、壮年の女性に町の路地でぶつかった。その手にあるパンを盗もうとしたのだ。だが、彼女はナディルの目をまっすぐにみて、柔らかい笑みを浮かべた。頬にできるえくぼや、ほんの少しのしわがかわいく可愛くみえるその顔は今でもよく覚えている。

 フェンネルと名乗った彼女は、その日のうちに孤児院を訪れ院長に話を通して、養子としてここへ迎え入れてくれた。

 何という決断力だろう、と今でも思う。孤児院の薄汚い子供をみて、その日のうちに養子縁組をするなんて。

 正式に養子となったのはそれから二週間後のこと。手続きをするにあたりいろいろあったようだが、いまだにフェンネルはそれについて尋ねると、笑ってごまかす。

 引き取られたばかりの頃は何がなんだかわからなかったナディルも、日々をフェンネルと過ごすうち、フェンネルが自分の親にというものになり、また、自分が孤児院に戻らなくてもいいのだということを理解した。

 そして半年も経つ頃には、様々なものを与えてくれる彼女に、報いたいと思うようになっていた。

 それからのナディルは努力を重ね、魔法使いになるために必死に勉強したのだ。そのときから、夜更かしなんてものを覚えてしまった。

 初めてそれがばれた時、フェンネルはすこし厳しい顔をして「ダメでしょう?」といった後、二時間もかけて夜更かしがどんなにいけないことかを語られた。あの時間はとてもつらかったが、心が何だか温かくて、とても嬉しかったのを憶えている。

 そして、引き取られてから二年。王立魔法学院に入学し、魔法の深みにどんどんのめり込んでいき、気づけば助手として働いてる。

 すべて、フェンネルが引き取ってくれたからこそあるものだ。あの時引き取られていなければ、盗みをするか体を売るか、よくて二束三文の賃金で働くか・・・なんにせよ、ろくな生活を送っていなかったに違いない。

 層まで考えた時、背筋に震えが走った。見れば暖炉の火はほとんど消えており、急に寒さを実感して手をこすり合わせる。ランプもどうやらかなり油がへっているようだ。

 どうにかせねばと思ったその時、部屋のドアを叩く音が聞こえた。

「ナディル、開けて頂戴」

 ほかに人がいないから、彼女であることはわかっていたが、真夜中の訪問に驚いて、ナディルは慌ててドアを開けた。

「フェンネル、こんな時間にどうしたんですか」

「部屋の明かりがついていたものだから、あらまた遅くまで起きているのかしらと思ったのよ」

 ナディルの顔をみて、柔らかく微笑むフェンネルアは、そっと手元を持ち上げて見せる。

「お茶でもいかが?」

 その手にはお盆があり、暖かいお茶で満たされたティーカップが二つ。

 上がる湯気におもわず口元が緩む。

「おいしそう」

「そうでしょう?」

 フェンネルと話していると、いつもおちゃめな人だとナディルは思うのだ。しかし、だからこそ自分を引き取ってくれたのだろうと、奇跡のような今に感謝する。

「今日はどんな本を読んだの?」

 テーブルにそっとお盆をのせ、柔らかい声でフェンネルは言う。

「お見通しですか」

 この丁寧な話し方だって、フェンネルから教わった。

 満ち足りた幸福が、時々苦しい。むせかえるほど香りのいい、この紅茶のように。

「フェンネル」

「なんですか?」

 同じ席に着き、紅茶を見つめて。そっと大切なものを呼ぶようにナディルがささやくと、フェンネルは微笑んで答えた。

「おいしいです」

「それはよかったわ」

 きっと、その言葉の意味を分かっている。フェンネルはいつも、こうしてナディルを包んでくれる。

「ありがとうございます」

「どういたしまいて」

 謙遜もしない、押しつけもしない。

 フェンネルの、わかっていて何も言わないでくれる、優しさが好きだ。

 ナディルは紅茶を口に含んで、香りを楽しんだ。

 むせかえるほどの、幸せの香りを。

長編小説の設定だけ考えて、人物掘り下げ用に書いた短編です。

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