30 転落
「奏!?」
神社は山の上にあり、そこへ至る道は当然坂になっていた。私がいた場所も、なだらかとはいえ坂の途中。思い切り車輪を回し勢いよく動き出した車椅子は、重力に引かれて坂道を滑るように走り出した。
「ひっ……」
加速しスピードを上げる車椅子。この車椅子にブレーキは付いていない。
もしも坂の下の道路に、車が走ってきたら。
そう考えた途端、体がすくんだ。二年前の、車ではねられたあの日のことがフラッシュバックし、私は悲鳴をあげることすらできず体を強張らせた。
いや、いや、いや! 助けて、助けて!
──どうして私を理解してくれないんだ。
キリキリと車輪が悲鳴をあげる。兄さんが褒め称えるささやき声が聞こえる。
──お前は私の自慢の妹なのに……残念だよ……
兄さん、どうして、どうして、どうして……どうしてあんなことするの!
そんなの兄さんじゃない、私の兄さんじゃない!
「奏!」
兄さんの叫び声が聞こえた。その声を聞きたくなくて、私は耳をふさぎ目を閉じた。
やめて、やめて。
そんなのやめて、そんなの兄さんじゃない!
そんなの、私の兄さんがすることじゃない!
「あっ……」
坂を下り切ったところで、がつん、と地面にあたり、私は空中に放り出された。
何もかもがスローモーションになる。放物線を描いて飛ぶ私は、すぐに放物線の頂点へ到達し、再び重力に引かれて落ちていく。
私、死ぬの?
足が動かない。とっさに姿勢を変えることができない。このままだと私は頭から壁に向かって激突する。
やだ……やだ、死にたくない……死ぬのは私じゃない。
死ぬのはあの女。私の兄さんを汚そうとするあの女。
私が死んでいいはずがない。私が死んだら、誰が兄さんの隣にいるというの……
「ほいさ」
不意に、耳元で声がした。私は誰かにがっしりと抱きかかえられ、壁にぶつかることなく、地面に放り出されることもなく済んだ。
「あ……」
私を抱きかかえた誰かが着地する。とん、と軽やかな着地で、ほとんど衝撃はなかった。
頭の中が真っ白で、何が起こったのかわからなかった。呼吸を一回、二回。三回目でようやく時間の流れが元に戻り、がしゃん、と車椅子が壁に激突する音で我に返った。
その途端、心臓が爆発するかと思うほど激しく脈打った。
死ぬかと思った。怖かった、死ぬほど怖かった。涙がポロポロ出てきて、体中が震えた。悲鳴はあげられず、引きつったうめき声をあげるのが精一杯だった。
「よう、無事かい?」
ガタガタと震える私に、抱きかかえてくれている人が声をかけてくれた。
「あはは、ミト、ヒーローみたいな登場だね」
遠くから零の声が聞こえた。
私は抱きかかえてくれている人を恐る恐る見上げた。
夜なのにサングラスをした強面の大男が、私を見下ろしていた。




