隣の芝生はだいたい青く見える
有名になりたかったわけじゃないというのは、人によって反感を持つだろう。
その点を理解してそうな、だからと言って不本意さは隠しきれない。
そんな彼女に俺は好感を持つ。
「大変だね、有名人は」
「……男の人に同情されたのは初めてかも」
天王寺は目を丸くしている。
「一応、理解できないわけじゃないからね。有名税ってやつのマイナス面を」
俺は苦笑気味に理由を話す。
「ああ、なるほど」
彼女はすぐに理解し、同時に同情のこもったまなざしを向けてくる。
ただの同情ならともかく、理解と共感のこもった視線だったので、ありがたかった。
「いわれない批判、あるものね」
と天王寺は一瞬顔を暗くしたが、すぐに笑顔を戻す。
「せっかくお話しするんだから、明るい話をしたいわ。かまわない?」
「あ、ああ。そうだな」
強引だったけど、不愉快じゃなかった。
彼女の笑顔は寒さに震えている時にあたたかく照らしてくれた、太陽のような力があった。
「と言っても何から言えばいいのかな……どうしよう?」
彼女は笑顔を消してオロオロする。
俺の正体を知らなかった時は、ガンガン話しかけてきたのにな。
「とりあえず店の中に入らないかい?」
いつまでも店の外に立っていたら迷惑になるだろう。
そう指摘すると彼女はハッと息を飲む。
「ほ、本当にそうだわ」
答えると彼女が入り口のドアを開ける。
カランコロンという音の同時に落ち着いた感じの店内の様子が飛び込んでくる。
中にいるのは四十代か五十代くらいの女性二人組だけだった。
「穴場だけどコーヒーと紅茶、それにケーキとワッフルが美味しいのよ」
と天王寺は話す。
いきいきとした表情に、きっとスイーツが好きなんだろうなと思う。
奥の席に二人向かい合って座る。
こうして見るとずいぶんと表情が豊かだ。
学園で見かける天使のような微笑は、ほんの一面にすぎないのだろう。
「ミーティングの時とはずいぶん違うね」
と俺は指摘する。
「あの時は先生に会えた喜びでテンションがカンストしてたから」
天王寺は頬を赤らめ、目を逸らしてもじもじしながら小さめの声で答えた。
めっちゃ可愛い。
別にそんな気はなかったけど、こんな可愛い子のこういう表情って取材になったりする?
五十歳くらいの女性が水とメニューを持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
天王寺はぺこっと頭を下げて礼を言う。
こういうところは感じがいいな。
俺も見習わなきゃ。
「ありがとうございます」
と俺も言うと、女性は「決まったら呼んでください」と義務的に言って下がる。
他に店の人らしいのは同年代の男性くらいだ。
「夫婦経営なのかな?」
「そうだと思う」
天王寺はそう答える。
「まずメニューを決めましょう?」
一つのメニューを二人で仲良く広げた。
天王寺の顔が自然と近づき、ふわっといい香りに鼻が刺激される。
俺としては心臓の動きが変になり、手に汗をかくけど、彼女は気にしていなかった。
「左側がフードで、右側がスイーツとドリンクなのよね」
と天王寺は解説し、慣れた調子でページをめくる。
「フードはいらないわよね?」
いたずらっぽい目で確認された。
「どうしようかなあ」
と俺はつぶやく。
本当ならいらないというところなんだろう。
「入るんだ。やっぱり男子は違うのね」
天王寺は驚いたように目を丸くしている。
そうじゃないと思うが、彼女は俺の事情を知らないんだよな。
「いや、夜遅くまで親は帰ってこないから、自由なんだよね。九時や十時に食べてもいいし、一食抜いてもバレない」
「ああ、そうだったの」
俺の説明に天王寺は納得する。
さすがにこの時間からパンケーキとかを食べて、七時あたりに普通に晩ご飯を食べられる自信なんてない。
「やっぱりケーキを食べようかな」
印税は基本使わないんで、財布には余裕がある。
「ケーキセットにするよ。天王寺は?」
「私もケーキセットにするわ」
天王寺は迷ったあげくに答えた。
意外だな。
「甘いものは別腹っていうわけ」
彼女は右目をつむった。
なるほど。
女の子がそのフレーズを言うのを初めて聞いたし、ウィンクされたのも初めてだった。
かわいい子ならウィンクも絵になるんだな。
「天王寺が言ったら様になるなぁ。女の子がウィンクしながら言うシーン、作中で出してもいい?」
とダメでもともとだと聞いてみる。
「えっ⁉ いいの⁉」
天王寺は目を見開いて勢いよく身を乗り出してきた。
あまりの勢いに思わず俺は腰が引けてしまう。
そのせいか、天王寺は我に返って居住まいを正す。
「ご、ごめんなさい」
気まずそうに目を逸らされる。
「い、いや、別にいいけど」
とりあえずそう言う。
今の反応はいったい何だったんだろう?
