運命の日
息づかいやいい香りを味わう魅惑の時間がようやく終わった。
正直残念じゃないと言えばうそになってしまうが、心臓のためにはよかったんだと言い聞かせる。
首を横に倒したり腕を回すとだいぶ軽くなっていた。
「ありがとう、天王寺。楽になったよ」
「お役に立ててよかったわ」
礼に対して天使のスマイルが返ってくる。
本当にいい子だなとジーンときた。
「世話になりっぱなしな気がするんだが」
「すてきなキャラクターと面白いストーリーが読めたら、それが何よりよ」
恐縮する俺に天王寺は答える。
「一を与えて一兆を受け取るような感覚だわ」
一に対して一兆はさすがにケタが違いすぎるんじゃないか。
「それだけ好きでいてくれるってことか。ありがとう」
もちろん作品の話で、五回の余地なんてない。
「むしろ好きになれるすてきなコンテンツをありがとうって私こそ、お礼を言いたいわ。作家さんって本当に創造主よね」
天王寺はきらきらした目で両手を組み、宙を仰ぎ見る。
「そう言ってもらえると、小説を書いててよかったと実感できるな」
彼女の熱意は本当にありがたい。
「お役に立ててる?」
天王寺は顔色をうかがうような顔でこっちを見る。
こういう表情もするんだなと少し意外だった。
「もちろん」
態度に出さないように気をつけ、笑顔で応じる。
天王寺は安心したように笑う。
どんな表情も抜群にかわいいのは美少女の特権だろうけど、こういう顔が一番似合っているな。
「どうする? ゲームの続きをやる?」
と聞かれて考える。
せっかく来てくれたのに一回しかやらないってのもなぁ。
そう考えたところで天王寺は別の意見を出す。
「それとも背中を踏んであげようか? 正直かたかったから、あまり効かなかったんじゃないかって思うのよね」
天王寺は不安そうにうつむく。
「気持ちよかったけどなぁ」
これはうそじゃない。
だから彼女は気にすることはないと思う。
「でも、摂津くんにはもっと気持ちよくなってほしいし」
どことなくすがるような声だった。
「うーん、じゃあやってもらおうかなあ」
そこまでして拒否するようなもんじゃないと思う。
天王寺はちょうどズボンをはいてるし、気兼ねしなくてもよさそうだ。
短めのスカートだったりしたら何となく抵抗はあったんだけどな。
「じゃあベッドの上に寝転がってくれる?」
「うん」
俺は素直に従い、ベッドの上でうつぶせになる。
「よっ」
続いて天王寺はベッドに乗り、ベッドがきしむ。
足を乗せて体重がかけられる。
「これくらいでどう?」
「まだ軽いかな」
問いに正直に答えた。
これは天王寺が軽いと言うよりは遠慮されてるんだろうな。
「んっとこれなら?」
ぐいっと力がかかって気持ちよくなった。
「うん、ちょうどいい」
「これがいいんだ。任せて」
天王寺はそう言って、肩甲骨付近からその下あたりを踏んでくれる。
「気持ちいいなぁ」
正直に声が漏れた。
大丈夫だと思っていたけど、案外張ってたりしたんだろうか。
「ふふ」
天王寺のうれしそうな笑い声が聞こえる。
「んんっ」
と踏ん張ってる声もだ。
彼女が集中しているようだったが、俺のほうは頭がぼーっとしてくる。
血行が良くなってきたせいか、心地よくなって睡魔がやってきたようだ。
寝てはいけないと必死に言い聞かせているうちに、彼女はベッドから降りる。
「どう? 気持ちよかった?」
「うん、ありがとう」
しゃがみ込んで聞いてくる彼女に、俺は顔だけ動かして答えた。
距離が近いんだが、彼女はまったく気にしていないらしい。
「言ってくれたらいつでもしてあげるからね」
「おおう。じゃあ頼むよ」
何やらはりきってる天王寺に押され、そう返事をしてしまう。
実際気持ちよかったし、マッサージいく手間が省けるならいいかなというせこい考えも浮かぶ。
本当はプロを頼ったほうがいいんだろうな。
「摂津くんお疲れかな?」
天王寺はかがんだまま顔をのぞき込んでくる。
「ちょっと眠気がしたけど平気だよ」
体のラインが出やすい服ではなかったが、今の体制だとさすがにはっきりと解るので吸い込まれないよう自制して体を起こす。
「天王寺はこういうこと、慣れてるのか? 上手かったけど」
「お父さんに何回かしてあげたかな。それくらいだよ」
俺の問いになつかしむように答える。
「なるほど。慣れてる気がしたんだよな」
父親相手に慣れていたなら理解できる気がした。
「摂津くんはマッサージいったり、誰かにやってもらったりはしないの?」
「親にすることならあるけどなぁ」
天王寺の問いにそう答える。
俺の体も大変かもしれないが、両親のほうも負けずにひどい場合が多い。
「そっかー。摂津くんも自分だけの体じゃないんだよ?」
と言われてうなずく。
そうだよな、待ってくれてるファンがいるもんな。
あとは高井田さんとかイラストレーターさんやデザイナーさんとか。
しみじみ思っていると、彼女はハッとする。
「ごめんなさい。何だかお説教ぽかったよね?」
