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幸福の種

作者: にゆんとや



 朝起きたら、四葉のクローバーが仁王立ちをしていた。

その茎は三つに別れている。中心の茎につながっている根は土が細々と付着していて、多少不格好なものの、きちんと二股だ。残り二つの茎はというと、腕を組んでいた。腕と呼ぶには少々細すぎるようだが。

とにかく、後ろの時計が霞んでしまう程の見事な仁王立ちだ。

「やぁ、おはよう。」

私が起きたのを確認したのか、そいつは突然喋り始めた。思っていたより2オクターブは低い声だ。葉にある模様が口のように動いている。目はあるのかと思ったが見当たらなかった。

「挨拶は返すものだよ。それと、もう少し驚かれるかと思ったのだがね、今はこちらが少し驚いているよ。」

「いや、すっごく驚いてる。そんなに模様が器用に動くんだね。」

 実のところ海外アニメーションのワンカットの様なこの状況に驚いていないわけではない。人間驚きにも限界がある。私は限界まで行くと夢見心地というか、現実と出来事を切り離して冷静になるタイプの人間だったようだ。

「まぁいいさ。僕がこうしてわざわざ人間である君に話しかけたのは、君がボックルの僕を救ってくれたからだ。」

「ボックル?」

目をこすりながら聞きなれない単語に耳を傾げる。

 夢見心地の私をおいてそのボックルという生物は器用に模様を動かし続ける。うねるように動く模様は少々不気味だ。

「ボックルは恩を受けると恩を与える存在。たとえどんな時でもそういう存在。そして特に僕は特別でね、なんと四葉だ。君には幸福を咲かせることを約束しよう。」

 ボックルは自分の葉っぱをその腕で引っ張り、その、大きく艶のある四葉をアピールしながらそう言う。

私は起き上がった。まだ温もり残る布団が肩から離れるのを少し惜しく思いつつも、乱れた土だけの拳大の小さい植木鉢を指刺す。

「その幸運ってのも気にはなるけど、恩ってそれの事?」

 昨日、四葉のクローバーはアスファルトにはみ出ていた。童心から手に取ったところ、根っこごと綺麗にとれたものだから、植えてみたのだ。土は父親がなぜか袋に詰めていたものを使い、植木鉢は母親が飽きた家庭菜園の植木鉢を引っ張り出してきた。すると女子の部屋とは思えない程殺風景なこの部屋が少しそれっぽくなったので、それなりに気に入ってはいたのだ。

「素晴らしい住み家だ。特に土がいい。そう、あのような場所から救ってくれたこと、感謝するよ。」

 そういいながらボックルは根を器用に動かし、カサカサ音を立てながら植木鉢に腕をかけ、飛び乗るように移った。そして自分の足に土をかけ、それこそ植物のように佇み始めた。満足そうに見えなくもない表情だ。模様がふやけている。

「ああ、土。いい土なのね、それ。」

そういえば甲子園の土とかなんとか言っていた気がする。そんな私を尻目に模様がついに綿菓子のようになったボックルは続けた。

「そして幸運が訪れる。僕が来たということは、そういうことだ。今日を楽しむといい。」

ボックルの腕が窓の日差しに向けられる。

 そこでやっと、私は後ろの時計に目をやった。時刻は8時を優に超えており、このままのんびり会話を楽しんでいたら遅刻は確定だ。

「やばっ。ごめんなさい。もう行かなきゃ」

「行ってらっしゃい」

これでも現役女子高生なのだから学校に行かなくては。幸い目は覚めている。さっさと着替えを済ませ、髪を少しドライヤーで整える。制服はこういう時に着替えが早くて助かる。朝食を食べている時間はなく、急いで家を出た。

家を出る瞬間、窓越しにボックルの細い腕がこちらを振っているのが見えた。

小さくて、かわいいと思った。


 結論から言うと、ボックルの言っていたことは本当の事であった。

いつも校門にいる生活指導の教師が今日はいない。異変を感じつつも、ともかく私は校門に先生がいない幸運を噛み締めた。

幸運。ボックルが言っていたことが私の頭をふっと掠めた。

それにしても、急いで走ったのは無駄足だったか。肌に少し張り付くようになってしまった制服を疎ましく思いながらも下駄箱の蓋をあける。


その時、いつもの白い上履きとは違う、見慣れない―いや、これも白いのだが。とにかく長方形の手紙があった。封にはよくあるクローバーの、簡素なシールが貼られていた。下駄箱に入っていたということはラブレターだろうか。貰ったのが初めてという訳ではないので、なんとなくそう思ってしまう。しかしこの状況では反応するにしきれない。右手に持ったバッグにそれとなくしまい、教室に入る。


