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マグカップに注がれたホットコーヒーから出る湯気が僕の顔に当たり、体感の湿度が少しだけあがった。
「わぁーおいしそうー。」
志保は、両手を合わせて嬉しそうな声を出した。
「よく、朝からそんなに食べれるな。何度も言うけど」
「だから、別腹なんだって。何度も言うけど」
彼女は、慣れた手つきで、フォークとナイフを使って、パンケーキを食べやすいサイズに切り分けていった。
僕はというと、ゆで卵の殻を丁寧に向き、一緒についてきた殻を入れるお皿の上に置いていった。
この殻を丁寧に剥く瞬間が、たまらなく僕は嫌いである。
爪と爪の間にゴミなんて入っている時に、爪がゆでたまごの身にめり込んだ瞬間に食べる気をなくす。しかし、僕はゆでたまごが大好きである。世の中のゆで卵がもう少し食べやすくなれば良いのと願ってやまない。
ちなみに、僕はたまごにたっぷりの塩をかけて食べるのが好きである。最初の一口はお皿の上にまぶした塩をたまごですくう。そして、かぶりつく。その次は、かぶりついてできたクレーターに、塩をまぶす。そして、もうひとかぶり。僕はその単純な作業がたまらなく好きだ。
「ところでさ、何をしようとしていたのうおぉ? なんか言ってたじゃん。さっきぃ」
志保は、口にパンケーキを含みながらしゃべっている。
「食べるか、しゃべるかどっちにしなよ」
僕は、冷静に指摘をする。
「ほら、次の授業まで時間がないじゃん。時短、時短」
時短なら、「パンケーキなんて頼まなければいいのに」、と喉から出て、舌の上に言葉が乗ったところまで来たが、僕はそのまま飲み込んだ。
「あれは……」
「あれ、志保じゃん! 」
レジの向こう側から、よく聞いたことのある声が近づいてきた。ただただ高い声。男のくせに高い声。能天気に喋る声。どこか人を馬鹿にしているように聞こえる声。僕は、この声を知っている。そして、僕はあまりこの声が好きではない。
「あれあれー。そして隣にいるのは……」
僕は、心の中で気づかないでくれとつぶやいた。
「烏丸くんだぁ」
彼の方を見ると、彼は満面の笑みで僕の方を見ている。僕は、バレたかと一瞬うつむき、彼の方を見た。
「やぁ、四条くん」
「おはよう。二人とも朝からラブラブだね。付き合ってんの? 」
彼は、満面の笑みをやめない。
「付き合ってないよ。四条くん、朝からうるさいよ」
志保は、あいかわらずもぐもぐとしながらパンケーキを頬張り、彼に話しかけた。
「はいはい黙りますよー。お、隣空いてんじゃん。いただきー 」
最悪なことに僕の隣に四条が座った。彼は、持っていたマグカップをカウンターの上に置いた。中身は、ドリップコーヒーのようだ。
四条。こいつも、サークル内の知り合いではあるが、友達ではない(向こうは、友達と思っているようだが)。
サークルに入った時に、京都が好きな先輩がいて「おお、四条と烏丸で、四条烏丸じゃん! 」という、まったくありがたくない関係性を見出してくれたおかげて、周りからは運命的な出会いと、運命的な仲の良さがあると思われてしまっている。しかし、実際は、四条の能天気でうるさいところは、全然好きになれない。また、このような性格から割と女ウケがよく、彼女が居ないという話は聞いたことがない(その分、彼女は3ヶ月に1回くらいの頻度で変わっているようである)。
「四条は、なにしてんだよ」
僕は、嫌そうに彼に質問をした。
「俺か? 受けようと思ってた授業が休講になって。暇だから、コーヒーでも飲もうかと思って」
「授業って? 」
「心理学」
こいつも取っていたようである。
「あれ、烏丸くんと一緒じゃん」
おい、志保。絶対に言うと思っていた上に、絶対に言うなと思っていたセリフである。この次にくるセリフは大体予想がつく。
「ええ! まじで。烏丸も受けてんのあの授業。うわー、助かるはまじで。本当助かる」
何が助かるんだ。そもそも、僕はおまえを助ける気などない。できれば、僕に発見されないままそのままどこかに行って消えて無くなって欲しい。僕は心の中でひたすら願った。
その後、彼は一人で何かに取り憑かれたかのように「助かるわー 」と独り言をつぶやいていた。