「そんなに驚くこと?」
「だ、だって、ヒカミ先生の作品に私が出るって事でしょ⁉」
聞いてみると、もう一度食いつかれる。
「ああ、うん」
この反応を見てようやく少し理解した。
「あくまでも一つの動作を参考にした程度だけどね」
天王寺をそのまま出すわけじゃない。
だから彼女が食いついてくるとは夢にも思っていなかったんだ。
「それでも幸せよ!」
天王寺は両手を胸の前で重ね、天をあおぐような表情で言う。
「そ、そうなんだ」
思いつきで言ったことだけど、そんなに喜んでくれるなら書いてみていいかなぁ。
一応くぎはさしておこう。
「ああ、念のためだけど、そういうシーンを見たとしても、自分が出てるとか採用されたとかは、誰にも言わないでほしい」
そんなことを言われると、厄介なことが起きるかもしれない。
大丈夫だとは思うが、リスクは回避しないと。
「もちろん、二人だけの秘密だよね?」
天王寺はいたずらっぽく笑い、もう一度ウィンクをして唇に右ひとさし指を当てる。
「そうだよ」
と俺は答えた。
小悪魔的な表情も似合うなと感心する。
ひょっとして女の子っていろんな顔を持ってたりするんだろうか?
疑問に思いつつ、約束は成立した。
天王寺が女性を呼んでてきぱきと注文する。
「ずいぶんと楽しそうね」
彼女は天王寺に微笑ましい目を向けた。
「この子が男の子とおしゃべりで盛り上がる日が来るなんて……」
「ちょっと、やめてください、おばさま」
天王寺はすねたような目で彼女に抗議する。
知り合いだったのか。
「意外だな。男子と来たことないのか」
俺は思わず声に出す。
天王寺くらいの美少女だったら、イケメンがよりどりみどりだと思うんだが。
「ないわよ」
天王寺は顔をしかめる。
「何かごめん」
割といやな話題だったらしいのですぐに謝った。
「ううん。そういうイメージを持ってる人はいるんだろうなって、予想はしていたから」
悟っているような顔で言う。
大変なんだなあ。
「摂津くんだって売れっ子作家でファンが多いから、いいことばかりでしょって言われたらどう? 否定するんじゃない?」
天王寺はそう聞いてくる。
「そうだなぁ」
もっともな話だった。
そりゃ天王寺みたいにすばらしいファンは何人もいるけど、いいことばかりじゃない。
ネットで小説を公開してると、批判も必ずと言っていいほどついてくる。
「隣の芝生は青く見えるってやつか」
「そういうこと」
天王寺はにこりと笑った。
ここで沈黙がやってくる。
「知人に教わったんだけど、沈黙のこととは『天使が通り過ぎる』なんて表現する国があるらしいね」
話題に困ったので一つのネタを提供してみた。
肝心の国がどこだったか思い出せないので心苦しいが、何も言わないでいるよりはましだろう。
「へえ、知らなかったわ。さすが作家さんは物知りね」
天王寺は感心してくれる。
「ありがとう。教えてもらっただけなんだけどな」
と謙遜した。
俺の手柄って感じじゃないもんな。
「自分の知らないことを教えてくれる人がいるのはすてきだし、それを自分の知識に加えられるのはすばらしいわ」
天王寺は絶賛してくれた。
持ち上げられすぎて背中がかゆくなるけど、話してみてよかったという気分になる。
これもある意味で聞き上手ってことになるかな。
「そういう知識、作中に出したりする?」
「まあな」
と質問に答えると、天王寺はキラキラした目で見てくる。
「すてきねえ」
そう言ってため息をつく。
よっぽど作家と小説が好きなんだなぁ。
こんな華やかな美少女が正直意外だけど、別にこんな小説好きがいてもいいよなぁ。
ケーキセットが運ばれてきたので、さっそく手を伸ばす。
「うん、美味しいな」
オーソドックスな見た目だけど、味はいい。
ケーキが好きなら食べて損はない味だった。
「でしょう?」
天王寺はうれしそうに微笑む。
フォークを片手に微笑むさまだって絵になるなあ。
もしかして彼女はちょうどいい「取材対象」じゃないだろうか。
気を悪くさせたらいけないが。
「男子って甘いものが苦手な人が多いイメージだけど、摂津くんは平気なのね」
天王寺がそう聞いてくる。
今さらな気もするが、俺は大きくうなずいた。
「昼ごはんも菓子パンで平気なくらいには好きだよ」
菓子パンだと楽なんだよなー。
コンビニかスーパーで買って持って来れば、購買で買う必要もないし。
「えっ?」
天王寺ははっきりと目を見開く。
「さすがにそれはちょっと体に悪いんじゃない?」
お説教ならいやだなーと思うところだが、彼女は不安そうに顔をくもらせる。
すると何だか罪悪感が刺激されてしまう。
「野菜は食べてるし、大丈夫だと思うけど……」
野菜を食べればだいぶ違うんじゃなかったかな。
「それならいいけど」
適当に答えたのがまずかったか、天王寺は不安そうなままだった。
「朝はどうしてるの?」
「食べないよ。めんどうだし」
朝からご飯を食べるってしんどいんだよなあ。
ゆっくり寝ていたいし。
「それはやっぱり……」
天王寺は再び顔をくもらせる。
そんなことを言われてもなあと思う。
「よかったら私がご飯を作りましょうか?」
「は?」
突然の申し出に俺が変な声を出したのも無理ないだろう。
「何だよ、急に?」
「だって食生活が心配だから」
天王寺は目を潤ませて、上目遣いで懇願するように見てくる。
……これはヤバい破壊力だ。