112 終幕
瞬きの間に地球に戻され、半年間暮らしていた屋敷の庭に立っていた。
崩壊したはずの屋敷は元通りになっていた。鈴丸のサービスか、それともあいつの気まぐれか。まあどっちでもいいけど、だったらついでに服も着せておいてくれよな。裸のままじゃないか。
「お? もう戻ったのか?」
すぐ後ろでミトの声がした。振り向いて、ミトがパンツ一枚なのを見てまたため息が出る。日はかなり高い。真昼間に、男が二人、裸で庭にいたら何と思われることか。
ま、いいか。
元通りになった庭に白い本が落ちていた。僕はミトから離れ、その本を拾いに行った。
歩くたびに、世界の全てを操れる、そんな万能感が消えていく。どうやらチートタイムは終わりらしい。力が消え、元の僕に、六千年前の僕に戻ってしまうと、あんなにも感じていた一柱の存在も感じなくなった。
「ふうん」
僕は拾った本を紐解いた。「まえがき」から始まり、目次があり、第一章から第五章まで、約二百ページ。なかなかの大作だ。
だけど……おいおい、なんだよこの論文。宮田祐一、お前は一体何を書いてるんだ。
「ん? どうした?」
「いや、だって……」
僕は本を閉じ、腹を抱えて笑った。
「これはダメだ。神崎詩織がゴミと言ったのもわかるよ」
「そんなにひでえ内容なの?」
「ひどいなんてものじゃない」
第三章までは素粒子に関するごくまっとうな論文のようだ。目新しさはなさそうだけれど、実験結果をもとに書かれた科学論文で間違いない。
だけど、第四章のタイトル。「世界を構成する祈り」だあ? 何で素粒子の話から祈りになるんだよ。
「こいつは指導教官も苦労しただろうね。タイトル見る限り、第四章以降はファンタジー小説だね」
「論文にそんなこと書いてるのか?」
「まあ、中身は正しそうだけどね」
「……あん?」
ミトが首をかしげる。「ちょっと待て」と僕は第四章と第五章を拾い読みし、間違いないことを確かめた。
「第四章と第五章は、十万年前なら神子が知るべき秘儀中の秘儀だよ。しかも概ね正しいときた」
「はあ? なんでそんなことを知ってるんだ?」
「知るかよ」
まあ、一柱のタイクツしのぎだろうけど。
現人類が積み上げてきた宇宙論と、旧人類が完成させた神へ至る祈りの儀式。
この両方が理解できるのは僕だけだ。鈴丸もこれを読んだだろうが、ゼロが理解できないあいつに現代物理学は理解できない。第三章までは字面を追ってタイプしただけだろう。
「そうか、一柱。お前そんなにタイクツなのか」
いいだろう、お前のところへ行ってやる。物理学を極め、祈りと融合させ、お前を僕の穢れで染め上げてやる。
お望み通り、なってやろうじゃないか。
大怨霊と呼ばれる、世界を穢す存在に。
「ほら、着ろよ」
そのまま庭の真ん中に立って本を読んでいたら、頭の上にふわりと何かがかけられた。
服だった。ミトが取りに行ってくれたらしい。水色の七分袖のワンピース。ずいぶんとまた可愛らしい服だこと。
「裸で突っ立ってるんじゃねえよ」
「君さあ、なんで女物の服持ってくるわけ?」
僕は男だぞ。Tシャツとスウェットでいいだろうに。こいつ、何かと僕に可愛い服を着せたがるんだよな。それもフェミニンではなくガーリーなやつ。正直、僕の趣味じゃない。
まあ、着るけどね。
「……なんだよ?」
服を着てまた本を開いたけど、ミトが険しい顔をしているのに気づいた。何か言いたそうな顔をしている。仕方ないから本を閉じ、僕はミトに向き直った。
「いや……やり直しだな、と思ってな」
ミトの手が伸びてきて、僕の頬を撫でた。その手のぬくもりに、僕はもう何も感じない。
そうか、ちゃんと気付いてるか。
脳筋の考えなしだと思っていたけれど、僕のことだけはよく見てるんだな。
「お望みなら、いくらでも抱かれてあげるけど?」
「いらねえよ、そんなもん」
十万年前、僕は一人の男を、隼人を愛した。その愛ゆえに僕は祈りを捨て呪われた身となり、十万年の孤独を過ごすことになった。
僕の中に居座り、僕が滅ぶことを許さなかった隼人。
ミトは、六千年かけて僕の中から隼人を追い出し、代わって住み着いた。神を食い尽くすなんて息巻いていた僕だけど、心のどこかでミトと一緒に朽ち果てるのもいいんじゃないか、と思っていた。
だけど、僕の中のミトは消えた。
一柱が「タイクツしのぎ」のために僕は呪いに戻った。僕にミトを捨てさせ、また隼人を居座らせた。
「おい教えろ。お前の敵は誰だ?」
「一柱……この世界そのものだ」
「デケエ敵だな」
僕の答えに、ミトが不敵に笑う。
「おもしれえ。連れてけよ。お前と俺で、この世界を滅ぼそうじゃないか」
「君、使命はいいのかい?」
「俺が守れと言われた『人』は、もういない。そう言ったのはお前だぞ」
「そうだったね」
健気なやつ。僕がまたお前を愛せる保証なんて、まるでないのに。
「まあ見てな。あと一歩でお前が落ちるところまで行ったんだ。次は完全に落としてやる」
「自信満々だね」
「おう。お前に、お願いだから抱いてくれ、て泣いて頼ませてやる。覚悟しとけ」
「……やってみなよ」
僕は手を伸ばし、ミトの髪をつかんだ。思い切り引っ張ると、ミトが「いててっ!」と声を上げて前かがみになった。
目の前にきたミトの顔を両手で挟み。
その唇に、僕はついばむようなキスをする。
「僕に愛してると言わせてみな。その時は、僕の全てをお前にやるよ」
「言質取ったぞ。お前が俺を愛してると言うまで、俺はお前についていくからな」
ああ、いいとも。
この世の果て、世界が滅びるその時まで、僕の隣で歩き続けてくれ。