わし、天寿を全うする。
魔法、もしくは魔術とよばれるものがある。
魔力を介して、世界に自分の望みを訴えかけ、一時的、あるいは半永久的にその望みを強制的に叶えさせるのだ。
その方法にはいくつか種類があり、それは大きく三つに分類される。
一つは《詠唱》。言葉によって自らの願いを魔力に乗せて世界に訴えかけ、事象を改変する方法である。
これは多くの、魔法に携わる人たちが用いている方法であり、改変する情報量の少ない魔法――つまり、比較的魔力を要しない魔法を発動させるには、とても一般的な方法である。
次に《儀式》。神殿と呼ばれる場所にて、儀式行為によって自らの願いを魔力に込めて世界に訴えかけ、事象を改変する。
大掛かりなセットが必要な上、それを発動させるのに専用の部屋(これを神殿という)を用意しなければならないが、その分複雑で、かつ改変する情報量が多い魔法――即ち要求される魔力量が多い魔法を発動するのに適している。
最後が《刻印》。物に願いを刻むことで、いつでも魔力を流すという行為のみによって魔法的効果を得られる方法だ。
《詠唱》と《儀式》を足してニで割ったようなもので、これを刻まれたものを魔道具(魔具とも)と呼ぶ。
比較的最近発見された近代魔術のひとつである。
さて。
ここに一人の老人がいる。
名はヴィルヘルム・フォン・バッティスタ。
《刻印》の魔術を発明、完成させたことにより、今世紀最大の魔術師となった大賢者であり、大魔法帝国の二つ名を持つアンドゥナーツァ帝国の宮廷魔術師――だった人間である。
だった、と言うからにはもう既に宮廷魔術師という肩書は無く、今では大都市から離れた、鬱蒼とした森の中――通称、魔の森に暮らす隠者だからだ。
彼はここで、優雅に余生を満喫しているところである。
朝日の出と共に起床し、自家製のパンを自家製のジャムで頂く。
たまにはベーコンや卵を焼いたり、ポーチドエッグにしてみたり、和食を食べたりするが、大体は決まって朝はジャムトーストと牛乳である。
朝食が終われば健康のためにといつも木刀を片手に庭で剣の稽古をし、魔法の研究に没頭し、気がつけば昼食を忘れていることに気が付き、気づいた頃には日は暮れている。
正に、彼が理想とした日常である。
森の奥で暮らしていて困った事はない。
全ては宮廷魔術師時代に作成した、人工精霊を導入した魔道具が、全て管理してくれている。
例えば、食料の生産から部屋の掃除、洋服の洗濯、食器洗いその他諸々。
今では料理をすることは一つの楽しみでもあるためか、朝食だけは自分で作っている。
そんな生活である。
彼は、ずっとこんな生活が続けばいいと思っていた。
ここは彼だけの楽園である。
何者にも土足で踏み入らせはしないし、穢されることもない。
彼が求め続け、ようやく手に入った聖域だった。
――だがしかし、それを人間の余生で堪能するには、いささか時間が足りなさ過ぎた。
やがて彼は老衰し、誰にも見つからない、誰も踏み込むことのない魔の森の奥地にて朽ちていく事になるのだった。
さしもの大賢者とまで歌われた帝国の宮廷魔術師であるヴィルヘルムも、時という強大な流れには勝つことができなかったのである。
こうして、彼は生涯一人の弟子も取ることなく、魔の森の奥で朽ち果ててしまうのだった。