5 傷口
咆哮をあげながら目を覚ました。
心臓がバクバクと脈打ち、全身にじっとりと汗をかいていた。体がひどく重くて、指一本動かすのでさえ億劫だった。
ここは、どこだ?
夢と現実が入り混じり、自分がどこにいるのかわからなかった。目を開けているはずなのに何も見えない。かすかな光もない暗闇。そんなものに包まれたのはいつ以来だろうか。
ああ、ここは……
鈍った思考をフル回転させ、ここが坂出のビジネスホテルだということをようやく思い出した。
昨夜は土曜ということもあり、ホテルはどこも満室だった。やっとのことでこのホテルを見つけたが、空いていたのはツインの部屋が一つだけだった。
「男同士だし、僕はかまわないよ」
零にそう言われ、ホテルを探し回るのも面倒なので、私と零は同じ部屋で泊まることにした。
だが、見た目美少女の零と同室というのはなかなか気まずいものがあった。どうしたものかと困った挙句、自販機で酒を買い酔ってさっさと寝ることにした。
ところが零が「物理学の話を聞きたい」と言い出し、酒盛りしながらの物理学講義となった。零は聞き上手で、私も得意分野のことだけに気持ちよくなり、いくつも缶を開けつつ二時間ほど講義をした。
どうやら、講義をしている最中に、酔って寝てしまったらしい。
そう思い当たったとき、鈴の音のように美しい声が問いかけてきた。
「ねえ、彼女は抱いたの?」
「彼女……?」
問われてすぐは、何のことかわからなかった。それがあの女のこと、神崎詩織という、かつての研究者仲間であり、私から全てを奪った女のことだとわかったのは、「夢で見た彼女」と言われたからだった。
「ああ……抱いたよ」
私はその問いに素直に答えた。回答を拒絶する、という考えは思い浮かばなかった。
「よかった?」
仰向けに横たわる私のすぐ横から問いが続く。私がギリッと歯ぎしりしつつうなずくと、闇の中で気配が動き、私のヘソのあたりをなぞる感覚を覚えた。
これは……零の、指先……
昼食のときに鼻の頭を突いた零の指。その指先と同じ感覚が、私のヘソのあたりからゆっくりと降りて行くのを感じた。
「女の色香にだまされたんだ」
ククッ、と笑う声が聞こえ、降りていた指先が止まった。声が言う通りだ。私は女の色香に騙された。騙される方が悪いと言われればそうかもしれない。
だが、だからと言って許せるものではない。
「うん、そうだよね。許せないよね」
美しい声が笑う。
「悔しいでしょ? 妬ましいでしょ? 腹立たしいでしょ? 憎くてたまらないでしょ?」
「う……が……」
美しい声が私の心を蝕んだ。
泣き叫び、のたうちまわり、やっとの事で心の奥に押し込めた憎しみ。それを閉じ込めたかさぶたが無理矢理剥ぎ取られた。塞がり切っていない傷に柔らかな指先がねじ込まれ、再び開かれた傷口から憎しみが溢れ出した。
「そのまま全部出しちゃいなよ。我慢したって、何も変わらないんだから」
声の主が、私の上に覆い被さってきた。汗ばむ私の体にピタリと密着した肌の感触。その感触に戸惑っていると、首筋をチロリと舐められ、甘美な快感が全身を駆け回った。
「物理学の講義、とても参考になったよ」
快楽に縛り付けられ動けなくなった私の中に、美しい声が入り込んでくる。私は声をあげることすらできず、死へと誘う快感に意識を奪われた。
「これはそのお礼。存分に堪能して」
大丈夫、今夜は食べないから。
そう告げた声の主の唇が私の唇を塞ぎ、私は命がけの快楽に飲み込まれた。