第二話 祝杯は盗まれる
刃を抑えた剣に頭を打たれ気絶したマフィアと、マフィアに合成したキャストを流していた博士とを、アダルたちは役所につきだした。ジャルバックを頭領に据える野盗と共謀した罪でだ。事情を聞かれ、わずかばかりの報奨金を受け取り、全てが終わる頃には、あたりは暗くなっていた。
アダルたちは、宿にある酒場で夕食を取ることにした。臨時収入で豪勢にやろうというわけだ。スコットはサイダー、アダルは水割り、そしてケネコにはミルクを注文した。
酒場の主人に適当に料理を頼み、スコットは上機嫌で乾杯の音頭をとった。
「愛と正義と勇気と善と、それからお金の神様に感謝の祈りをこめて! カンパーイ!」
盛り上がるスコットと対照に、アダルは静かなものだった。スコットを無視して水割りをやっている。
その逆に、スコットもアダルを無視をしかえした。反応を気にせず一人でサイダーを掲げると、一息に飲み干して笑みとともに一言。
「ああ! やっぱり一仕事した後の一杯は違うなぁ! 憂いがないっていうのがいいよね。お金が手に入って心配事がパァ!」
パァ! とスコットは両手を広げてみせた。お前の頭がパァなんじゃないか、とアダルは思ったが無視することにした。明後日の方向を向いて水割りを一口。
そんな彼はお構いなしに、スコットは一人で盛り上がる。
「やっぱりね、世の中お金だよ。そりゃお金じゃどうにもならないこともあるけどね、たいていは何とか成るもんさ。だから旅人はお金を稼がなきゃならないのさ。旅にはトラブルがつきものだからね」
そのトラブルをお金で解決するのだ、とスコットは言った。
アダルは、そういうスコットを冷めた目で見つめた。自分がいまいち盛り上がれないのは、彼が言うお金じゃどうにもならないことにあったのだから。すなわち――
「魔神級は金じゃ買えないんだよ……」
悲壮感溢れる声をアダルは出した。彼を気遣ってだろうか。ケネコがミルク皿から顔を上げ一言鳴いた。にゃあ、と。
小さな子供を慰めるように、スコットはアダルの背中を優しく叩いた。
「そう落ち込まなくてもいいじゃないか。ダメなら次があるよ。今回は運がなかったと思ってさ」
「その『今回』を何度やればいいってんだ!」
「ごっどのーず、ってやつだね」まるっきり他人事の体で、スコット。「やっぱり時間はかかるよ。あちらさんも伊達に伝説やってないさ」
「ならボールのあの態度は何なんだよ。毎度毎度、自信を持って紹介してくるくせに当たった試しがねぇ。あのタコ」
今回、レグナルドでの魔神級の情報を寄越した情報屋の顔を思い出して、アダルは不機嫌に罵った。
と、そのとき酒場の主人が注文の皿を持ってきた。スコットはフォークを手にとって、
「やあ、これはタコのフリッターじゃないか! うまそうだね!」
にこにことタコの揚げ物を頬張る相棒を見て、アダルは彼我の温度差を改めて認識した。自分とスコットとでは、必死さの度合いが違う。仕方ないことだ。魔神級は、自分の問題であってスコットの問題ではない。
そこで、アダルはくさくさするのをやめ、なにか注文することにした。水割りを煽り、酒場の主人に声をかけようとする。
ところが逆に、主人の方からアダルに声をかけてきた。
「あんたらはキャスターか?」
「いや、俺は違うが……」
突然話しかけられて面食らいつつも、アダルはなんとか返事をした。
「あ、僕そうだよ」
スコットが小さく手を上げる。それを見て主人は、
「君が連れてるあの猫はキャストだよな。器にも入れずに――」
「そりゃ、入れっぱなしじゃ可哀そうだからね。なるべく出すようにしているんだ」
キャスターは通常、宿り器と呼ばれる住処にキャストを入れて持ち歩くことが多い。これは簡単にいえばかさばるからである。ケネコのような小動物のキャストならまだしも、大型動物のキャストや、昼間やりあった博士のような流体のキャストでは、そうそう出して持ち歩けない。
「それで、どうかしたのかい? 出していちゃまずいことでも?」
「いやなに。最近この街じゃキャストの盗難が頻発していてね。気をつけた方がいい、ってことをね。ちょっとした忠告さ」
「へえ、キャスト泥棒ねえ」主人の言葉に、スコットはあからさまにニヤつきだした。「忠告ありがとう。でも、今度からはそのアドバイスも必要ないかもね。なぜかって? そりゃあ盗人が捕まったからさ。誰に? 誰にって……別に自慢するわけでもないけど、僕にさ!」
誰にも聞かれていないのにそれだけを一方的に喋ると、スコットはコップを頭上に掲げた。「正義の味方に乾杯!」と叫ぶ。飲もうとしたが、コップが空なので新しい一杯を注文した。
しかし主人は注文を受け取らず、
「キャスト泥棒を掴まえたって、あんたが?」
「そうさ」
スコットの話を信じていない様子の主人を、彼は憮然と見返した。
が、主人はスコットの背後を指さし、
「じゃあ……ありゃ俺の見間違いかい?」
主人の人差し指につられ、二人が振り返る。その時ちょうど、見知らぬ女の子に抱えられ、ケネコが酒場から連れだされていくところだった。宿の出入り口でロングのスカートがふわりと舞って、消える。
「もっと早く言え!」
叫ぶと、アダルは立ち上がった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
裏路地を縫うように、レベッカは走っていた。
彼女は胸に、銀色の猫を抱いていた。酒場で旅人から奪った、キャストだ。幻海から力を流し込み、理に外れた術を使う媒介。持ち主に力を与える精霊だ。
その猫の体温はいやに低かった。猫は恒温動物のはずだが、まるで金物でも抱いているようだ。彼女はそのおかしさに、計画の成功を感じ取っていた。
(この子さえ……キャストさえいればお父さんは……!)