入った瞬間、何かみんなの視線を感じる。そんなに私は遅かっただろうか。席に着いた時、理由に気付いた。またまた、教師がいない。成程、それは教室にだれか入ってきたら見るだろう。よく見たら携帯をいじっている生徒が結構いた。席にも着いたところで、私は少々乱れた髪をまとめようと右手にはめておいたヘアゴムを使いながら隣の席の男子に何があったのかを聞いてみた。

「なんか、庭田のやつ職員会議だってさ。他の教員も。いなかっただろGK。」

はにかみながら男子はそう話した。

後から聞いた話だと今日だけ遅刻し放題だったようだ。

GKというのは校門を守っているゴリラという意味で、ゴリラキーパーの略らしい。たしかに、そういう外見をしているような気もする。私が入学した時にはもうそう呼ばれていた。よくある継承された敬称という訳だ。

「そういえばいなかった。職員会議か。授業休みになればいいね。」

実際のところ、あまり言いにくいがお腹がすいていた。朝食は絶対食べなければこうなってしまうのだ。だから私はなるべく欠かさないようにしていたのだが、なにぶんあの朝だ。喋るクローバーをおいて食べられるはずも無いだろう。

 その時、教室のドアが開けられる音がした。私もその方向を見る。すると、担任ではなく副担任が入ってきてみんなの視線が集まる中、口を開いた。

「緊急職員会議が長引くので午前の授業はお休みになります。」

それだけ言うと副担任は帰っていった。

歓声が起こったのは言うまでもなかった。


私は学食で食べ損ねた朝食を食べていた。みんな昼のパンを確保したいのかカツサンドを求めて列を作っている。しかし私は手堅いサンドイッチを選んでいるため、こうして優雅に食べているわけだ。

食べながら、考える。食べたかった朝食を食べれている。それも落ち着いた環境で。これも、あのボックルの幸運なのか。運には相対性があるという話はよく聞く。これで私は明日不幸になったりしないだろうか。いや、人助けというかボックル助けをしたのだ。不幸が来ることはあるまい。

「よう、隣いい?コーヒー買ってきた。これ驕り。」

突然、先程の男子がそういって隣に座る。そういえば飲み物を買っていなかった。コーヒーは私の好きな微糖だった。

「お、微糖とはわかってるねぇ。」

「ああ、好きなんだ。お前も微糖派か。」

お礼を言わず茶化す私と、こちらをチラチラ見ながらなにか言いたさげな男子君。

「先生たちの職員会議って何だろうな。」

「さぁね、校長がヅラってことのカミングアウトでもしてんじゃないの?」

「ははは、それは確かに会議モンだな……。」

「…」

「って…マジ?」

「で、何か用?」

衝撃の事実無根に驚いているところ悪いが、真意は別にあるような気がしたので、私はそう言って缶コーヒーを開け乾いた音を出しながら気だるげに構えた。

一瞬たじろいだ男子君も自分の分のジュースを開ける。そして思い切った表情でこう言った。

「お前手紙受け取らなかったか?」

ああ。そのことか。かばんは教室に置きっぱなしだったな。

「ああ、うん。受け取ったというか下駄箱にあったよ」

「下駄箱?まぁいいや、それで、読んだか?」

「いや、まだ。なにあれ、あんたが書いたやつの?」

「まぁそう言えばそうなんだけど…」

言い淀むようにしてその男子は目線を左上に追いやった。しばらく生温い時が流れる。

そうしているうちにサンドイッチは食べ終わってしまった。

「ごちそうさま。コーヒー、奢ってくれてありがとね。手紙は後で読んどく。」

男子はまだ何か言いたさげだったが、そう言って私は逃げるようにして颯爽と学食を去っていった。


自分で言うのは憚られるが、私は他人から見て顔が整っているらしい。だからというか、上記の通りそもそも私がそういった手紙を貰うことはこれが初めてではない。たまにあるのだ。嬉しくないわけではない。しかしそういう場合自分をあまり知らない人が多く、告白されているとき目の前の男が急に薄っぺらく見えて、皮に思えてくるのだ。そして私がバサバサ断るものだから、男子からは高根の花、女子からは半分妬みの感情が生まれ、友達は少なかった。しかし元々友達が特に欲しいわけではないので、「あ、ごめん。今日はピアノのレッスンがあって…」と、行きたくもない遊びを断る手間が省けたとも言うべきだろうか。