聞こえようによってはそうだったかもしれないが、まったく気にしていない。
「天王寺からは心配してくれてるのと、応援してくれてる気持ちがメチャクチャ伝わってきてくれるから、そんな気にならないかな」
これは本心だった。
親にご飯ちゃんと食べろって言われるのと、ファンの女の子がオロオロしながら「お願い、ご飯食べて」と言うのとじゃ、全然受ける印象が違う。
言うまでもなく、天王寺は後者だ。
「よかった」
彼女は胸を撫で下ろす。
安心した彼女は同じ年の子に見えるな。
世話焼きお姉さんって感じがけっこう強かったんだが。
俺が体を起こすと、彼女は座布団の上に腰を下ろす。
「あんまり心配かけないようにしないと」
申し訳ないって気持ちになってくる。
「気にしないで、私が好きでやってることだし!」
と天王寺はあわてて言った。
「それにむしろ善意を押し付けちゃってないかなって不安はあるんだけど」
彼女はそう言って上目遣いで見る。
「それはないかなぁ」
たしかにいろいろやってもらったけど、押し付けられた感じはしない。
彼女の人柄のせいだろうか。
「むしろ作家やっててよかっと思う展開かな」
「そうなの? だとしたらファン冥利に尽きるかも」
なんて言って二人でくすくす笑いあう。
「作家さんってやっぱり目に見える形で応援してもらったほうがうれしいんだよね?」
笑いが終わった後、天王寺はそう聞いてくる。
「もちろんだよ。本を買ってもらうのが一番だけど、感想をくれるのもうれしいな」
と回答した。
「じゃあ感想を書いて本を買って、知り合いにすすめるのが一番よね!」
天王寺は意気込む。
「そうだな。間違いなくベストアンサーだ」
「うふふふ」
俺が喜ぶと、彼女はうれしそうに頬をゆるめた。
「そんなにうれしいものなのか?」
「摂津くん、ヒカミ先生を支援できるのは人生最大の幸せね!」
何気ない疑問に斜め上すぎる、強烈な返事が飛んでくる。
「そ、そんなレベルなのか」
そこまで言われると照れてしまうな。
「ええ、もちろん。ネット小説を読みはじめたのは実は単なる気まぐれだったんだけど、あの日の自分を今でもほめてあげたいもの」
天王寺はさらに言葉を重ねる。
「その時に俺の小説を見つけたのか?」
流れ的にそうなんだろうなと思いつつ、聞いてみたくなった。
「そうよ。ちょうど月間ランキング一位じゃなかったかしら? それにピックアップされてもいたわね」
「よく覚えているな」
天王寺の記憶力に舌を巻く。
おそらくは二年くらい前の話だろう。
月間ランキングに載ったことくらいは何となく覚えてるが、具体的なことはもう忘れてしまっている。
「私にとっては運命の日だったもの」
天王寺は目をトロンとさせながら言った。
自覚がないのかもしれないが、とても色っぽい。
何て言うか、ちょっと無防備すぎるんじゃないかと思う。
心臓がどきどきしている俺が言っても説得力はないかな。
「運命の日か」
「ええ、そうよ」
天王寺は自信満々に断言する。
こっちが恥ずかしくなってしまう。
「もう作家冥利に尽きるって言葉じゃ足りないな」
どうやってこの気持ちを言い表せばいいんだろう。
そうだ、たしか「筆舌に尽くしがたい」だったかな。
言葉じゃ表現できないって言葉があるのは、言葉のマジックだと思う。
「天王寺はいい作家に出会えたと思ってるかもしれないけど、俺だってすごくいいファンに巡り合えたよ」
「そう⁉」
天王寺は耳まで真っ赤になりながらも、目を輝かせていた。
喜びと羞恥心が同時に昂ぶったのかと思う反応である。
「それは正直、摂津くんが優しいからじゃないしら」
天王寺は急にトーンダウンした。
「そんなことないよ」
彼女みたいにいろいろファンがしてくれるのは、きっとどんな作家だってうれしいだろう。
あっ、久宝寺先生は例外かもしれないけど。
あの人は仲良くならないと、どんな言動だって好意的に解釈してくれないという厄介なところがあるからな。
ネガティブというのも何かが違っていて、説明するのが難しい。
否定しても天王寺はまだ不安そうだった。
見るたびに明るく自信にあふれてる彼女が、こんな顔をするなんて。
「今日はありがとう。来てくれてうれしかったよ」
「そ、そう? ならいいんだけど」
もう一度言ったことで、ようやく明るさを取り戻す。
「摂津くんさえよければ、毎日でも来るわよ?」
「毎日⁉」
いくら何でもそれは天王寺には酷なんじゃないかと思う。
友達との付き合いもあるだろうし。
「ダメ?」
天王寺はまた心配そうな顔に逆戻りする。
心なしか目が潤んでいた。
「ダメじゃないけど、いいのか? 友達は?」
「学園の友達は学校の友達よ。私の魂と共鳴する子たちじゃないわ」
俺の問いに天王寺はきっぱりと答える。
自分のオタク趣味に理解がない子は友達とは言えないって解釈でいいんだろうか。
「まあ解らなくもないかな」
俺だって友人と言えそうなのは、学園にはいない。
創作仲間と言うか書籍化作家仲間ならいるし、それで十分だ。