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31 大男

 「奏! 大丈夫か!」


 兄さんが血相を変えて駆け寄ってきた。その手を伸ばし、私に触れようとしているのを見て、私は思わず「ひっ」と悲鳴を上げてしまった。

 その瞬間、大男が丸太のような足を蹴り上げ、駆け寄ろうとした兄さんを蹴り飛ばした。


 「ミト、だめだよ。その男は彼女のお兄さんだよ」

 「ああん? こんなにプンプン臭えやつがか?」


 ミト、と零に呼ばれた大男は、蹴り飛ばされてうずくまる兄さんを見て、険しい口調で答えた。


 「あ、やっぱり臭う? 僕、君ほど鼻が良くないからいまいち確信持てなくて」

 「お前それでよく今まで生き延びてこれたな」

 「僕は人形だよ? 最初から生きていないんだから、生き延びる必要はないよ」


 のんびりと歩いてきた零は、壁にぶつかって転がった車椅子を起こしてくれた。


 「うん、大丈夫だね。ミト、座らせてあげて」


 大男は零の言葉にうなずくと、私を優しく車椅子に乗せてくれた。


 「痛むところ、あるか?」

 「い……いえ……」

 「やせ我慢してないね?」


 大男の声音からは本当に私を心配している気配が感じられた。見た目はこんなにいかついのに、すごく優しい雰囲気だった。


 「ミト……優しいじゃない」

 「か弱い女性はいたわるものだろう?」

 「その優しさ、少しは僕に向けてくれてもいいんじゃないの?」

 「お前、か弱くないし、男じゃないか」

 「なんだよそれ」


 零は頬を膨らませて大男を睨んだ。なんていうか……すごく可愛い。ひょっとして嫉妬しているのだろうか?


 「で、あれはどうするんだ?」


 大男はそんな零を無視して、倒れている兄さんを指差した。「無視すんな」と零はさらにむくれたけど、大男は取り合わない。


 「だいたいミトは……」


 さらに文句を言おうとした零の顔色が変わった。


 「……おでましか」

 「そのようだな」

 「ミト、奏さんよろしく。ああ、あそこで倒れてる兄の方も、ついでに」

 「なんだ、俺がやるぞ?」

 「いいよ。くっだらない兄妹のお話に付き合ってたら、ストレス溜まっちゃってさあ……暴れたいんだよね」


 零が冷え冷えとした目を私に向け、鼻で笑った。

 そして、いつの間にか階段のところに立っていた男にその目を向けた。

 初老の男だった。身長は私よりも低い。全身をマントのような、妙な形のもので覆っていて、身長よりも長い杖を持っていた。


 「それに……奴が見てる」

 「……月読(つくよみ)か」


 零が空を指差し、大男が空を見上げた。

 空には満月。少し西へ傾き始めた月が、昼間のように夜の世界を照らしていた。月読の名は私でも知っている。日本神話に出てくる天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟、月読命(つくよみのみこと)だ。


 「あっちの相手は僕には無理そうだからね。こっちを相手にするよ」


 零がククッと笑った。

 いつもの笑い方。でも、初めて見る表情。その禍々しさに私はぞっとした。あまりの怖さに悲鳴も上げられなかった。


 いやだ、いたくない。ここにいたくない。零から少しでも離れたい。


 理由のわからない恐怖がこみ上げてきて、私はガタガタと震えた。


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