第三話 英雄痴漢男
「英雄の条件とはなんだろうね、アダル」
「…………」
「僕は思うけれど、人々を驚かせることじゃないかな。軍事的、政治的天才でも、芸術家でも文筆家でも。歴史上の英雄は皆誰かを驚かせている。『まさかそんなことが!』って叫びたくなるような業績を上げている」
「…………」
「その観点からすると……僕は時々、君って英雄なんじゃないか、って思うよ。君には驚かされっぱなしさ」
「遠回しじゃなく、直接的に言ってくれ……」
「どうして捕まえに行った君が捕まえられているんだい? もうびっくりしちゃったよ」
「ううううう……」
自分でそういったくせに、両手のひらに顔をうずめてアダルはうめいた。
そこは警備兵詰め所の地下にある留置所だった。壁に開けられたくぼみにはロウソクが置かれ、その空間をうっすらと照らしていた。入り口から突き当りまで、一本の廊下が真っすぐ伸びている。その両側の一方が壁、もう一方には牢屋が三つ並んでいる。アダルが入れられていたのはその一番奥だ。
鉄格子を挟んで、アダルの対面にスコットは立っていた。逆光となっていて表情はよく見えない。が、おそらく笑っているのだろう。アダルは彼の、いつも通りの上品で人を苛つかせる笑顔を思い浮かべる。
スコットが身動ぎした。たぶん肩をすくめたのだ。にゃあ、というケネコの声がした。あの女からスコットが取り返したのだろう。
「びっくりしたよ。夕食後のお茶をしながら君の帰りを待っていたら、代わりに警備兵が僕を訪ねてくるんだもの」
「そいつは悪かったな。手間を掛けさせて」
「別にいいけどさ。これはこれで面白いし。痴漢だっけ? 君以外とスキモノなんだね」
「おい!」
「冗談さ。冗談。ホントだって」
「お前のために泥棒を追っかけて、そのせいで豚箱にまで入れられた相棒にいうことはないのか?」
「大丈夫。君ならきっと更正できるよ」
「今何言ったかちゃんと覚えてろよ。ここを出られたらマジでアレしてアレするからな」
「夫婦じゃないんだから、アレばっかじゃわかんないよ」
できうる限り険悪な表情をして、アダルはスコットを睨みつけた。
彼の邪悪な視線を受けても、相棒には少しも怖気づいた様子がない。表情が影に塗りつぶされているから……ではない。周りの人間などどうともかんがえていないのだ。
と、スコットは気持ち屈むと小さな声でアダルに告げた。
「更正の話だけど……君はすぐに出られるよ。今は上で手続きをしている。すぐに鍵を開けてくれるさ」
「……名前を使ったな?」
「わかってないね、権力っていうのは使うためにあるのさ」
ワンパク坊主が、自慢のいたずらについて話すような口調だった。
「警察っていうのは権力だよ。抗するにはもっと大きな権力をぶつけてやるしか無い。暴力じゃあ駄目だし、財力でも効果はない……と思いたいね。力には同種の力をぶつけるのがベストだ」
「反乱軍みたいな奴らは意味のないことをしていると?」
「だから言ったじゃないか。ベストだって。国の現状を変えたいのなら、その枠組の中で権力を手にするのが一番だ。ただそれはできないから、彼らは剣をとって戦うんだよ。……ってこんな話はどうでもいいんだよ」
と、ちょうどそのころ、地上から留置所へと降りてくる足音が聞こえてきた。音の数からして、人数は二人。スコットとアダルが階段に注目する。
しばらくして二人の警備兵が姿を表した。中年と若者の二人だ。威厳を口ひげに湛えた中年の後ろを、びくびくと、申し訳無さそうに若者が従う。
アダルは威嚇するように、その若者を睨みつけながら言った。
「俺をここにぶち込んだやつだ」
二人の警備兵はスコットの目の前に停止した。中年の方が深々と頭を下げた。
「このたびは、うちの若いものがご迷惑をお掛けしました。ヒルブルグ様の従者の方とは知らず……。謝罪のしようがありません」
「申し訳ありませんでした」
中年の後に続いて若い方も頭を下げた。身体が震えていてその様もぎこちない。怖がっているのだろう、とアダルは彼の心中を想像した。目の前に立つ子供のことを。
スコット・スミス・ヒルブルグ。
それは、ヒルブルグ侯爵家の末子の名前だった。代々優秀なキャスターを生み出し、王国軍の将官、王国警備局長官、国王親衛隊等々、キャストの力で王国に尽くしてきた一族の名だ。
アダルの相棒は、ヒルブルグ侯爵家の末子、正真正銘の貴族なのだ。
末子であるスコットには魔神級を探す旅に出るだけの自由が与えられていた。彼の兄たちだけで、ヒルブルグ侯爵家が王宮で任されるポストは埋められてしまったからだ。
……で、あるが。
頭を下げる警備兵たちに――いつの間に出したのか――ヒルブルグの紋章を掘った銀製のネックレスをぶらぶらと見せつけているスコットの様子を見て、アダルは彼に自由が与えられた本当の理由を垣間見たような気がした。確かにまだ子供だが、やっていることが子供っぽすぎる。
健気なことに、警備兵たちはスコットの態度には何も言わなかった。それどころか、中年の方は若い方の頭を鷲掴みにすると、「この者は私が責任をもって処分いたします。ですから――」
「処分なんてとんでもない! 彼は警備兵の任に忠実だっただけですよ。ボーナスを上げてください。それともうちから出しましょうか?」
「いえ、そんな!」
「別に怒ってないというか、僕としてはいろいろからかえられて満足なんだけどね。それより――」
スコットが話題を変えようとした、ちょうどその時。
