珍皇子誕生
──ふと意識が覚醒する。
なんだか、ずいぶん昔の夢を見た。
あれからどれぐらい時が流れたのだろう。今ではもう時の流れなんてものに意味はないけど、それでも数えるとしたら五十億年ぐらいか。
あれから僕はミトとともに、「一柱」に、この世界そのものに挑んだ。
だけど、すぐには届かなかった。
無限とも思える果てしない高みにいる一柱。あがいてももがいても指先をかすらせることすらできず、長い年月が過ぎた。僕の代わりに楓機構を持つミトは神々に狙われ続け、時には二人して叩きのめされ、這々の体で逃げ出すこともあった。
だけど、物理学を修め、大統一理論を、超大統一理論を、そしてその先の宇宙論を、宇宙誕生の謎を、この世の全てを物理学で解き明かせたとき、一柱をこちらの世界へ引きずり下ろした。
そこから先は、実にあっけなかった。
「ワレを穢れで染めてみよ」
お望み通り、僕は世界を穢れで染め上げた。
悪霊・零は、大怨霊となって世界をズタボロにした。
一柱は世界を支える公理。それを気ままに書き換えてやると、この世の理は崩壊し、世界は混沌に返った。
物理学で言うところのビッグバン前、特異点のその中。
それが今の世界。
その支配者が僕だった。
でも、僕がしたいことは、これだったのだろうか。
なんだか、違うような気が……ああ、だめだ……また……僕は……
「それで、これからどうするんだ?」
声が聞こえた。
ハッとなり目を開けると、混沌の中に浮かぶ男が見えた。
巨大な木槌を肩に担いだ、銀髪の大男。サングラスは相変わらずだが、ライダースのレザージャケットではなく、桜色の法被を身にまとい、今から祭りにでもいくかのような賑やかな格好をしていた。
トクン、と僕の胸が跳ねる。
ああ、いてくれたんだね、ミト。君はまだいてくれたんだね。
「言ったじゃねえか。俺はお前についていく、てな」
僕は立ち上がった。たくましいミトの胸に飛び込んで、思い切り彼を抱き締めた。
何か、彼に言うべきことがある。だけど……ああ、なんだっけ、僕はミトに、何を言わなければいけないんだっけ?
言うべき言葉を探していると、僕の心がズキンと痛んだ。
なんだろう、と痛む胸に手を当てた時、その名が思い浮かんだ。
隼人。
かつて、人形の僕を愛してくれた人。僕もまた愛した人。神々に汚され、悪霊に堕ち、世界を滅ぼしてもなお、その気持ちだけは、隼人だけは、僕の心から消えてくれなかった。
「……ああ、そうか」
僕は言葉を発した。世界が揺れた。今は僕の行動が世界の意思だった。
「消えてくれなかったのか。隼人、君は消えてくれなかったのか」
僕を生かしてくれた愛。その愛の強さゆえに僕は祈りを捨て、悪霊となり、大怨霊となって世界を滅ぼした。
痛くて痛くてたまらない。
その痛みに耐えきれず、ごぼりと、僕は自分の胸に腕を刺した。
ボタボタと血のようなものが、光となって流れ出た。胸の奥にあるものを引きずり出すとき、内臓のようなものが落ちて物質となった。砕けて落ちた骨は星となり、ばら撒かれた汚物は生命の源になった。
引きずり出したのは、僕の心の一番奥。
僕という穢れの中にあって、ついに穢れに染まらなかったもの。光のないこの世界で、まるで宝石のようにキラキラと光っている。こんなにきれいなものが僕の中にあったのかと、僕は心底驚いた。
「ふうん、キレイじゃねえか」
ミトの言葉に僕はうなずく。だけど、胸が苦しくなる。
これは、隼人への愛。
ごめんね、ミト。僕は……僕はやっぱり、隼人を忘れられなかったよ。
「いいんじゃねえの、それで」
ミト……ミト……でも僕は……僕はお前を……
……ああ、そうだ。
ミトに言わなければならないのは、その言葉だ。
だから……だからこの心は、ここにあっちゃいけない。
「おいき」
だから僕は、それを混沌の海へと放り投げた。
光がはじけ、宇宙が生まれる。
特異点が崩壊し、ビッグバンが起こり、世界が始まる。
「おいき珍皇子」
引きずり出した僕の心は光の玉となり、生まれたての荒れ狂う世界の中をコロリコロリと転がっていく。
「荒波を乗り越え、世界を知り、そして帰っておいで。君がこの宇宙の理だよ」
噴き出す溶岩に洗われ、荒れた大地に阻まれ、それでも光の玉は転がっていく。やがて光の玉は混沌の中に消え、もはや僕の手の届かぬ所へ行ってしまった。
いつか、きっと帰ってくるんだよ。
そして僕を、大怨霊を、その力で鎮めておくれ。
「待たせたね、ミト」
僕は、抜け殻となった体をミトに預けた。
ミトが優しく抱き締めてくれる。暖かい。ああ、たったこれだけのことが、こんなにも嬉しいんだ。
「もう僕は空っぽだ。こんな抜け殻でよければ……残りカスで悪いけど、どうか僕の愛を受け取ってほしい」
「ああ。喜んで受け取ろう」
ミトの言葉に、空っぽの僕は満たされた。
抱き締められ、唇が重ねられ、僕はようやく滅び始めた。
「愛しているよ、ミト」
だからどうか、僕が滅びるその時まで、僕のそばで見守っていておくれ。
君だけが、僕が唯一手に入れられたものなんだから。
- 完 -
最後までお読みいただき、ありがとうございました。