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70 邂逅

 南紀白浜空港から到着した飛行機内で、ちょっとした「事件」が発生した。


 「骨と皮だけの中年男性が、『返せ、返せ』と言いながら這いずり回っていた」


 飛行機の乗客は、みな口を揃えてそう証言した。パイロットや客室乗務員も見たらしい。その男が這いずり回っている間は身動きできず、まるでホラー映画のワンシーンのようだった。

 ただ、この幻覚を見ていない者が一人だけいた。

 ずっと眠っていた、若い女性だ。

 幻覚を見ていないにもかかわらず、彼女は飛行機に乗っていた人の中で最も体調が悪かった。自力で歩いて飛行機を降りることもできず、同行していた男に抱えられて運び出されるほどで、まもなく駆けつける救急隊員に引き渡される予定だという。


 「……ということらしいです」


 事情を確認しに行っていたゼミの学生からの報告を聞いて、私は「なるほどね」とうなずいた。

 南紀白浜行きの搭乗口。普段ならそれほど混む路線ではないのに人がごった返しているのはそういうことらしい。ソファーには青ざめた顔をした人がそこかしこにいて、中には泣いている人もいた。


 「ホラーな話ですね。何かこの世に恨みでもあるんでしょうか?」

 「ばかばかしい」


 私は学生の言葉を切って捨てた。


 「物理学の徒が言うことではありません」


 うへえ、と首を竦めた学生を見ながら、私は椅子に腰を下ろした。

 そう、物理学の徒が言うことではない。そうとわかっていても、心のどこかにうすら寒い感覚がわき、私は少しだけ震えた。

 骨と皮だけの中年男性。そうと聞いて、私の脳裏に一人の男が思い浮かぶ。

 宮田祐一。

 去年の夏、内臓が綺麗に取り除かれ、骨と皮だけの死体の状態で見つかった、あの男の名。猟奇事件と言っていいあの事件の被害者として、その名を聞いたときには驚いたものだ。

 この、うすら寒い共通点はなんなんだろうか。


 「お、来ましたよ、神崎先生」


 考えこんでいたら、学生がウキウキした口調でつぶやいた。この状況でなぜそんなに楽しげなのか。顔を上げ、なるほどそれも仕方ない、と思った。

 大きな男に背負われているのがその女性のようだ。ショートヘアの、可憐、という形容詞がぴったりの、ハッとするような美少女だった。大きめの白のニットにフレアのロングスカートと、フェミニンな格好がよく似合っていた。ただ、ひどく疲れた顔をしていて、せっかくの美貌が台無しだった。

 そんな彼女を背負う男の方は、ロングの銀髪にサングラス、ライダースのレザージャケットにGパンにバッシュ、という格好だ。ロックンローラーとでも表現すれば良いのか、そんな格好。恋人だろうとは思うが、見た目だけなら美少女と不釣り合いで、どちらかというと「お付きの人」といった風情だった。


 「いるんですねえ、あんな美少女。アイドルか何かでしょうか?」

 「さあ、どうかしら」


 彼女は男の背から降ろされ、私のちょうど正面の椅子に座らされた。救急隊員らしき男がやってきて、手元のバインダーに目を落とした後、大きな声で彼女に呼びかけた。


 「宮田零様、ですね?」


 宮田、という名に、私はドキリとした。

 名を呼ばれた美少女がうっすらと目を開いた。その途端、気怠さと(はかな)さが同居するような、妖しい雰囲気が彼女から溢れ出した。その場にいた誰もが息を呑み、その妖しさに気圧されて声を失った。


 「はい」


 まるで白磁の皿を叩いたような、美しい声だった。あんな声で愛をささやかれたら抗える男なんていないだろう。女の私ですらその声に聞き惚れ、彼女に欲情するような感じを覚えた。

 その彼女が顔を上げ、私を視線に捉えると、「おや」と言いたげな顔になった。

 彼女の半分閉じた目が笑ったように見えた。いや、確かに笑った。気のせいではなく彼女と目が合い、数秒間見つめ合った。


 ハジメマシテ。


 空耳か、そんな声が聞こえた気がした。彼女の視線に絡め取られ、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。


 この子……知ってる?


 ふと、私は彼女に見覚えがあるような気がした。どこで会ったかと記憶を探ったが出てこない。こんなに印象に残る子、忘れるはずがないのだが。


 「ではこちらへ」


 問診が終わると、「宮田零」は大きな男に支えられるようにして立ち去った。


 それが、私と「宮田零」の出会い。

 そのとき彼女が置き忘れていった紙袋を見つけなければ。その中にあった「物理学概論」の本を手に取りさえしなければ。

 私は人として、生を全うできたはずだった。


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