(2)
わが兄弟はイケメンである。
イケメンとは、美男子の俗語だそうだ。
イケてるメンズ、イケてる面構えの略称であるとかないとか。
狸姿の際にイケメンと評せるものかは不明だが(個人的には兄達はきりっとした顔立ちで、弟はほやっとした顔立ちで、まあ悪くはないと思うが)、人間に変化したときの姿はイケメンだ。
これは身内の欲目でも何でもなく、周囲の評価である。
***
「あのっ、一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」
「あっ、私もお願いします!」
午前九時三十分。チェックアウトを済ませた本日最後のお客様である、三人組の若いお嬢さん方が、玄関で一郎兄さんを取り囲んでいた。
紺色の作務衣の上に木賊色の法被を羽織った一郎兄さんは、「もちろん」と愛想よく笑って了承している。
「じゃあ、これでお願いします」
「あ、私も」
そうして決まってカメラを渡されるのは私だ。
もちろん、笑顔で受け取った。他人のデジカメとスマホの扱いにおいては、おそらく私は狸界で十指に入るであろう。
旅館を背景に並んだ四人に向かってカメラを構えて、声を掛ける。
「はーい、とりますよー、笑ってくださーい。あー、いいですねー。はい、ちーず」
もはや私も兄も慣れたもので、一つのカメラで二回ずつ、笑顔で撮影をこなした。出来栄えを確認する女性たちは、きゃあきゃあと嬉しそうである。
「あの、これSNSにあげてもいいですか?」
「構いませんよ」
笑顔で了承する一郎兄さんに、女性達はまたひとしきりはしゃいだ後、「ありがとうございましたー」とキャリーケースを引いて去っていく。
「ありがとうございました」
「またのお越しをお待ちしております」
一郎兄さんと並び、手を振って見送る私の耳には「ホントにイケメンだったね!」「弟さんとも撮りたかったー、一番下の弟くん、カッコ可愛いよねー」「私はあの板前さん。ほら、次男だっけ?超タイプなんだけど」と、興奮冷めやらぬ女性達のひそひそ声が風に乗って届いてくる。
若い女性の七割は、このような反応をして満足して帰っていくものだ。隣をちらりと見上げれば、一郎兄さんもまた満足げに笑っていた。
「今朝は当番でないのに顔を出したのは、これが目的でしたか」
「そうだよ。これも仕事、サービスの一環だからね」
特に御婦人方にはね、と一郎兄さんは整った顔をにっこりさせた。
***
そう、これはすべて一郎兄さんの策である。
三年前、客が減少して、元々少ない従業員も一斉に辞めていき、旅館の存続が危ぶまれる出来事があった。
潰れかけた旅館を立て直すため、一郎兄さんは『イケメン旅館大作戦(仮)』という計画を考えた。
『せっかく化け狸に生まれたんだ。利用しない手はないよ』
どうせ化けるなら、普通よりも少々見目の良い美男子になろう。
そう提案した一郎兄さんは、テレビや雑誌などで、あまり美形過ぎない好感度の高い俳優やモデル、アイドルの顔を研究した。
そうして、兄弟でそれぞれこんな風にと選んで変化した。元の顔貌を大きく変えると周囲から怪しまれるので、少しずつパーツを整えて、髪形や雰囲気を馴染ませていった。
一郎兄さんはさらさら髪に細面の、色気を少し滲ませた爽やか俳優風。
二海兄さんは短髪で少々強面の、精悍でストイックなアスリート風。
末っ子の五樹君はふわふわと癖のある髪に可愛い顔立ちの、愛嬌のあるアイドル風……という具合だ。
長兄の策は見事に功を奏し、『イケメン兄弟』が営む旅館というフレーズに世の御婦人方は興味を惹かれ、客は徐々に増えていった。もちろん、ただのイケメン揃いという一過性で終わらせないよう、長兄の策は抜かりなかった。
木造二階建ての本館と東西の離れを合わせても客室が十二室しかない、小さな旅館。築五十年の老朽化の目立つ日本家屋の本館を修繕しつつ、昨今流行りの古民家風へとリフォーム。ロビーには炬燵と火鉢のある談話室を作って、アットホームで寛げる雰囲気にした。
料理が得意な二海兄さんは和食屋で修業し、母と共に割烹料理と家庭料理を合わせたメニューを揃え、食材は山や畑で採った旬の山菜や野菜を使用した。
旅館の裏庭には小さな畑、山には散策できる道(狸も出没する)も作って、里山の自然も満喫できる。
観光地の片隅の山の麓、そして小規模の家族経営を活かした旅館の方針は上手くいった。
斯くして旅館は持ち直し、我が家族や山に暮らす狸一同は路頭に迷うことなく、日々を平穏に過ごすことができている。穏やかで強かな長兄は、おっとりした両親とのんびり屋の兄弟を見事に先導していた。
次兄である二海兄さんは、料理は得意だが接客は不得意で、特にこうして若い女性達に囲まれて写真を撮ったりなんだりするサービスは苦手である。今頃は、食堂と台所の片付けを黙々とこなしていることだろう。
女性客の後ろ姿が見えなくなってから、私は時折考えることを口に出す。
「一郎兄さん、私も美男子に化けた方がよいでしょうか?」
私の狸としての性は雌ではあるが、もう一人違うタイプのイケメンに変化した方が客はさらに呼べそうである。
真面目くさった顔で隣を見上げれば、一郎兄さんは不意を突かれたように目を瞬かせた。やがて可笑しそうに破顔する。
「四葉はそのままでいいって、二海も言っていただろう?僕もそう思うよ。ここに来るお客さんの半分は、お前を孫娘のように可愛がっているのだからね」
花崎旅館の客の半分は、年配の方々だ。リピーターが多いのも、同じく年配の方々である。
若い男衆のイケてる顔よりも、寛げる雰囲気と孫世代の愛想の良い若者に癒されているようだ。特に幼さの残る四葉(しかも唯一の女の子)は、家業の手伝いをする良い子(しかも和菓子好きでお菓子の与え甲斐がある)と認定されている。
「狸にだって得手不得手、好きも嫌いもあるものさ。無理に同じようにしなくとも、己が身に合った化け姿と需要を見つけていけばいいのだよ」
「兄さん……」
「それにお前まで男の姿になってしまったら、叔父上の面倒は誰が見ると言うんだい?」
「……」
一瞬感動しかけた私は、その感動を引っ込めた。後半の台詞がおそらくは一郎兄さんの本音である。
半目になる私に、一郎兄さんは笑顔で言った。
「さあ、そろそろ叔父上も起きていらっしゃることだろう。今日もお世話をよろしく頼むよ、四葉」
「……わかりました。そういえば一郎兄さん、“えすえぬえす”とは何です?」
「ソーシャル・ネットワーキング・サービスのことだよ。インス○グラムとかフェ○スブックとか○イッターとかね。写真を載せたり宿を宣伝してくれたりするんだよ。ああでも、変なことが書かれていないか、後でいろいろチェックしておこうかな。旅館のブログも更新しないとね」
「……」
一郎兄さんが何を言っているのか、皆目見当もつかぬ私である。
やはり狸にも向き不向きがあるのだ。私は私にできることをするかと気を取り直して、兄の後について館内へと戻った。