第四話 魔神級の手がかり
しばらくして落ち着くと、レベッカはぽつりぽつりと事情を話し始めた。
「一ヶ月ほど前だったと思う。その日はいつものようにお父さんは離れにこもっていて、私は母屋で夕食を作っていたの。お父さんは、食事の時間になれば普段は呼ばなくてもやってくるのに、その日はいつまで待ってても来なくって……心配になって。部屋まで呼びに行くことにしたの」
「心配に?」
気になったのかスコットが訊ねる。レベッカは頷くと、
「うん……数日前から、お父さんのことを嗅ぎまわっている人がいたから」
そうしてレベッカは、父親の周囲を嗅ぎまわっていた男たちのことを話した。
それら特徴を、アダルは部屋の端で聞きながら記憶に焼き付けておいた。
男たちについて話し終わると、レベッカは話の続きを始めた。
「それで、ロウソク持って離れまで言って、部屋の前まで行ったの。今話した人たちのことを考えながら……確か、誰かに見られているような気がしたんだったと思う。それで、ドアの前まで行ったら――」
「中から言い争う声が聞こえたんだね」
レベッカのセリフの後を、割りこむようにスコットが継いで言った。
レベッカは彼に向けて頷くと、
「お父さんに呼びかけながら、私はすぐに部屋のドアを開けたわ。そしたら、部屋中が真っ白い炎に覆われていて……部屋もほとんど隠れていて、お父さんもちらとしか見れなかったの。それで、お父さんは私に気づいたみたいで、娘には手を出すなとか、私は大丈夫だとか、いろいろ言っていて……」
父がさらわれる時の光景を思い出したのか、レベッカは段々と声を湿らせていった。手の甲で涙を拭いながら言う。
「ご、ごめんなさい。ちゃんと、話さないといけないのに……」
「ゆっくりで大丈夫だよ」
「ありがとう……うん。もういいわ」レベッカは落ち着くと、「それから、炎がひときわ大きく燃え上がって、部屋の中が見えなくなったわ。あっ、と思う間にすぐに収まって、部屋の中全部が見えるようになったわ。そしたら……そしたら、お父さんはもう――」
彼女は最後までは口にしなかった。
それからレベッカは警備兵に通報したが、部屋に火がついていたような痕跡がないこと、暴れた痕跡すら無いこと、以上二つの理由からまともに取り合ってもらえなかったらしい。
――警備兵は頼りにならない。
そう思ったレベッカは、自分で探すことを決めたのだという。父親をさらった何者かと戦う力――キャストを手に入れて。
話を聞いて、スコットはなるほどと得心した。
「そうか。それでケネコを盗んだんだね。あの子はいつも外にでているから」
「うん。宿屋なら比較的多くのキャスターが出入りするから。そこで張っていたら、あなたたちを見かけて……。あの猫ちゃんには悪いことしちゃったわ。驚かせちゃっただろうし」
落ち込むレベッカにスコットがフォローを入れた。
「そのケネコの飼い主がいいと言っているんだから、気にしなくてもいいよ。聞いた話じゃ、ケネコは君に絡んでたゴロツキに飛び掛かったらしいね」
「君も怒っていないだろう?」と、スコットははケネコに訊ねる。「にゃあ!」と彼女は返事代わりに鳴いた。
レベッカは寂しそうな笑みを浮かべると、「ごめんね」とケネコに謝った。
「あなたもごめんなさい。さっきは酷いことを――」
次に彼女はアダルに向き直って、真摯に、深々と頭を下げた。
「…………」
アダルは黙っていた。気に入らない、という気持ちを先程から周囲にばらまいている。謝られたくらいで許したりはしないぞ、と。なにせ彼は、濡れ衣を着せられ警備兵に突出されたのだ。それも痴漢という甚だ不名誉な罪状で。
しかし、レベッカも強情で、頭を下げたっきり動かなかった。二人の態度が空気に気まずさを汚染していく。
やがて根負けして、アダルは沈黙を破った。苛立たしげに頭をかきむしると、
「いいよもう。必死だったんだろ」
レベッカの謝罪を、アダルは鬱陶しそうに払いのけた。
それを見て、まるで仲裁の成功に満足する教師のように、スコットは聖職者じみた笑みをう浮かべた。
「それじゃあ、一つ。僕の方から質問ね。お父さんをさらっていった連中に心当たりがあるかい? 話を聞く限り、お金や物取りじゃあ無いね。さすがに警備兵も動いているだろうし、だとしたら怨恨ってのが一番大きいけど――」