「それにしても、また貰ってしまった。」

手紙を片手にひらひらさせながらそう呟く。最近は減ったと思ったのだが。これまた貰った、残り少ない缶コーヒーを口にしながら人目の付かない屋上前の階段で一人嘆く。屋上に繋がる窓に映る自分の顔が憂鬱になっているのが見える。今日は幸運の日ではなかったのか、少しあのボックルに苦言を言いたくなってきたところで、手紙の封に手をかけた


 そして、それは突然だった。

「おい、なぜおまえがそれを持っている。」

階段の下からドスの聞いた声が響いた。

「あなたはだれ?」

その方向を見ると、薄汚れた外套を身にまとった老け顔の男がそこにいた。しかしその目は思わずこちらがあまりに目を背けたくなるようなギラギラしたものであった。。

「そんなことはどうでもいい、はやくそれを寄越せ。叫ぶなよ。」

男は階段を上ってくる。ゆっくり、それでも確実に迫ってきている危険。穏やかにいかないことは確実なようだ。

「なんで?こんなものあなたにとても必要とは思えないけど。」

話を長引かせようと後ずさりしながらも必死に疑問をぶつけてみる。

「それは俺が決めることだ。」

男との距離がもう、階段一段だった。訳が分からないまま恐怖に押しつぶされそうになる。強気な姿勢、恐怖を隠すためのポーズ、そういったものが決壊しそうだ。

「先生、こっちです!」

また突然に、声が聞こえた。ぞろぞろと、複数の足音が狭い階段前踊り場に集まっていっていく。男は舌打ちしつつ、私の首に腕を回しジャックナイフを突きつけた。

「逃げ切れないか、まぁいい。お前ら!この子の顔に傷をつけられたくなかったら何もせずそこをどけ!」

首にナイフが張り付く。金属が首筋につく感覚は、あまりに異質で、これが現実だと足首をつかまれているようだった。恐怖で鼻筋から目にかけて寒気が広がり、目眩を起こしそうになる。

恐怖は、決壊していた。

「た…すけて」

か細い声が響いた。その時、先生を連れてきた―あの男子が叫んだ。

「後ろを見ろ!」

「なんだと?」

男が僅かに後ろを向いたその瞬間。屋上に通じる窓がいくつかの黒い塊によって弾き飛ばされた。散らばるガラス片が男の目に入る。大の大人の絶叫が耳元で炸裂した。

「目が、いでぇ!…痛ぇ!」

私からナイフが離れていく。

男はふらつきながら、なんと私が飲み終えた缶コーヒーに躓き、そのまま階段を転げ落ちた。ついでに、放り投げられたナイフは校長の頭すれすれに掠り、ヅラだけがその餌食となった。私は恐怖から解放された安心感で意識が薄れる中、男子がこちらに走ってくるのと男が階段下でGKに抑えつられているのが見えた気がした。


目覚めたときに、大体の説明は受けた。

あの男は今朝高額の小切手を盗んでこの学校に逃げ込んだ後、確保された不審者らしい。窃盗の証拠である肝心の小切手が見つからず困っていたら男が脱走し、私が会ってしまったらしい。手紙かと思っていたのは、小切手だった。適当に選んだロッカーに隠していたものを、私が取ってしまい、たまたま見つかってしまった。助かったのは幸運だったという。。