ひと月前に姿を消したままの父親の顔を思い浮かべ、レベッカはただ走りつづけた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――ケネコの契約主だというのにあの野郎は全く薄情だ。
路地裏のゴミ箱に躓きそうになりながら、アダルは胸中でぼやいた。
裏路地というものは街の規模が大きくなるほど複雑になるようで、商隊の中継地として栄えたレグナルドでもそれなりだった。キャスト泥棒と自分、地の利は向こうにあるようでなかなか距離を詰めることが出来ない。ケネコの気配を感じることで距離だけは離されないようにしているが……。
「なーにが、『僕は君みたいに体力がないから、まかせた!』だよ。自分のキャストくらい自分で面倒見ろってんだ」
今も酒場に残って食事をとっているであろうスコットを毒づく。普段からそうだが、あの相棒はからだを動かすようなことをしない。今日だって、長剣と化したケネコを振るったのは自分だった。
いっそのこと自分がケネコと契約してやろうか、とすら思う。ああもいい加減なご主人さまより、自分のほうが幸せだろう。そんな、半ば冗談のようなことすら、駆け足ながらに考える。
と。
「止まった、な……。ねぐらにでもついたんだろうか」
子供の駆け足程度で移動していたケネコの気配が停止した。いよいよ泥棒と対峙することを覚悟して、アダルは徐々に距離を詰めていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
常日頃から『良い子』であったことが、まさか裏目に出るなんて!
自分を取り囲むゴロツキ三匹を見上げながら、レベッカは驚愕にうちひしがられた。
彼女が迷い込んだのは、路地裏の、袋小路となった一角だった。ゴロツキのようなやからのたまり場になっていたらしい。非行らしい非行は、今日やってしまったキャスト泥棒が初めてだった彼女は、それとしらず迷い込んでしまったのだった。
彼女を囲むゴロツキたちは、みな似たような格好をしていた。違いといえば顔くらいのものだ。サングラスを掛けた男、スキンヘッドの男、髭面の男の三人だ。
サングラスの男が、それを外しながらレベッカにすごんだ。
「何? 何のよう? こんなとこに」
「あ、えと……」
レベッカはくすんでしまって返事ができない。
それを見て、サングラスは他の二人に尋ねた。
「お前らの知り合いか? なあ?」
「いんや」と髭面。
「かわいいな、この子」とスキンヘッド。
「はぁ?」
「いやかわいいだろ? こんないかにもお嬢さまっつーかっこうしちゃってさー ねえ?」
そのニヤつき顔をスキンヘッドはレベッカによせる。
「ひ……」
スキンヘッドに寄られ、レベッカは短い悲鳴を上げた。
それを聞いて、ゴロツキたちが囃し立てる。
「『ひ……』だってよ。かーわいいー」
「なにが可愛いだよ、お前を怖がってんだよ」
「いやだってかわいいじゃん。こう、猫なんか胸に抱いちゃってさ。胸に……。あの猫ちゃんになりたい……」
「気持ちわりーな、彼女ヒイてるぞ。おもいっきり」
「それは悪いことをした、俺が安心させてやろう」
そう言って、スキンヘッドはレベッカに抱きつこうとした。
「やめてください!」
レベッカはそう言ってスキンヘッドを避けた。スキンヘッドを除くゴロツキたちが大笑いする。「つれないなあ……」と、全く諦めていない顔でスキンヘッドが言った。
そうして大方の予想通り、彼はもう一度レベッカに抱きつこうとした。
すると。
「うわっ、なんだこの猫!?」
突然、レベッカが抱いていたキャストの猫が、スキンヘッドに飛び掛かった。
猫は、スキンヘッドの顔に張り付き、その頭に爪を立てた。スキンヘッドが情けない声を出し、ゴロツキたちが色めきだつ。サングラスが、スキンヘッドから猫を乱暴に引き剥がすと、適当な地面に投げつけた。
「猫ちゃん!」
レベッカが叫んだ。すぐに近寄ろうとする彼女の肩を、スキンヘッドが捕まえる。レベッカは壁に押し付けられた。