「離してよ! 私は何も悪くないったら!」
女の子の叫び声が聞こえて、それから何人かの足音がした。
階段からだ。二人の警備兵が女の子を連れてくる。それは先ほどケネコを攫い、アダルを痴漢扱いして人騒ぎした女だった。
「さっきは私の言葉を信じてあの男を掴まえたくせに、貴族様が名乗っただけで手のひら返すんだから! 無能よ、無能! 警備兵なんてみんな無能よ! 無能がバレるのが怖かったから、お父さんも助けなかったんでしょ!」
留置所に連れてこられる間、彼女の身体を横から固める警備兵たちに女の子は罵倒することしきりだった。
その間に牢屋の鍵が開けられ、アダルは牢から出された。
入れ替わるように、アダルのはいっていた牢に女の子が入れられそうになる。せっかくなので、痴漢扱いされた仕返しに、アダルはその女の子を睨みつけてやった。馬鹿にしたように鼻を鳴らす。それに気づいた女の子がなにか言い返そうとして、そばにいる警備兵を見て止めた。
勝ち誇った気分でアダルが舌を出すと、スコットが警備兵に声をかけた。
「ストップ! その子は牢にいれないでください」
警備兵が首を傾げる。
「? ……しかし――」
「僕がお願いしたのは彼の釈放であって、その子の逮捕ではありませんよ」
「な……!?」
アダルは絶句して相棒を見つめ、女の子は不信感もあらわにスコットをにらみ、警備兵たちは顔を見合わせた。
「実は、彼と彼女は友人同士でしてね。よく周りを大げさに巻き込んだ喧嘩を繰り広げるんです。前々からやめろと言ってるんですけどね、迷惑をかけてしまってすいません。……他の言い訳も聞きたいですか?」
そこまで一気に喋ると、スコットは「さあ、君たちも謝って、ね?」とアダルと女の子にあからさまな合図を送った。
それにしたがって二人が不承不承に謝罪をした。
警備兵たちは、どうしていいかわからないように、皆がその場に立ち尽くしていた。やがて、退屈したスコットが紋章入りのネックレスを振り回して遊び始めると、彼らは留置所から出て行った。
薄暗い地下牢に、三人だけが残される。
はじめに口を開いたのは女の子だった。
「……助けてなんて言ってないわよ」
「連れないねえ、レベッカ」
警備兵にでも効いたのか、スコットは泥棒女の名前を呼んでくつくつ、と愉快そうに笑った。
アダルが彼に詰め寄る。
「なぜこの女を助けたりするんだ? こいつはケネコをさらったんだぞ」
「それは服さ」
「はあ?」
簡潔で意味の取れない答えに、アダルは眉尻を上げる。
スコットが答えを補足する。
「だから、この子を助けた理由さ」彼はレベッカを指し示した。「あのとき、この子――レベッカが酒場から出るときにスカートだけちらと見えてね。一目見ていい生地を使っているとわかった。綺麗だったし、キャストを売っぱらって金を作る必要はいかにもなさそうだった。おそらくプロじゃない。だから君に任せたんだよ」
「めんどかっただけだろ」
「えへへ、照れるなあ」
「照れるな」
「はい」
真顔になってスコットは返事をした。続ける。
「それにさ、そもそもケネコを盗んだところからしてプロじゃありえないんだよ。もし僕がキャスト泥棒をやるなら、宿り器に入っているキャストを盗む。解放されない限り暴れられる心配がないからね。だってのに、あの時ケネコは外にいた……まあ、ケネコはいつでも出ているんだけどさ……プロが盗むとは思えないよ」
そうだろう? とでもいうように、スコットはレベッカに視線を送った。
レベッカはつれない。彼女はただ黙ったまま、不機嫌そうにスコットを見返している。
「…………」
スコットの説明を聞いて、確かにその通りだとアダルは思った。ゴロツキに絡まれておろおろしていた彼女の様子は、どう見ても普通のお嬢さんだった。それも結構ないいところの。
なら、どうして盗みなど働いたのか? 当然浮かぶ疑問には、スコットがすぐに答えを出した。
「泥棒する目的はなにか? 盗品を売りさばいたあとに残る金銭か、それとも盗品そのものか……さっき言ったとおり、彼女の格好から前者じゃない。だとしたら、泥棒なんてしそうにないお嬢さんが盗んでまでキャストを欲しがる理由はなにか? これは想像だけど、なにか困っているんじゃないかな。つまりは、荒事さ」
彼がそういったあたりで、レベッカは目を見張った。
もう一度、スコットが彼女に視線を送る。彼女はまたしても、彼に反応を返さなかった。けれども、今度のそれは意図的にではない。彼女は反応できなかったのだ。
そんなレベッカを見てスコットは満足そうに一つ頷いた。それから、彼は優しい声色で、「君は……なにかキャストが必要な事に巻き込まれているんだろう? 役所は役に立たず、知り合いにも頼めず。けれどもどうしても解決しなきゃいけないような事に。話してみてくれないかな、ひょっとしたら力になれるかもしれないよ。もちろん……報酬は弾んで欲しいけどね」
君なら多分払えるだろうし、と茶化すように付け足す。
それを聞いて、レベッカはいよいよ顔を上げ、すがるような表情でスコットを見つめた。
「本当に……助けてくれるの?」
「おい、スコット」
諫めるようにアダルが口を挟む。この女のしたことを忘れたのか、と。
しかしスコットはアダルの諫言を手のひらで押さえ、
「もちろん」
と、したり顔で頷いた。
レベッカは、いよいよ目に涙を浮かべ、食いつくように彼に頼んだ。
「お願い……どうかお父さんを……お父さんを助けて!」