「怨恨って、そんな……」
耳慣れないその言葉に、レベッカは絶句したようだった。
「それなんだが」と、アダルが口を挟む。「あんたの親父さん、キャスターだろう」
「え?」
レベッカがアダルを見て固まった。
「いや、魂の形がどうもな。親の背を見て子が育つ、ってんでもないが、親子ってのはやっぱり形が似てくるんだよ。その魂の形が、キャスター向きだったんだ」
「キャスター向きって、あなた、魂の形がわかるの?」
それともキャスターはみんなわかるものなの? と、レベッカはスコットに尋ねた。
しかしスコットは首を横に振り、
「いや、少なくとも僕はわからないね」
「というか、人間は普通わからないだろう」あっけらかんとした様子で、アダル。「キャストに聞けばわかるが、あいつらは喋れないからな。俺は特別だからわかるが」
「特別って……」
胡乱げな視線をレベッカはアダルに向けた。
「嘘じゃない。今日あんたを掴まえたのだって、ケネコの気配をたどったから出来たんだ。キャストとか魂とか、そこら辺を感じ取る感覚が俺にはあるんだ」
なぜかは聞くなよ? 俺だってわからないんだから、とぶっきらぼうにアダルが言った。
レベッカは驚きを隠せないようだった。そうして魂が見えるわけでもないだろうが、彼女は自分の胸元を見下ろした。困惑しきりの表情は晴れそうもない。
しばらくそうした後、彼女は顔を上げて、
「怨恨ではないと思うけど……」自信はないが、と言った体で。「お父さんはキャストの研究をしていたの。だから、私がわからなかっただけでなにか研究の成果が盗まれたのかも知れないし、研究者のお父さん自身を――」
「研究者、だって――!」
食い気味に、アダル。スコットと顔を見あわした。それから、
「悪い、続けてくれ」
「……うん。それで、お父さんをさらって、研究をさせようとしているんじゃないか、って……」
レベッカの考えはもっともだ、とアダルは思った。
けれどそれ以上に、彼は彼女の父親が研究者であるという事実にひっかかっていた。
昼間――まさに今日の昼間――『レグナルドに住む研究者のもとにいる魔神級』という情報をもとに、彼はワイス博士の下を訪れ、挙句空振りに終わったのだった。そこに来て、キャスト研究者がさらわれたというレベッカの話……。
運命など、数年前の自分では呪う対象でしかなかったが――。
アダルはその数奇さに嗤ってしまいそうだった。
「スコット」
アダルの呼びかけに、スコットは力強く頷いた。互いの考えは同じだった。
スコットはレベッカに向き直って、かしこまって言う。
「レベッカ。改めて正式に。お父さんの捜索の依頼、確かに受けさせてもらうよ。
彼女の家の下見を兼ねてアダルがレベッカを送り、それから宿に帰ってくると、スコットは神妙な顔をして椅子に座っていた。アダルの帰宅に気づいた彼は、開口一番こう言った。
「ねぇアダル。君はこの件どう思うかな?」
「あまり気が進まないな」
「どうして?」
「あの女は俺を痴漢扱いして、挙句警備兵につきだしたんだぜ? 気が進むほうがおかしいだろう」
「あはは、まあそうだよね」
アダルの返答にそう頓着せずに、スコットは軽く笑った。
ごまかすようにアダルはそっぽを向くと、
「いや、それはもういいんだが……やっぱり魔神級が絡んでるってのがな。話のとおりなら、親父さんをさらった奴らが持っていることになるが……」
「確かに魔神級と戦うのはねぇ……。下手な人に使われるならともかく、レベッカの話ではそれなりっぽかったし」
少なくとも人さらいには慣れている、荒事慣れしてる、とスコットは小さな声で言った。
魔神級とはその名の通り伝説上の存在だ。存在していることは確かだし、力も恐ろしく強大なのだが、そのものを見た人間はあまりにも少ない。
仮にこの事件、魔神級が関わっているならば、願ってもないチャンスだ。何としてでも手に入れてやりたい。
――だが。
(まだあの子の父親が研究者だってことくらいしかわからんか……)
焦ってはいけない。分かってはいるものの、アダルはその焦燥感をなかなか消すことが出来なかった。