そして今私は例の男子と会話をしていた。

「あそこでカラスが窓にぶつかってくるなんて思わなかったぜ」

黒い塊はカラスだった。鳥が窓にぶつかる現象はなくはないが、あのタイミングで起きたのは奇跡だった。

午後三時の陽炎が保健室全体に広がる中、私は口を開いた。

「助けてくれて、ありがと。」

今度は、きちんとお礼を言ってみようと思った。

「なんだかんだまだ言いたいことあったし、追いかけてたんだよ。そしたら明らか不審者につけられてたから、先生呼んだって訳。それにしても…お前が礼言うなんてな。」

「失礼な」

「いや、ほんとにお前はそんな感じだって。でも、やっぱチキンだったかな。先生呼ぶよりそこはその場で追いかけたほうが…」

「いや、それは普通に倒されるでしょ。文系男子君」

「やっぱりお前のほうが失礼だな。」

「ふっ」

「ふっ」

気付けば、二人の間には、談笑が花開いていた。


私は気になっていた題を切り出した。

「それで、手紙ってなんのことだったの。まさか、小切手の事じゃないでしょ。」

少しの間の後、男子の目が真剣になる。

「手紙ってのはこれなんだ。」

差し出した手には、封筒があった。封筒だが小切手が入っていた封筒とは、違う、五百円玉が四つ入るだろうかといった感じの小さいものだった。

「友達に渡してもらえるよう頼んだんだけど、今朝ごたごたしてて渡せなかったみたいなんだ。」

「なんて書いてあるの?」

「あー…その…」

口ごもってしまった。陽炎が夕日に変わりつつあその空間にはまた独特の生ぬるさがあったが、不思議と心地よかった。

心地よい沈黙が続く中、男子は口を開く。

「付き合って、欲しい。」

間髪入れず沈黙が続く。今度は私が口ごもる番だった。


言われてしまった。予想通りを。しかし私の心は予想とは違い、甘い感情が脳に流れ込む感覚を刻んでいた。

この人は、私を知っていて、中身がある。今までの様な適当な返事はできない。真剣に、向き合わなければいけない。


そして私も女子なわけで、危機的状況から救ってくれた男子にそれなりの感情が湧くのはやぶさかではなかった。

しかし、

「ごめんなさい」

だからこそ、断らなければならないと思った。



家に帰った私は、乱暴にかばんを置いた。ベッドで跳ねるかばんと、若干巻き起こるほこり。荒々しく私は植木鉢を掴んだ。はずみで時計が落ちた。針が地面に接し秒針は同じところをピクピク震わせて固まっている。いつも鳴っている時計の音がなくなり、部屋は妙に静まり帰った。

「幸福ってのは人の心を弄ぶことなの?随分といい趣味してるじゃない。」

一本の茎が三つに分かれ始め、また腕を組み始めた。

「君に何が起きたのかはわからないが、僕は確かに幸福の花を開花させた。」

落ち着かせるようにボックルは言う。

「それは宝くじが当たるとかってことじゃないの?」

私は植木鉢を置いた。少し、感情的になりすぎた気がしたからだ。

「本質的には、違うね」

「どういうことなの?」

「まぁ、待ってくれ、その前に君の話を聞かせてくれないかい。今日はどんなことがあったのか。」

私は今日あった出来事をかいつまんで話した。強盗から助かったことも、手紙の件も。

ボックルは成程とだけ呟いた。

「つまり私が言いたいのは人の気持ちは幸運だけでは推し量れない。ってこと。今日のあからさまな運命操作に人の気持ちを巻きこまないで。なんてことをしてくれたの。」


ボックルはまた、今度は二回成程と呟いた後、こう続けた。

「幸福の花ってのは、種がないと咲かないんだ。種、種さ。」

「種?」

先程の発言もやはり感情的になってしまったと自分を見返しながらも、ボックルの言葉を聞こうと思った。

「幸福の種は日常に潜んでいる。君の場合、通学路や学校、この家だってそうさ。でもなかなかあるもんじゃない。潜在的にあることは確かだが、種と言うには小さすぎるものだってある。宝くじなんかまさにそれさ。神に祈ったり、何らかのゲン担ぎにとかってやって、種を創っていくのは君も聞いたことぐらいはあるんじゃないかい。」

「僕にできることはその種を発芽させそれを見守ることのみさ。」

「だとしたら私は、最初からそういう可能性はあったてこと…?」

「そうだね、だが、ほとんどの場合、数も少ないうえに気付かず、枯れてしまうんだ。」

つまり、今日あったことは、人為的ではなくて…それで…

「君は魅力がある人だ。それだけ良いことが起きたということは

それだけ君が幸福の種を育んでいたってこと。だからおめでとう。

幸福をつかんでくれたようで僕はうれしいよ。本当に、うれしい。

すべての事には理由が、タネがある。僕は恩を返せたかな?それじゃあ、お暇させてもらうよ。バイバイ」

花火がしぼむように模様が、茎が収束していく。そこには、たしかに四葉のクローバーが佇んでいた。

女子高生はふと、手紙を開いた。そこには「屋上で待ってます」とだけ、少々不格好だが考え直した後のある簡素な言葉だけがあった。

初恋は、きちんと人の力で紡がれていた。

女子高生にはそれだけで充分であった。「明日は少し早く学校に行き、今度はちゃんと話をしよう。」そう思い、静かに一日を終えた。

時計の針はもう、真っすぐ時を刻んでいた。


面白かったなら幸いです。

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