86 逮捕
土曜日の夕方、武田教授の論文指導中に電話が鳴った。
「誰だ?」
鳴ったのは大学から支給されている携帯。学部長への緊急連絡だろう、出ないわけにはいかない。武田教授は舌打ちしつつ私の上から降り、携帯を手にした。
「……わかりました」
起き上がって様子を伺っていた私に、武田教授は肩をすくめた。
「行方不明の五人を殺したと思われる男が、警察に身柄を拘束されたそうだ」
「……そうですか」
少し淡々としすぎているだろうか。だが武田教授もそっけない態度だ。勘繰られることもないだろう。
身支度を始めた武田教授を見て、今日の指導は終わりだと知る。
武田教授が部屋を出ると、私はほっとして身支度を始めた。
「神崎くん」
隣の部屋から、武田教授の呼び掛ける声と、机に鍵を置く音が聞こえた。
「急いで大学へ行かねばならん。すまないが戸締りをして出て行ってくれ」
鍵はポストの中に入れておいてくれればいい。武田教授はそう言い残し出て行った。
武田教授の気配が消えたのを確認して、私は息を吐いた。今日は吸い取られずに済んだ。身支度を整えたらさっさと出ていきたいものだが、そうもいかない。
「四時、か」
約束したのは六時。まだ二時間もある。ここから三十分もかからずに行ける場所だ、一時間ほどここでのんびりさせてもらうつもりだった。
明日は夏至、まだまだ日は高い。私は居間のクーラーをつけ、冷蔵庫から勝手にビールを拝借した。
「あの子……どんな顔してるのかしら?」
ミトに頼りきりだった零。ミトが警察に連れて行かれ、一人きりになってどうしているだろうか。しかもそれが私を食事に招待したその日だ。
普通なら中止の連絡があるはずだ。
だが、五時を過ぎても連絡はなかった。
さぞかし混乱しているのだろう。私は武田教授の家を出ると、手土産のワインが入った紙袋を持って夕暮れの道を歩いた。
鼻歌を歌いながら、上機嫌で歩くこと二十分。
零の屋敷は、門が開かれたままだった。チャイムを鳴らしても返事はない。しかし玄関に鍵はかかっておらず、私は扉を開け屋敷の中に入った。
「零さん?」
零は居間にいた。ソファーの上に突っ伏して体を震わせていた。私が声をかけると、ビクッと体を震わせて顔を上げた。
「神……崎……先生……」
「ごめんなさい、チャイムを鳴らしても返事がないから……」
言葉の途中で零が抱きついていた。華奢で柔らかで、力を込めたら折れてしまいそうな体だ。思わず抱き締めると、甘い香りがふわりと立ち上った。
「ど、どうしたの?」
「ミ、ミトが……ミトが……警察に……」
「ミトさん? 警察? え、なに? どういうこと?」
白々しいわね、私。
そう思いつつ笑う。
そんな私には気付かず、零は腕の中で泣きじゃくり続ける。その可愛らしい泣き顔を見下ろしながら、私は零の頭を優しく撫でてやった。