「は、離して! その子はあたしが……!」
「おれが! これから遊ぶんだよ。良くもやってくれたなコノ……」
引っかき傷から血をにじませて、スキンヘッドは苛立たしげに言う。
「おい人間はやめとけよ。おもちゃはこっち」
猫をぶら下げたチョビ髭がスキンヘッドを諌める。スキンヘッドはレベッカから手を離し、路地へ向けて突き飛ばした。
せっかく手に入れたキャストがゴロツキたちに奪われる。
倒れそうなまま、レベッカは猫へと手を伸ばした。重力が彼我を引き離す。盗みまで働いて手にした結果に、レベッカは絶望しそうになった。
と、彼女の身体を支えるものがあった。
レベッカはその何者かに立ち直らさせられて、路地の脇に追いやられた。黒い衣装に身を包んだその男は、ゴロツキたちに声をかけた。
「おい」
その男は、先ほどレベッカがキャストを盗んだ相手だった。
ゴロツキたちが振り返る。急に顕れたその男に戸惑っている様子だった。
男は、そんなゴロツキたちには構いもせずに、話しかけながら彼らへと近づく。
「その猫は俺の相棒のもんだ。おとなしく返さないとひどいぞ。イエスかノーか」と、ゴロツキたちに尋ねながら、男は彼らに殴りかかった。
いきなりやってきて攻撃してくる男に、ゴロツキたちは泡を食った。それも構わず、男はゴロツキを殴る、蹴る、打つ。反撃することすらままならず、彼らはあっという間に打ちのめされた。
「全く、忠告を聞かんからこうなるのだ……」
やれやれと、呆れるように首を振った。
その男にレベッカは声をかけた。
「あの……忠告を聞く間すらなかったんじゃないかと……」
他に言うことがあるとは思ったが、聞かずにはいられなかったのだ。
「?」男はあさっての方を見つめ、「避けられない犠牲だったんだ」
「でも、これはいくらなんでも」
レベッカはゴロツキたちを見やる。
袋小路となったその一角に、件の三人組は転がっていた。まるで前衛芸術のように奇っ怪な体勢をして、手先足先がぴくぴくと震えている。
気まずい沈黙。男は彼らを見ようともしなかった。無理に見ないようにしているといったほうが正しいか……。
「あー、サングラスが割れちゃってる」
「もったいないな」
「関節ってあんなに曲がるんだ……」
「体が柔らかい。きっとバレエをやっていたんだろう」
「あ、泡吹いてる」
「こいつが妖怪蟹人間……俺はとんでもない奴に出遭ってしまった」
「現実逃避が上手ね」
「…………」
レベッカがなにか言う度に男は首をねじ曲げて、非ぬ方向へ視線を向けた。やがて、これ以上曲げれなくなったころに、男はがしがしと頭を掻いて、
「というか、だな……」
しびれを切らしたように、男はレベッカの頬を引っ張りあげた。
「そもそも! お前がケネコを盗んだからこんなことになってんじゃねえか! ええ!?」
「い、いひゃい……」
「人のキャストを盗んだ挙句チンピラに絡まれて……盗んだ相手に助けてもらう泥棒がどこにいるんだ。ここだとかいうなよ? ちょっとこっち来いよ役所につきだしてやるからな」
男がレベッカの二の腕をつかむ。彼女は男を睨みつけて、
「な、なによ! 離して! 離さないとひどいから、痴漢だって騒いでやる!」
「刑務所っていいよなー……仕事がもらえて一日三食つくしー……こいつらみたいなのが大勢いるから毎日賑やかだろうなー……あと関係ないけど目撃者もいるしー……」
こいつら、のあたりで男はゴロツキたちを示した。
彼らを見て、レベッカがあからさまに勢いを失くした。
「…………」
おとなしくなったレベッカを見て、もう騒ぐつもりはないと判断したのだろう。男はレベッカを連れて袋小路を出た。あの酒場まで帰るつもりだ。
大通りに出てしばらく歩いた。曲がり角に警備兵詰め所があった。レベッカと、詰め所の警備兵の目があった。周囲には大勢の人がいる。そんな場所でレベッカは、
「キャ――――! 助けてぇー! ちか――――ん!」
やっぱり騒いだ。