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第三章 花崎兄弟の事情(1)

 花崎旅館の休館日は、毎週火曜日と水曜日。

 観光シーズンや祝日によって休みは変わるが、ゴールデンウイークを過ぎれば客足も落ち着いてくる。


 五月の半ばの火曜日、最後の客を見送って片付けが終わった後、私は出かける準備をした。

 いつもの旅館の作務衣姿ではなく、普通の洋服姿に変化する。

 実は以前、作務衣で町まで出かけようとしたのだが五樹君に強く止められたのだ。「年頃の女の子なんだから可愛い恰好しようよ!」と熱弁した五樹君に、いろいろな雑誌を見せられて勉強させられた。

 さらに一郎兄さんや二海兄さんまで入ってきて、「もっと清楚な感じがいいかな」「あまり肌の露出はしない方が」といろいろ注文を付けてきたものだ。

 淡い黄色のレース付きのタンクトップに白いパーカー、デニムのショートパンツに黒いレギンス、スニーカーという、動きやすく肌の露出も少ない格好に変化した私は、颯爽と自転車ママチャリにまたがった。

 目指すは、観光の中心地である城下町である。


 花崎旅館から城下町までは、およそ四キロメートル。徒歩では約一時間、自転車では約二十分かかる。

 昔は狸姿で林や住宅地を突っ切って、城下町まで駆けていた。道なき道を行く近道を使い、労力としてはそこまで掛からなかったのだが……。

 如何いかんせん、狸姿では車が怖い。人間が怖い。

 車道では撥ねられた動物を見る度にぞっとしたし、自分も数度轢かれそうになった。たまに、怪我した狸を助けることもある。住宅地の近くでは子供に「狸だ!」と追いかけられるわ、罠にかかりそうになるわ。犬に吠えられて怖い思いをしたこともある。

 人間姿で移動した方がはるかに安全であるのだが、変化のために疲労は狸姿の倍はかかる。

 そこで、自転車の登場だ。

 自転車はとかく便利なものである。軽トラの動かし方は、クラッチだとかチェンジレバーだとか、どこが何やらさっぱりであるが、自転車は座ってペダルに足を乗せて前に踏むだけでよい。

 もっとも、最初は足を地面から離すまでに何度も転んでは狸姿に戻って、危うく自転車に押し潰されそうになったものだが。

 完璧に乗り方を覚えた今となっては、それはもう便利な移動手段である。

 疲労は半減、速度は倍以上。人間は素晴らしい物を作ったものだ。


 いざ行かん、と足に力を入れた時、後ろから声がかかる。


「ああ、四葉、ちょっと待って」


 からころと外履き用の下駄を鳴らして駆け寄ってきたのは母様だった。

 私の片手を取ると、「はい、お小遣い」と千円札を二枚渡してきた。お金なら、多くはないが毎月の給与の分があり、肩から斜め掛けしている黄色のポシェットに入れている。

 断ろうとしたが、母様の朗らかな笑みの中に陰りを見つけて、私は素直に受け取った。


「ありがとうございます、母様」

「いいのいいの。……甘いものでも食べてきなさいな」


 私の手を、母様はぎゅっと握って微笑む。安心させるように手を握り返した後、お金をポシェットに移した。


「何かお土産、買ってきますね」

「まあ、そう?だったら、大福か羊羹か……ああ、ロールケーキもいいわねぇ。でも、お小遣いが余ったらでいいからね」

 

 そう言う母様に「行ってきます」と手を振って、私はペダルを踏み込んだ。



***



 今から四百年も昔に作られた城下町は北九州の盆地にあり、かつては江戸幕府の天領として、九州の経済や文化の中心地として栄えた町だ。

 川沿いにある碁盤目の町並みには、江戸時代以降に建てられた商家や土蔵が立ち並ぶ。南北の二筋の大きな通りと東西の五筋の通りで構成された、江戸の町の面影を色濃く残した町。九州の小京都と称され、最近では外国人も多く訪れる観光地となっていた。

 

 城下町に入った私は、自転車を降りて押しながら石畳を歩いた。

 北通りを通って東から二番目の通りに入り、少し進めば、白壁の商家の横に細い路地がある。古びた木の塀に囲まれた路地をさらに進むと、少し開けた場所に出た。

 アプローチの石畳の先にあるのは、城下町の風情に合った土蔵だ。黒い瓦屋根に漆喰の白壁、古く黒ずんだ格子戸が年代を感じさせる。

 土蔵の入口は明り取りのために大きく開放されていた。入口上部の黒い庇の上には、大きな木の看板が掲げられて『喫茶 豆蔵まめくら』と黒い筆文字で書かれている。

 ここは、かつての商家の土蔵を改装して作られた、女性に人気のモダンな喫茶店であった。

 白い和紙の笠がついた、淡い橙色の照明が灯る店内に入れば、黒いエプロンをつけた女性の店員が迎えてくれる。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「いえ、連れが来ているはずなのですが……」


 首を伸ばして店内を見回す私の視界に、照明の光を反射する金茶色の髪が映った。

 店の奥の二人掛けの席に座った、一人の青年。視線を送れば、向こうも気づいたようで、軽く片手を上げてくる。

 私は店員に会釈した後、彼の方へと向かった。青年は湯呑を置いて、鋭い三白眼で私を見上げてくる。


「よう、四葉」

「お久しぶりです、三弦みつる兄さん」


 ひと月ぶりに会う兄に、私は畏まって挨拶した。



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