2 同志社大学・食堂
やはりというか当然というか、学食は若い男女でにぎわっていた。大学の学食なのだから当然だろう。学生ではない人もちらほらと見えたので、私は零とともに食堂へ入り、それぞれに注文をしたものを手に席に着いた。
「おいしいんですねえ」
零は食事を口に運び、感心したようにうなずいた。まったく同意だった。この値段でこのクオリティ、万単位の固定客がいると考えれば当然なのかもしれないが、これでは近所の食堂は太刀打ちできないだろう。
大盛りのご飯をガツガツとかき込む私とは対照的に、零はゆっくりと上品に食事を口に運んでいた。本当に女の子にしか見えない。近くにいた男子学生も零を見て「あの子かわいいな」なんて話している。これ男だぞ、と言ったらどんな反応をするだろうか。
「そういえば、祐一さんはどうして香川に行くの?」
食事を終え、コーヒーを飲んでいると零が尋ねてきた。
「これといって理由はないよ。なんとなくだ」
そう、なんとなくだ。とにかく東京から遠く離れた場所へ行きたかった。何がしたいということもなかったので、仕事でもなければ行くこともないと思った香川を選んだだけだ。遠くへ行くというのなら、北海道や沖縄、あるいは国外という選択肢もあるのに、四国、しかも愛媛や高知ではなく香川、というあたりが己の中途半端さを表しているような気がした。
「ま、讃岐うどん好きだし。うどんでも食べ歩くかな」
「有名ですものね」
零はククッと笑った。その笑い方をするときの零は、どきっとするような可愛さを感じる。知らずに話していたら絶対に女の子だと思って変な気を起こしてしまいそうだった。
「零……は?」
零ちゃん、とちゃん付けで呼びそうになって、慌てて呼び捨てにした。
「僕は、坂出に行きたいんです」
「坂出?」
坂出は、瀬戸大橋を渡って、四国側の玄関口に当たる街だ。何か有名な観光スポットがあっただろうか、と首をひねっていると、零が教えてくれた。
「正確には、坂出と高松の間にある五色台。そこに白峰寺があるんです」
「白峰……?」
先ほど零と出会ったのが白峰神宮だった。何か関係あるのだろうか、と尋ねると「ありますよ」と零は笑った。
「どっちも崇徳院と関係してますよ」
「崇徳院?」
「それも知らないの?」
私が首をかしげると、零はくすりと笑い、コーヒーカップを置いた。
「保元の乱で後白河天皇に敗れ、四国に流罪になった天皇ですよ。白峰神宮は崇徳天皇を祀っているし、坂出にはその御陵があるんです」
「あー、すまん、日本史取ってなかったんだ」
「そういう問題じゃないと思うけど。本当に大学院出てるんですか?」
ここへ来る道すがら、自分が大学院の博士課程を終えており、これでも学者の端くれだという話をした。しかし私は理論物理学の徒であり、文系の日本史は専門外だ。
「それは言い訳に聞こえますけど?」
零が笑顔を浮かべて右手を伸ばし、人差し指で私の鼻の頭をつついた。
「一般常識だと思いますよ、博士様」
「……これから勉強するよ」
私はごくりと息を呑み、目の前にある零の指先を見た。
小さくて柔らかそうな指だった。思わず咥えてしまいそうになったが、慌てて思いとどまり「人を指差すんじゃありません」と零をたしなめた。
「ふふ、そうだね。ごめんなさい」
零はククッと笑い、再びコーヒーカップを手に取って口をつけた。