27 記憶
神社へと続く階段に着いたのは、真夜中を三十分ほど過ぎた時だった。
「じゃ、行ってきますね」
零は私をその場に置いて、一人階段を上って行った。
月明かりに照らされた階段を、零が軽やかな足取りで登っていく。それを見ながら、私は動かない足をつかんでいた。
「……また歩きたい」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。痛みがあるなら神経はつながっているはず。痛みに耐えてリハビリすればまた歩けるようになるはず。
うん、そうだ。医者にはそう言われた。零にも言われた。最初は痛いけど、がんばれば歩けるようになると言われた。だから私はがんばって、一人で立てるまでに回復した。
だけど、私はそこでやめてしまった。どうしてリハビリを続けなかったのだろう。
キリキリ、キリキリと音が聞こえ始めた。
車椅子は動いていないのに、車輪は回っていないのに、あの嫌な音が聞こえた。その音を聞くと、車に跳ね飛ばされた時の衝撃と痛みが蘇る。怖くて痛くて苦しかった思いが私の心を侵食する。
嫌だ、思い出させないで。
私は耳を塞いで目を閉じた。でも音が聞こえる。キリキリ、キリキリと響き続ける音に、忘れたい事故の記憶が呼び覚まされる。
「いや……なんで、なんで……いや……」
あの時、車に跳ね飛ばされて生垣に突っ込んだ私を、すぐに駆けつけた兄さんが助けてくれた。
奇跡的に命に別状はなかったけれど、両足が折れて歩けなくなった。事故の記憶がフラッシュバックし、毎晩苦しんだ。自由に身動きできなくて、痛くて苦しんだ。
そんな私を、兄さんが献身的に介護してくれた。
大丈夫だ、必ず治るから、焦らずにゆっくり治そう、といって慰めてくれた。
でも私は、兄さんがしたことが許せなかった。
尊敬し、愛する兄さんだからこそ、許せなかった。
「やだ、やだ……思い出させないで……」
キリキリ、キリキリ、音がする。この音はどこから聞こえてくるのか。車輪は回っていないのにどこからか聞こえてくる。
「その音を初めて聞いたのは、いつ?」
どこからともなく、美しい声が問いかけてきた。
いつ? あの音を初めて聞いたのは……いつ?
「いや……やだ……」
初めて聞いたのは……事故の後。
車椅子の生活がしばらく続いて、ケガが癒えて、リハビリを始めて、やっと立てるようになって、それで……
「あ……ああ……」
薄暗い部屋の中、倒れた車椅子が見えた。
私は、ベッドの上からそれを見ていた。
痛くて、苦しくて、ろくに身動きできず、必死でもがいていた。
倒れたときに車軸が曲がったのか、車椅子の車輪はキリキリと音を立てて回り続けていた。
ああ、これだ、この音だ。
この音を聞きながら、私は痛みに耐えていた。
「いや……やめて、もうやだ……」
確かに見たはずの光景。だけど、忘れていた光景。
いやだ、いやだ、思い出したくない……
だけど美しい声が語りかけてくる。「それっていつなの?」と語りかけてくる。私が必死で封印したものを、面白そうに突いて揺らしてこじ開けようとする。
「いや……いやだ……」
「奏!」
心の底の扉がこじ開けられようとした、まさにその時。
鋭い声が私を呼んで、現実に引き戻された。




